2007年05月27日「組織の興亡」「売れない役者」「怪老の鱗」
今回も抜けてた3冊をフォローしますね。これでホームページ時代の「通勤快読」をすべて掲載してることになります。熱心な愛読者がいて、「ここ、抜けてるよ」と指摘してくれるんですよね。
ホッとしますわ。
1「組織の興亡」 日下公人・三野正洋著 WAC 1500円
日下さんは文化産業論を引っさげてエコノミストとしてデビューした論客。三野さんは日大で基礎科学を講義する大学の先生。二人ともほとんどライフワークのように軍事研究を続けてきた人だ。その知識は戦車、戦闘機、銃器の設計から戦術、戦略まで膨大である。
やっぱり、子どもの頃から好きで好きでという「軍事オタク」でなければここまで詳しくはなれないだろう。実はエコノミストの長谷川慶太郎さんも底知れないほどの軍事通で、自衛隊幹部学校で講義をしているほどなのだ。
本書は、日本陸軍という強大な組織の善と悪を率直に評価して、組織論、リーダー論、文化文明論を論じた力作だと思う。
読めば読むほど、「戦争はリーダーでやるものだ」ということを痛感する。日本軍のベンチ(高級軍事官僚)はホントにアホだった。「ベンチがアホやから野球がでけへん」と言った人はいま参議院議員だが、アホなベンチのために現場の将官や兵隊は本当に苦労したと思う。とくに関東軍参謀を務めた辻政信という輩は赴任するところですべて問題を起こしている。ノモンハン事件、バターン死の行進、シンガポール華僑殺害事件など、いずれも指揮命令系統を無視した独断専行で日本軍の評判を地に落とした非国民としか言いようがない。
しかし、いつの時代もこういう人間に限って要人に取り入るのがうまく、問題を起こしても罰せされることなく、東条英機の秘蔵っ子として昇進していくところに日本陸軍という組織が崩壊(=日本崩壊)していかざるを得ない要因、というか必然性があった。
それにしても、教科書や正史ではお目にかかれない隠れたエピソードが満載だ。たとえば、日本陸軍が大勝利を収めたのは実は終戦後だった。昭和二十年八月十八日、千島列島最北端の占守島にソ連が兵一万をもって突然、侵攻を開始する。ソ連得意の火事場泥棒である。これに対する日本軍はすでに終戦だから、兵器を破壊し弾薬を処分しはじめていた。
にもかかわらず、ソ連は甚大な損害を出し、丸二日間の戦闘の後、停戦しているのである。これで第二次世界大戦は終焉を迎える。いま、カムチャッカにあるロシアの軍事博物館にも占守島の戦いで大損害を受けたという記録が残っている。
戦争は政治の破綻ではなく、剥き出しの継続である。一国の興亡はリーダーですべて決まる。
本書を読んで、いまの政治家に目を転じるとき、真夏に冷や汗が流れてやまない。どんな怪談よりも怖ろしくなる。250円高。
2「売れない役者」 森川正太著 はまの出版 1300円
ほとんど本はネットで買っているが、それでも書店には二日に一回は顔を出していると思う。ランチの帰りとか飲み会の前にぶらっと寄ったりしているのだ。これはサラリーマン時代に出版社に勤めていたからではない。小学生時代から続いている習慣なのである。
どうして書店が好きか。一言で言えば、静かだからである。「シーン」というわけではないところがまたいい。二番目にはやっぱり「出会い」を期待していると思う。キーマンネットワークという勉強会を24歳から道楽で続けている理由も、「生きているうちに楽しい人に会いたい」という一念からだが、本とのつき合い方もそんなところにあるのかもしれない。三番目には‥‥‥‥まぁ、いろいろあるけどもうやめておこう。
森川正太さんと言えば、青春ドラマの名脇役として知られた人だ。「おれは男だ!」とか「飛び出せ!青春」とかにも出てたし、何と言っても、「俺たちの旅」のワカメ役が好きだった。実はこの番組が好きで、高校時代、早引きしてまで毎日かじりついて見ていた。原作も読みたくて探したが、たしか読売出版社から原作が出ていたはずだが、すでに絶版になっていて、大学生のときに本気で大学街の古本屋を歩き回ったことがあった。
