2007年12月05日「政治と鎮魂−−にんげん藤波孝生」 橋本茂著 心泉社 1600円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

「この人を本当に逮捕していいんだろうか?」
 大平内閣の労働大臣、中曽根内閣の官房長官を歴任した藤波孝生の自宅を強制捜査する検察官の中には、正直、こんな印象を受けた人間がいたようですな。
 なぜなら、階段の下にまで本という本。文化人か哲学者の家でもこれほどの書籍に囲まれてはいない、と嘆息したはずですよ。

 リクルート事件には問題がたくさんあったけど、この藤波という教養溢れる高潔な政治家を表舞台から消してしまったことが最大の罪だったのではないかな。

「順調に歩んでいれば、確実に総理総裁の座についていた人」というのは、永田町のみならず、産業界、マスコミから官庁も含めて、100人が100人ともに抱く感想でしょう。

 この本、ずっと読みたかったんです。けど、読んでちゃ商売にならんわけですよ。読むよりも書かなくちゃダメなのね。
 この11月はなんたって人生でいちばん忙しかったからね。机の横に常時50冊ほど置いて積ん読するしかなかったわけね。でも、ようやっと手に取ることができました。ホントは藤波本が読みたいんだけど絶版でね。
 今夕は九段でちとシンポジウムがあるから、神保町でクルージングしてきますかね。

実は15年ほど前、私、藤波さんに会ってるの。プレスセンタービルのエレベーターの中でね。だれかの出版パーティだったんだけど、それは忘れちゃった。
 覚えているのは、当時、逮捕が響いて落選中の彼が1人、エレベーターに乗ってたんだけど、その立ち姿があまりにも凛としてたんですね。

 第1印象は、姿勢のいい人だなあ・・・ということ。

 武道家は商売柄、姿勢はいい人が多いけど、そういう姿勢じゃないの。生き様が姿に映り出されているわけね。発言を聞いて、さらにこの思いは強くなりましたね。以来、私の藤波観は変わっていません。

 藤波は伊勢の生まれ。

 なにごとの おわしますかは しらねども
 かたじけなさに なみだ こぼるる

 鳥羽院の北面の武士だった西行は「神宮」に参ってこう詠んだ。西行とは佐藤義清(のりきよ)のこと。新古今和歌集にも撰歌される歌人ですな。
 神宮とは伊勢神宮の本名ですね。
 実家はあの赤福のもう少し神宮寄りの饅頭屋。子供の頃からまじめ、誠実、努力家、謙虚、控えめ、という生き様だったようです。

 早稲田に進み、大隈講堂で聞いた緒方竹虎の講演に感銘。そのまま、雄弁会に入部してしまいます。
 緒方竹虎も早稲田から朝日新聞。副社長を経て、衆議院議員。吉田自由党の重鎮で、後の総裁ですね。緒方の無二の親友が中野正剛。彼も早稲田から朝日新聞ですな。東條英機という軍事官僚上がりのせこい総理大臣を弾劾したおかげで逮捕され、その後、ずっと憲兵隊の監視下におかれて自刃した昭和の武士ですよ。

 藤波はこの雄弁会でいろんな人物と知り合います。ほとんど映画「小説吉田学校」に登場する面々ですけど、海部俊樹、森喜朗、松永光、それからいまの民主党の特別顧問、渡部恒三さん。
 この渡部さんが卒業時に藤波におくった言葉がこれ。

「君、西の緒方竹虎たれ。われ東の中野正剛たらん。いずれ議事堂で会おう」

 この2人、第2次中曽根内閣で官房長官と厚生大臣として同時入閣を果たします。
 後に渡部は小沢一郎とともに自民党を出て行くことになりますね。この時、周囲はみな、驚きましたよ。

「なぜ、小沢と組むのかと訊ねられるが、それは小沢がけっして嘘を言わないからだ。だが、私が心から総理大臣にしたい男は別にいる。それは藤波孝生だ」

 藤波を知る人は、みな、同じことを言います。老若男女、みな、同じ。それは、だれとでも同じ目の高さでものを見るということ。
大平内閣では労働大臣に就任します。人間味あふれる労働行政を心がけていましたよね。高齢者、身障者、青少年対策にはとくに力点を置いていましたよ。

