2017年05月14日角栄の知恵その2・・・トランプのごり押しをどういなすか? 

カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」

 続きです。

 戦後日本を支えてきたのは繊維産業ですよ。でもね、優先順位を考えれば、首相の佐藤栄作が最重視してたのは「沖縄返還」ですよ。やっぱり。戦後の総決算でもありますしね。北方領土の問題もあるけど、まずは南西領土をすべて取り返さなくちゃ。最後に残ったのが沖縄だかんね。

 後日、沖縄返還と繊維交渉がセットで「糸で縄を買った」と揶揄されますけど・・・。

 通産官僚が守るのは沖縄ではなく繊維業界です。役人てのはそういう生き物です。
 角栄はすべて承知していました。で、日本の繊維業界が被る損害額を弾き出してたんです。当時のお金で2000億円。いまなら10兆円超。通産省の年間予算が2000億円つう時代ですよ。とてもとてもひねり出せる金額ではありません。

「問題はそれだけ?」
「・・・」
「問題はそれだけか!」
「・・・それだけです」
「よっしゃ。予算を取ろうじゃないか。秘書官、総理に電話だ」


キッシンジャーが唯一怖れた日本の政治家。

「ここまで来たら輸出規制を覚悟してもらいたい。なーに、業界の損失補償は一般会計と財政投融資でカバーしますからご心配には及びませんよ。これから大蔵省と掛け合いますから、総理も全面的にバックアップをお願いします」

 人間通ですね、角栄は佐藤が断れない、と読んでました。これが解決できなければ沖縄返還なんて夢のまた夢ですからね。

 大蔵大臣は水田三喜男。田中派ではありません。

「解決に2000億円かかる。業界の損害補償しか手がない。役所仕事では間に合わん。こっちの担当と主計官で詰めさせたい」

角栄は内部をがっちり固めて準備してる、と悟られないよう、アメリカと交渉します。期限は71年10月15日。
 9月9日から始まった交渉は案の定大荒れ。コナリー財務長官は輸出規制を迫りますが、角栄はあくまでも強硬姿勢を貫きます。

「アメリカは貿易不均衡を主張するが、1951年から70年まで日本はずっと輸入超過ではないか? ニクソン大統領は頭越しで訪中を決めたが、日本に強硬姿勢をとれば、やがて人件費の安い中国にもより強硬な措置を取らざるを得なくなる。米中国交正常化に障害となるのではないか」

 決裂寸前まで行きます。敵国条項発動の最後通牒を出そうとしたんですからね。角栄は妥協しない。アメリカも妥協しない。とうとう9月21日、デビッド・ケネディが最後通牒案を持参して来日します。佐藤首相も揺れに揺れますが、角栄だけはぶれない。期限が迫り、とうとうアメリカが折れてしまうのです。

 トリガー条項を外し、日米合意成立。角栄はなんと3か月で解決しちゃいました。

 通産省の予想通り、中小の繊維企業はばたばた倒産しました。

 角栄は、日本の繊維産業は設備も古く、人件費の安い東南アジアに生産拠点が移るのは時間の問題。繊維交渉があろうとなかろうと倒産はやむなし。ならば、補償金を配って負け組は淘汰し、なんとか生き残った企業を世界で勝てるように体質転換させなければ未来はない、と考えていたんです。

 トランプ、ウイルバー・ロス、その他、タフネゴシエーターたちがごり押ししてきますよ。防戦一方、妥協の連続では話になりません。ピンチはチャンス。奇禍を利用して業界の体質転換まで進めてしまう「大局観」「行動力」そして「胆力」がある政治家がどれだけいるか・・・不安やのー。。。