いまやビデオも発売されているから簡単に見られるようになった。レンタル屋さんで借りてきた。すべて見た。それも今年だけで三回も繰り返している。ワカメは第七話に初登場したことまでインプットしている。
森川さんの出番はこの一話だけで終わりらしかったが、「なんか面白い」ということでそのままレギュラーになってしまった。実際、構成としてはカースケ、オメダ、グズロクだけでは少し物足りない。そこにワカメという衛星がふらっと飛んだり、金沢碧や壇ふみ、いろは食堂の名古屋章とか水原有紀が絡んで、楽しい仲間をさらに盛り上げていたのだ。橋田寿賀子のドラマとは対極にある若者文化がそこにはぷんぷんしていたと思う。
さて、いま森川さんは俳優を本業に(そういえば、「ミナミの帝王」にもゲスト出演していたな)、それでは食べられないので結婚式の司会業をメインの副業として活躍しているらしい。だから、この本には共演者たちのユニークな一面や結婚式での面白話が満載されている。
唯一、悪口を言っているのが森田健作大先生のことだ。とにかく、この人は自分勝手な人らしい。「俺は男だ!」の時から喧嘩ばかりしていたらしい。寅さん映画の御前様といえば笠智衆さんだが、笠さんは森田健作のじいさま役で出演していたが、寒い海岸ロケでも笠さんはじめ出演者全員を寒風のなかで待たせてたまま、森田健作は一人だけ石油缶の焚き火に当たっていたという。それでみんなと喧嘩になって、笠さんから窘められたらしい。
こういう人間だからこそ選挙で勝てたのだろう。敬服してやまない(わたしにはできないけど)。
あと、橋本龍太郎という政治家(元総理、ここ数年続く不況の元凶と言われている人だ)がいるが、この人が結婚式にやってきたときの話や気配り溢れる松方弘樹さんのことなど、生の人間像がかいま見えて面白い。やっぱり、人間というのはどんなに気をつけても、化粧でごまかしても、中身がともなわないとひょんなところから浮き彫りになってくるんだな。好著です。200円高。
3「怪老の鱗」 団鬼六著 光文社 1500円
団鬼六さんというとSM小説の鬼才、SM小説の帝王などと呼ばれているけど、この人ほど味のあるエッセイを書く人は稀だと思う。
彼のSM小説も読んだことがあるが、どうもつまらなくて途中で放り出してしまった。彼にとってはエッセイのほうを放り出してもらいたいと思うかもしれないけど、やっぱり人には波長というものがあるのだろう。そういえば、椎名誠さんの本もあのはちゃめちゃエッセイは読んでもいいけど、小説の類は食指がまったく動かない。それと同じだ。
というわけで、団さんの本は小説以外はすべて読んでいる。あの名著『真剣師 小池重明』もキーマンネットワークのメンバーでもあるイーストプレス社の小林さんのところが親本で、文庫は幻冬社から出版されている。出たときには、「これは傑作だ。きっと映画になる」とファックスを入れたけれども、まだ現実のものとはなっていない。けど、きっとなると思うな(「驚き桃ノ木二十世紀」というテレ朝系の一時間番組では特集された)。
さて、本書に掲載されたエッセイはほとんど知ってる内容だったけど、少しつけ加えていたりして二度読んでも面白かった。面白い本は何度読んでも面白い。ただし、あの話がない。いちばん面白かった話がない(独断です)。
そこで、それだけサービスとして紹介しておこうと思う(わたしの本でも紹介したと思うが)。
それは「クズ屋さん」というたいとるのエッセイなんだけど、大阪の阪急沿線で大きな鉄工所を経営する人間との出会いについて書いているのだ。
主人公はいまや建築工務店、土木業からゴルフ場経営。芦屋の自宅にもゴルフの練習場、そして錦鯉が悠々と泳ぐ日本庭園も完備している。団さんはその人と年一回、趣味の将棋を指すことにしているそうだ。
どんなきっかけで知り合ったか。話は三十年以上前に遡る。
当時、新橋駅東口周辺一体の飲み屋街は国際マーケットと呼ばれ、新宿ゴールデン街に似たような毒々しい雰囲気に包まれていた。団さんはそのマーケットで小さな酒場を経営していた。小説が当たり、しかも映画化で印税や原作料などがたくさん入って有頂天になり、ホステスにねだられ酒場を買ったわけだ。彼女をママにさせたものの、あっという間に潰れてしまう。しかもママにした女は実はバーテンとできていて集金を持って駆け落ちされてしまうのだ。踏んだり蹴ったりとはこのことだ。団さん、二十代半ばの頃のエピソードである。
