2006年12月19日「昔ここにラジオがあった」 QRラジオマン・グループ編著 東洋書店 1575円
12/4にこの「通勤快読」コーナーで「35年目のリクエスト」をご紹介しました。亀渕さん、通称カメさんが書いた「深夜放送、あの頃、君は若かった」というノリの本ね。
で、その中で「土居まさる」という人についてちょこっと触れたんだけど覚えてる?
覚えてない。あっそう。実は土居さんのエピソードは本書に載ってたんですよ。
本書のサブタイトルは「四谷村物語」。そう、文化放送のことですね。
みのさんも土居さんも文化放送のアナウンサーだったんだもの。
みのさんは有名でしょ? けど、土居さんはもっと有名で売れっ子だったんだよ。
以前、ビートたけしさんが司会やってた「TVジョッキー」(日本テレビ系)。あの番組の大本は土居さんが司会だったの。
たけしさんの時には「熱湯コーナー」というのがあったけど、土居さんの時は、かの有名な「奇人変人コーナー」ってのがあったのよ。
当時、私は中学2年生。これ、好きだったなぁ。出場すると、白いギターがもらえるんだよ(超ミニのおねぇちゃんも楽しみだったけど)。アイドルにとって、この番組に出られたら即、全国的に知られるという登竜門だもあったのね。
で、土居さんは深夜放送「セイ!ヤング」のパーソナリティ。
前にも書いたけど、当時、「視聴者様」というノリのアナウンス・スタイルに対して、土居さんは「おまえ」呼ばわり。で、始末書、謹慎処分。本名じゃ放送させてもらえなかった。
土居まさるって、アナウンサー・ネーム(そんなのあっか?)なんだよね。
ついでにいうと、みのさんもそうだよ。
いま、文化放送は浜松町の駅前にドーンとあります。昔は、四谷にあったの。だから、四谷村なの。新宿ゴールデン街とは目と睫の先かな。
芸能プロダクションも周囲にたくさんありました。いまだって、サンミュージック(松田聖子さんとか森田健作さんがいたな)があるもんね。
団塊の連中なんて、文化放送にはかなりお世話になったんじゃないかな。
ブラームス(ハイドンじゃなかったんだ)の「大学祝典序曲」ではじまる「大学受験講座」。これ、聞いてたねぇ。たんなる受験指導じゃなくて、受験生に向けてメッセージ性があったもの。
たとえば、1月〜2月くらいになると受験もピークでしょ。すっと、この番組も1クール終わるわけよ。で、最後の放送の時には各講師がメッセージを送ってくれるんだよね。勝浦捨造先生なんて、三高の「紅燃ゆる」を唄ったりしてね。
大学入ると聞かなくなんだけど(当たり前か)、これは聞いてたなぁ。
でも、やっぱ「セイ!ヤング」かな。最高だったね。
せんだみつお、好きだったな。谷村・バンバンも良かったよ。聴取率は深夜だけど5%もあったんだ。
天才、秀才、バカシリーズがうけてたなぁ。
天才芸者「竹千代でぇす」
秀才芸者「豆千代でえす」
バカ芸者「フェラ千代でぇす」
これしか知らんのか!(まっ、いいじゃん)。
落合恵子ちゃん、通称、レモンちゃんね。
この人、女子アナ・アイドルの元祖じゃねぇの? TBSのケンケンなんてずっと後だもんね。
清楚でさ、放送も、恋愛とか人生とかと四つに組んで話してたね。きまじめなんだろうね、性格もきっと。美人でさ、私らニキビ面の中学生には近寄りがたい存在だったなぁ。
文化放送というと、社会派の放送をすることでも有名だったよね。報道部といっても、テレビやテレビ系列のラジオとはちがうから独自に取材してたでしょ?
で、この文化放送の取材が決め手になった事件があるんだよね。
「吉展ちゃん事件」だよ。
私より少し上の世代には忘れられないんじゃないかな。
1963年3月31日に、吉展ちゃんが入谷南公園から姿を消します。
2日後、犯人から身代金要求の電話。50万円だよ(時代を感じるね)。
犯人は小原保という男。警察は任意で引っ張ったんだけど、アリバイがあってね。結局、捜査本部は2年後に解散。あとはケーゾク捜査だよ。
文化放送の報道部では、この小原に飲み屋でインタビューに成功してるのよ。もち、デンスケ(ソニー製)で録音。
「落としの八兵衛」こと、平塚刑事が担当すると状況が変わるんだ。警視庁本部で、みなにこの録音を聞かせると、あの身代金要求犯の声とそっくり。
「あいつだ!」とばかりに、小原について3度目の捜査開始。平塚刑事の執拗なアリバイ崩しが功を奏して、とうとう自供すんだよ。
文化放送は警視庁から表彰されたね。
文化放送は学生時代の私にとっても大きな影響を与えた。この放送番組のおかげで楽しく生きられた、と思う。心から感謝、深謝してますよ。
いま、ラジオの本、書いてるんだけど、ラジオって本当に素敵だよね。280円高。
で、その中で「土居まさる」という人についてちょこっと触れたんだけど覚えてる?
