2016年10月23日「太陽の蓋」は国民必見の映画です。。。

カテゴリー中島孝志の不良映画日記」

 「5年前、テレビにかじりついていた人たちは、いまどんな気持ちなんだろう・・」

 あれから5年ですか。早いもんです。この間、政界は素人民主党から玄人自民党へと政権再交代。で、原発再稼働、いや停止。裁判。選挙・・・。

 この映画、めちゃ民主党寄りに描かれてます。まさに民主党、民進党のプロパそのもの。けど、観るべきでしょう。いまだからこそ観るべきだと思います。

 当時の首相カンチョクトさんほか、実名で登場してます。そんななか、東京電力をどうして仮名にするのかね。わからんなあ。実名にしたら裁判沙汰になるからか。いまおな巨大な権力を持つ電事連から横やりが入るから?


官房副長官の福山哲郎さんが必要以上にかっこよく描かれてます。

 
 「海水注入を止めたのは私ではない!」とカンチョクトさんは言いたいんでしょうな。映画のなかでも手下がはっきりセリフを言ってましたから。で、みなに観てくれ観てくれ、と上映会まで展開しとるんでしょうな。

 それにしても、東電はよっほど信用してなかったんですな。カンチョクトさんのことを。すべての情報を独占して、最後の最後に官邸に届く有様。テレビで情報をはじめて知る有様。情けないねえ。

 官僚。官僚以上に官僚だった東電本店の人たち。専門家と称する素人たち。いくらなんでもこんなに酷くはないだろう、つう描き方。映画とはいえ、すべて他人事つう無責任体質より無能ぶりが際だってますな。

 対極的なのは福島1Fの現場。「命をかける覚悟で臨んで欲しい」と言われる前から、決死隊を組織して対処していたほど。いつの時代も現場の士気が高いのが日本企業の特徴で、これがなくなったら終わりです。

 「特攻隊」はいまもしかといるわけで。

 同時に、冷静に考える現実派も必要なわけでね。「官邸が民間に指示を出すのであれば、法的根拠はどこにあるのか?」と官房長官に詰め寄る補佐官も見識がありますわな。異常事態といえども、超法規的行動は最大限慎むべきでね。でなければ、のちのち禍根を残しますわな。

 「撤退!」は原発事故解決放棄を意味するわけですが、こんなメッセージを出したのは東電本店だけのようです。首相も危機監理官も「決死の覚悟」で臨む、と一致していたようで、映画ではそこの処が誤解されるかもしれません。

 ホントに民主党、民進党寄りの映画です。けど、素人政権が人類初の大事故に情報ゼロで当たらなければならなかったわけでね。たとえプロでもたいして変わらなかったかもしれません。当時のことを思えばね。 

 5年経ち、少しは情報武装もできていると思います。そういう意味で、いまこそ、必見の映画ではないか、と思います。

 収束宣言? まだなんにも終わっちゃいないわけで。首都圏はいまなお木っ端みじんになる可能性を秘めたままなわけで。ぜんぜん解決していないわけです。
 末期状態にあるにもかかわらず、小康状態を保っているんで、「健康じゃん!」と自他ともに思い込んでるにすぎないわけでね。

 知ってる人、知らない人、気づいているのに気づかてないふりをしてる人・・・いろいろです。ただ1つ明らかになったことは原発が無くたってエネルギー需要を100パー満たせる、つうことです。

 代替エネルギーの輸入、開発等でコストはかかるでしょうが、こうなると、よりすごい節電技術が開発されて輸入量は激減。円高で原油価格も下落。

 いますべきことは「段階的廃炉プログラム」の作成。以前、なにかの本に書きましたけど、原発は原発でも安全で操作しやすい「トリウム原発」へと転換すべきではないでしょうか。

 代替エネルギーについて、コスト感覚ゼロで導入したカンチョクトさんは大嫌い。けど、この映画は嫌いにならないでください!

 で、こういう映画を観た後は喫茶店でしばし思索。。。どこの茶店か? 映画観ると割引になるとこがあんの。明日ご紹介しましょ。コーヒー苦手だけどね。ここのが呑めないとなると日本中どこも呑めませんわな。