団さんは仕入れ先への支払いや従業員の給料で首が回らなくなる。街金融に三○万の借金を申し込んでもダメ。大卒の初任給一万円という時代の三○万円だ。打ちひしがれて、早めに店にやって来て日も明るいなかから酒を飲む。
すると店の裏口からいつものクズ屋がのっそりと入ってきた。いつものように、カウンターの下に転がっているビールや洋酒の空き瓶を回収する。ボロを継ぎ足した汚い身なりで、いかにもクズ屋らしいクズ屋だが、このクズ屋、将棋がかなり強い。団さんはそれを知っているから、営業時間前に顔を合わせると店の中でよく将棋を指した。
その日も将棋好きのクズ屋は団さんに駒を動かす手つきを見せる。けれども、さすがにそんな気分にはなれない。 ぼんやり虚ろな目を一点に向ける彼を不思議そうに見上げ、クズ屋はいつもの通りにカウンターの下から折り畳み式の将棋盤を取り出してパチパチと駒を並べ出した。
「今日はだめだ、こっちは将棋どころの騒ぎではないんだ」
「どないしはりましたんや」
「お前さんには関係のないことだよ。早く将棋盤を片づけてくれ。金の問題で頭が痛いんだ。当てにしてた三○万が間に合わなくなって少し気が立ってるんだ」
クズ屋は苦笑いしながら、空き瓶を詰め込んだズタ袋をそのまま置いて裏口からスッと抜け出て行ってしまった。
しばらく経つと、土砂降りの雨、裏手につないだ雑種犬がけたたましく吠え出す。それはクズ屋が来たという証拠。めったに吠えない犬だが、このクズ屋に対してだけは親の仇のようにいつも吠えかかっていたという。
クズ屋はずぶ濡れになった体で椅子に座ると、ボロ布でできた上着の胴のあたりをまくり上げ、すりきれたバンドに挟んであった新聞紙の包みを抜き取ってポンと団さんの前に置くと、再び将棋の駒を並べはじめる。
「焼芋を買ってきたんだな、こいつ」と団さんは駒を並べ出した。
「その新聞紙の中に三○万円ありまっせ」
「エッ」
「あんさんだったら信用できるさかい、貸してあげまっさ」
冗談だと思って包みを解くと、五千円札と千円札が無造作にぎっしり(当時、一万円札はまだなかった)。
「それだけあったら落ち着いて将棋を指す気になりまっしゃろ、今日は俺が先手や」
右から左へ自由になるような額ではない。食うものも食わずコツコツため込んだ金。それをあんたなら信用できるとポンとテーブルの上に置くクズ屋を見て、ただ者ではないと団さんは感じる。そのクズ屋が言う。
「あるように見えてない、ないように見えてある、というのが金というもんですわ」
酒場でのエピソードにはこんなこともあった。
当時、高橋貞二という映画界を二分する美男スターが店にやって来た。彼を連れてきた友人と団さんは盛り上がって、「これから横浜のクラブへ飲みに行こう」ということになった。
「さぁ出よう」という時になって、昼間会ったサンドイッチマンがやってきた。実は今夜、将棋をやろうという約束をしていたのだ。普段、話もしたことがない奴だが、暇そうに見えたので「将棋でもやるか」と声をかけたら乗ってきたのだ。それで団さんだけが行けなくなった。将棋もあっという間に終わった。
「いま頃、きれいなホステスを何人も侍らせて呑んでるんだな」とがっくり来ていると、電話が鳴る。横浜に行く途中、酔っぱらい運転で街路樹に激突、三名死亡、一人重傷という知らせである。
もし、昼間、このサンドイッチマンを何の気無しに誘わなかったら、もし彼が一分でも彼の来る時間が遅かったら、おそらく団さんは死亡か重傷のどちらかの運命だったことは確実である。将棋を指せたお陰で死刑を免れたようなものだ。
また、逆のこともある。
団さんがご執心のホステスからある日、突然、電話がかかってきた。しかも、「今夜会いたい」という夢のような申し出である。