覚えてない。あっそう。実は土居さんのエピソードは本書に載ってたんですよ。
本書のサブタイトルは「四谷村物語」。そう、文化放送のことですね。
みのさんも土居さんも文化放送のアナウンサーだったんだもの。
みのさんは有名でしょ? けど、土居さんはもっと有名で売れっ子だったんだよ。
以前、ビートたけしさんが司会やってた「TVジョッキー」(日本テレビ系)。あの番組の大本は土居さんが司会だったの。
たけしさんの時には「熱湯コーナー」というのがあったけど、土居さんの時は、かの有名な「奇人変人コーナー」ってのがあったのよ。
当時、私は中学2年生。これ、好きだったなぁ。出場すると、白いギターがもらえるんだよ(超ミニのおねぇちゃんも楽しみだったけど)。アイドルにとって、この番組に出られたら即、全国的に知られるという登竜門だもあったのね。
で、土居さんは深夜放送「セイ!ヤング」のパーソナリティ。
前にも書いたけど、当時、「視聴者様」というノリのアナウンス・スタイルに対して、土居さんは「おまえ」呼ばわり。で、始末書、謹慎処分。本名じゃ放送させてもらえなかった。
土居まさるって、アナウンサー・ネーム(そんなのあっか?)なんだよね。
ついでにいうと、みのさんもそうだよ。
いま、文化放送は浜松町の駅前にドーンとあります。昔は、四谷にあったの。だから、四谷村なの。新宿ゴールデン街とは目と睫の先かな。
芸能プロダクションも周囲にたくさんありました。いまだって、サンミュージック(松田聖子さんとか森田健作さんがいたな)があるもんね。
団塊の連中なんて、文化放送にはかなりお世話になったんじゃないかな。
ブラームス(ハイドンじゃなかったんだ)の「大学祝典序曲」ではじまる「大学受験講座」。これ、聞いてたねぇ。たんなる受験指導じゃなくて、受験生に向けてメッセージ性があったもの。
たとえば、1月〜2月くらいになると受験もピークでしょ。すっと、この番組も1クール終わるわけよ。で、最後の放送の時には各講師がメッセージを送ってくれるんだよね。勝浦捨造先生なんて、三高の「紅燃ゆる」を唄ったりしてね。
大学入ると聞かなくなんだけど(当たり前か)、これは聞いてたなぁ。
でも、やっぱ「セイ!ヤング」かな。最高だったね。
せんだみつお、好きだったな。谷村・バンバンも良かったよ。聴取率は深夜だけど5%もあったんだ。
天才、秀才、バカシリーズがうけてたなぁ。
天才芸者「竹千代でぇす」
秀才芸者「豆千代でえす」
バカ芸者「フェラ千代でぇす」
これしか知らんのか!(まっ、いいじゃん)。
落合恵子ちゃん、通称、レモンちゃんね。
この人、女子アナ・アイドルの元祖じゃねぇの? TBSのケンケンなんてずっと後だもんね。
清楚でさ、放送も、恋愛とか人生とかと四つに組んで話してたね。きまじめなんだろうね、性格もきっと。美人でさ、私らニキビ面の中学生には近寄りがたい存在だったなぁ。
文化放送というと、社会派の放送をすることでも有名だったよね。報道部といっても、テレビやテレビ系列のラジオとはちがうから独自に取材してたでしょ?
で、この文化放送の取材が決め手になった事件があるんだよね。
「吉展ちゃん事件」だよ。
私より少し上の世代には忘れられないんじゃないかな。
1963年3月31日に、吉展ちゃんが入谷南公園から姿を消します。
2日後、犯人から身代金要求の電話。50万円だよ(時代を感じるね)。
犯人は小原保という男。警察は任意で引っ張ったんだけど、アリバイがあってね。結局、捜査本部は2年後に解散。あとはケーゾク捜査だよ。
文化放送の報道部では、この小原に飲み屋でインタビューに成功してるのよ。もち、デンスケ(ソニー製)で録音。
「落としの八兵衛」こと、平塚刑事が担当すると状況が変わるんだ。警視庁本部で、みなにこの録音を聞かせると、あの身代金要求犯の声とそっくり。
「あいつだ!」とばかりに、小原について3度目の捜査開始。平塚刑事の執拗なアリバイ崩しが功を奏して、とうとう自供すんだよ。
文化放送は警視庁から表彰されたね。
文化放送は学生時代の私にとっても大きな影響を与えた。この放送番組のおかげで楽しく生きられた、と思う。心から感謝、深謝してますよ。
いま、ラジオの本、書いてるんだけど、ラジオって本当に素敵だよね。280円高。