2016年04月23日アフガンの至宝。。。

カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」

 ただいま羽田空港です。これからバンコクなのよね。一応、講演つうことらしいんすけど。詳細は行ってみないとわからん、つういい加減さでして。
 暑いの苦手なんだけど、なんと36度もあるらしいっす。ま、人生、何があるかわからんわけで、タイの政治経済をしかと調査してきますよ。

 宗教、文化、風俗とかは、25年前から何回かフィールドワークしてましたんで、今回はスルーかな。ま、そういうこってす。


 ようやく来ました。1月に九州博物館でやってたのよね。4月からトーハク(東京国立博物館)でやるってんで、待ってましたよ。

 特別展「黄金のアフガニスタン−守りぬかれたシルクロードの秘宝−」表慶館。16年4月12日(火)〜2016年6月19日(日)」でげす。



 タリバンはこういう偶像は片っ端から破壊する価値観ですから、見つかったらがんがん壊されてしまいます。自分たちの価値観以外は絶対に認めない連中ですからね。日本人とは合わないの。

 で、14年間封じて隠してたららしいね。



 アフガンといっても、紀元前から続くバクトリアですね。アレクサンドロス大王東征の結果、生まれた文化。いわゆる「アイ・ハヌム」つう都市ですね。

 ギリシャから彫刻や彫金の職人をたくさん連れてきてました。で、ここにもギリシャ、マケドニア並の文化都市をつくります。

 位置的にいうと、バクトリアはタジク、ウズベク、トルクメニスタンの南。とくにアイ・ハヌムはタジクとアフガンの境目にあります。

 紀元1〜4世紀に花開くガンダーラはクシャン朝が保護してました。バクトリアのずっと南にありました。カニシカ王の全盛期ですね。ガンダーラ美術が注目されたのもその頃でしょう、 

 カニシカ王はたくさんの仏教建造物を建立したばかりか、仏教が中央アジアから中国、日本へと伝えた最大の功労者ですよ。

 この冠。似てるなあ。シルクロードの東のどん詰まりは正倉院。すぐそばにある藤ノ木古墳には二体の亡骸が葬られていました。すでにブログでご紹介したように、1人は592年に蘇我馬子に暗殺された、とされている崇峻天皇。もう1人は崇峻天皇の実兄である穴穂部皇子。こちらは587年に誅殺されています。

 2人の皇子は権力者の覇権争いに巻き込まれたわけです。今回、王、王女につらなる高貴な亡骸が身につけていた副葬品、とくに金冠なんぞは崇峻天皇が藤ノ木古墳で身につけていた冠と同じですよ。


石棺内から取り出された履。

 古墳内の遺品は金の輝きにあふれたものばかりです。身につけていた装身具は1万超の金銅とガラスばかりでした。そういう意味では翡翠や玉も混じったバクトリアとは少しちがうかな。