ところが、その日は大阪通天閣の将棋指南役として有名な真剣師である太田学さん(NHKの『ふたりっ子』という連ドラで中村嘉津夫さんがやった役)がやってくる日なのだ。だから、どうしても団さんは出られない。どっちを選ぶか最後まで迷う。そのため、将棋を指している間じゅう何度も何度も後悔する。おかげで将棋はめちゃめちゃ。
彼女は団さんの代わりに馴染みの建設会社に勤務する男を呼び出す。その男は大事な取引先との約束があるにもかかわらず、それを日延べして彼女と落ち合った。実はこれがきっかけで結婚することになる。
その後、すぐに彼は独立する。そして小さな建設会社を創業するのだが、会社は波に乗り、社員も百人を突破して創立記念パーティを赤坂のホテルでやるという。招待状を受けた団さんが出かけていくと、そこには政財界のVIPから芸能人まで顔を出している。洋装、和装の美女がたくさんいる中、際立って冴えた美女に注目すると、それがなんと社長婦人に収まっているあのホステスである。
「彼はついてるなぁ……」「あの日、電話の呼び出しを受けたとき、俺が彼のところに行っていたら……」
当時、団さんの運はジェットコースターのように急降下していたのだ。
横浜の景勝地に地下一階、地上三階の豪邸を建築。「人間は遊ぶことが本性にかなった生き方だ」とにわかに休筆宣言。老後の楽しみになるやも知れぬと、旧アマ将棋連盟が投げ出した機関誌「将棋ジャーナル」を買いとって発刊。来客のために屋上ビアガーデンを作り、将棋の対局室に大広間を設置。
ところが、小説の印税を支払ってくれる出版社が相ついで倒産。乾坤一擲で買いに出た商品相場が暴落して大損。バブル崩壊で銀行は融資をストップ。長男と長女は結婚して家を出る。義母は死亡する。十五室もあって手放すにも手放せない広い家にポツンとくらしているのは三人ぽっきり。道楽で始めた「将棋ジャーナル」は毎月赤字の連続で遂に廃刊。債権者の電話。好景気時代に蒐集した十数本の日本刀も全部売り払う始末。
運命は実に些細なことから明暗を分けてしまうものである。
団さんにしても、将棋を指す約束を守ったことで一命を拾い、また将棋を指すという先約を守ったことで惚れた女を他人に取られるばかりか、運まで突き放してしまう。けれど、この出来事が何を暗示しているのか、何を教えようとしているのかと耳を傾けたとき、運命はがらりと変わるような気がする。
その後、団さんと場末の小料理屋で隣り合わせになったことがある。縁とははなはだ不思議なものである。人間は縁に厳粛にならないといけない。300円高。
ホッとしますわ。
1「組織の興亡」 日下公人・三野正洋著 WAC 1500円
日下さんは文化産業論を引っさげてエコノミストとしてデビューした論客。三野さんは日大で基礎科学を講義する大学の先生。二人ともほとんどライフワークのように軍事研究を続けてきた人だ。その知識は戦車、戦闘機、銃器の設計から戦術、戦略まで膨大である。
やっぱり、子どもの頃から好きで好きでという「軍事オタク」でなければここまで詳しくはなれないだろう。実はエコノミストの長谷川慶太郎さんも底知れないほどの軍事通で、自衛隊幹部学校で講義をしているほどなのだ。
本書は、日本陸軍という強大な組織の善と悪を率直に評価して、組織論、リーダー論、文化文明論を論じた力作だと思う。
読めば読むほど、「戦争はリーダーでやるものだ」ということを痛感する。日本軍のベンチ(高級軍事官僚)はホントにアホだった。「ベンチがアホやから野球がでけへん」と言った人はいま参議院議員だが、アホなベンチのために現場の将官や兵隊は本当に苦労したと思う。とくに関東軍参謀を務めた辻政信という輩は赴任するところですべて問題を起こしている。ノモンハン事件、バターン死の行進、シンガポール華僑殺害事件など、いずれも指揮命令系統を無視した独断専行で日本軍の評判を地に落とした非国民としか言いようがない。
しかし、いつの時代もこういう人間に限って要人に取り入るのがうまく、問題を起こしても罰せされることなく、東条英機の秘蔵っ子として昇進していくところに日本陸軍という組織が崩壊(=日本崩壊)していかざるを得ない要因、というか必然性があった。
