2008年07月28日「人に好かれる笑いの技術」 鶴間政行著 アスキー 760円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

著者は放送作家。「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」「笑っていいとも!」「ごきげんよう」「SMAP×SMAP」「王様のブランチ」・・・といった長寿番組を担当してるわけ。

どの番組も私、あまり好きじゃないんですけど。視聴率はいいよね。

 関根勤さんは好きなんだけど、どうも、小堺さんて苦手なのよね。なんでかなぁって思ってると、欽ちゃんのにおいがプンプンするからだろうね。

 「欽ちゃん嫌いなの?」というと、そんなことないの。大好きなのよ。人間的にね。けど、芸は好きじゃない。つうか、嫌い。これ、コント55号が全盛期の時から変わらない。


 コント55号って、私が小学生の時に出てきたのよ。
 当時、コント、漫才ブームがあってね。「ダメなのよぉ〜、ダメなのねぇ〜」ってギャグがストレートコンビね。橋達也さんだったな。いま、浅草で笑劇団率いているけど。そういえば、浅草常磐座で、橋さんと、「マジックアワー」に出演してる柳沢真一さんとでミュージカルやってた。小坂一也さんも出てたかなあ。

 ♪親亀の背中に 子亀を乗せて、子亀の背中に孫亀乗せて〜♪なんて、ナンセンストリオね。これ、受けたなぁ。
 あと、ほら、テイク2の東貴博さんのオヤジがリーダーしてたトリオ・スカイラインね。いま役者として活躍してる小島三児さんがいたグループよ。

 で、こういうトリオ漫才の中でもダントツの人気がコント55号だったのよ。

 嫌いでね。私、どちらかというとサラッと笑えるネタが好きなんだけど、浅草だからしつこいのよ、芸が。もう満腹になるまで引っ張るわけ。これが白けちゃうんだなぁ。
 吉本芸人でもそう。しつこいと突然、笑わなくなっちゃう。それ以来、どんな芸も笑わない。テレビに出てきたら、チャンネル換えちゃう。
 熱しやすくて冷めやすいのね。

 さてさて、著者が欽ちゃんと出会ったのは、学生時代。大学4年の時。「就職活動しようかな」と思ってたたんけど、やっぱ、こちらの世界で仕事したかったわけ。で、ラジオ番組などにせっせと投稿してたわけ。
 投稿というのが、放送作家の第一歩みたいなとこ、あんじゃん。面白いネタ書かないと読んでもらえないわけだからさ。

 で、当時、欽ちゃんは「パジャマ党」という放送作家集団を率いてた。そのジュニアチームを作ろうってんで、せっせと投稿してきてる連中に声かけてたらしいね。といっても、ほとんどの人には断られたらしい。「医者になります」「教師になりたいんで」というわけね。
 そんなとき、「渡りに船」でほいほい乗ったのが著者だったわけ。

 さて、コサキン(小堺一機・関根勤)の構成作家を担当したのは「コサラビ」というラジオ番組がきっかけ。1981年ですよ。関根さんがデビューして7、8年。小堺さんが5、6年の頃。 
2人とも「ぎんざNOW!」の素人コメディアン道場のチャンピオン出身だかんね。
それなりに物真似とかも巧いから、それなりに面白い番組になるかと思ったら、これが大転け。

 「笑っていいとも!」のタモリさんのスタンスは、「月曜から金曜まで、毎日、アルタに通うサラリーマンだと思ってる」だって。280円高。