「私は10年間、饅頭屋をやった。朝4時半に起きて餡を炊いたが、豆腐屋と饅頭屋ほど水の冷たさに耐える仕事はない。私自身、こうした労働者の出身だから働く人の気持ちはよくわかる」と官僚たちに訓戒しています。

 臨教審では、中山素平(日本興業銀行相談役・当時)に会長就任を依頼。結局、金儲けに携わる人間がトップに就任してはいかんと固持し、代理として側面からバックアップすること約束。
 この時、彼は藤波のことを「官邸から明治時代の書生みたいな人が来た」と評していますが、さすが人物眼に定評のある中山らしい指摘だと思いますねぇ。

藤波と俳句は切っても切れないものですね。元もと、これは伊勢神宮・内宮の祢宜だった荒木田盛武を俳祖とするんです。芭蕉をさかのぼること150年という時代の人ですね。
 有名な句では、
 
 がんじつや かみよのことも おもはるる

 荒木田が俳諧を1つの文学として確立し、その100年後に「神風館」という俳句結社ができました。藤波の父親が19代宗匠、そして藤波が20代宗匠になってます。

花咲いて伊勢は常世の美し国

 くちなしやお詫び行脚の旅衣

 オホーツク海を背負って盆踊り

 どれもいい句ですよねぇ。

リクルート事件で、検察は藤波を受託収賄罪で逮捕します(一審は無罪、二審三審は有罪にて結審)。

 当時、このバラマキ事件では本人、または身内、秘書の名義で株式を譲渡された人間はたくさんいます。
 中曽根康弘(当時、前首相)、竹下登(当時、首相)、宮沢喜一(当時、大蔵大臣)、安部晋太郎(自民党幹事長)、森喜朗、加藤紘一、伊吹文明・・・。産業界でも真藤恒(NTT会長)、牛尾治朗(ウシオ電機会長)、諸井虔(経済同友会副代表幹事)、森田康(日経新聞社長)・・・など、広範囲にわたってました。

 藤波のケースは本人があずかり知らないうちに秘書に譲渡されてました。その他の政治家が秘書が秘書が言い訳するのとはレベルが違うんです。宮沢さんなんか、秘書じゃなくて自分でもらってたんですからね。
「これはおかしい」と、藤波とつき合いのある最高裁判事が弁護を買って出るなど、あの人ならやるだろう、あの人にかぎって、と人の評価は裁判官よりも正確に審判を下すんですよ。

 それにしても、いざ上場しようという未公開会社が安定株主をつくることって常識でしょ。本来は、検察側には筋の悪い案件なんです。
 けど、たまたまバブル全盛期で新規公開株は暴騰するという空気がありました。そこで、すわ、汚職だ、汚職に違いない!とする世間の空気を読んで、「まず結果ありきの捜査」を展開するんです。
 古今東西、日本の検察は正義のために権力を振りかざしたことなどありません。いまなら勝てる、という喧嘩しかしませんからね。

 私が印象に残っているのは、国会中継ですね。日本共産党に正森成二という論客がいます。この人、元もとは弁護士なのね。共産党は嫌いなんだけど、この人、なぜか大好きで、「ロッキード事件の質問趣意書」といった著作集まで実は持ってるのよね。
 で、中曽根さんが予算委員会に証人として出席した時、この人が質問するわけ。このやりとりが忘れられませんな。

「したたかと言われて久し栗をむく。この句はだれのですか?」
「それは私の俳句であります」
「では、控え目に生くる幸せ根深汁、というのは藤波元官房長官の俳句です。控え目な根深汁がしたたかな栗に犠牲を押しつけられたというのが真相なんじゃないですか?」
「俳句とロッキード事件は関係ありません」

 世間はわかってるんですよ。300円高。