それにしても、教科書や正史ではお目にかかれない隠れたエピソードが満載だ。たとえば、日本陸軍が大勝利を収めたのは実は終戦後だった。昭和二十年八月十八日、千島列島最北端の占守島にソ連が兵一万をもって突然、侵攻を開始する。ソ連得意の火事場泥棒である。これに対する日本軍はすでに終戦だから、兵器を破壊し弾薬を処分しはじめていた。
にもかかわらず、ソ連は甚大な損害を出し、丸二日間の戦闘の後、停戦しているのである。これで第二次世界大戦は終焉を迎える。いま、カムチャッカにあるロシアの軍事博物館にも占守島の戦いで大損害を受けたという記録が残っている。
戦争は政治の破綻ではなく、剥き出しの継続である。一国の興亡はリーダーですべて決まる。
本書を読んで、いまの政治家に目を転じるとき、真夏に冷や汗が流れてやまない。どんな怪談よりも怖ろしくなる。250円高。
2「売れない役者」 森川正太著 はまの出版 1300円
ほとんど本はネットで買っているが、それでも書店には二日に一回は顔を出していると思う。ランチの帰りとか飲み会の前にぶらっと寄ったりしているのだ。これはサラリーマン時代に出版社に勤めていたからではない。小学生時代から続いている習慣なのである。
どうして書店が好きか。一言で言えば、静かだからである。「シーン」というわけではないところがまたいい。二番目にはやっぱり「出会い」を期待していると思う。キーマンネットワークという勉強会を24歳から道楽で続けている理由も、「生きているうちに楽しい人に会いたい」という一念からだが、本とのつき合い方もそんなところにあるのかもしれない。三番目には‥‥‥‥まぁ、いろいろあるけどもうやめておこう。
森川正太さんと言えば、青春ドラマの名脇役として知られた人だ。「おれは男だ!」とか「飛び出せ!青春」とかにも出てたし、何と言っても、「俺たちの旅」のワカメ役が好きだった。実はこの番組が好きで、高校時代、早引きしてまで毎日かじりついて見ていた。原作も読みたくて探したが、たしか読売出版社から原作が出ていたはずだが、すでに絶版になっていて、大学生のときに本気で大学街の古本屋を歩き回ったことがあった。
いまやビデオも発売されているから簡単に見られるようになった。レンタル屋さんで借りてきた。すべて見た。それも今年だけで三回も繰り返している。ワカメは第七話に初登場したことまでインプットしている。
森川さんの出番はこの一話だけで終わりらしかったが、「なんか面白い」ということでそのままレギュラーになってしまった。実際、構成としてはカースケ、オメダ、グズロクだけでは少し物足りない。そこにワカメという衛星がふらっと飛んだり、金沢碧や壇ふみ、いろは食堂の名古屋章とか水原有紀が絡んで、楽しい仲間をさらに盛り上げていたのだ。橋田寿賀子のドラマとは対極にある若者文化がそこにはぷんぷんしていたと思う。
さて、いま森川さんは俳優を本業に(そういえば、「ミナミの帝王」にもゲスト出演していたな)、それでは食べられないので結婚式の司会業をメインの副業として活躍しているらしい。だから、この本には共演者たちのユニークな一面や結婚式での面白話が満載されている。
唯一、悪口を言っているのが森田健作大先生のことだ。とにかく、この人は自分勝手な人らしい。「俺は男だ!」の時から喧嘩ばかりしていたらしい。寅さん映画の御前様といえば笠智衆さんだが、笠さんは森田健作のじいさま役で出演していたが、寒い海岸ロケでも笠さんはじめ出演者全員を寒風のなかで待たせてたまま、森田健作は一人だけ石油缶の焚き火に当たっていたという。それでみんなと喧嘩になって、笠さんから窘められたらしい。
こういう人間だからこそ選挙で勝てたのだろう。敬服してやまない(わたしにはできないけど)。
あと、橋本龍太郎という政治家(元総理、ここ数年続く不況の元凶と言われている人だ)がいるが、この人が結婚式にやってきたときの話や気配り溢れる松方弘樹さんのことなど、生の人間像がかいま見えて面白い。やっぱり、人間というのはどんなに気をつけても、化粧でごまかしても、中身がともなわないとひょんなところから浮き彫りになってくるんだな。好著です。200円高。
3「怪老の鱗」 団鬼六著 光文社 1500円
団鬼六さんというとSM小説の鬼才、SM小説の帝王などと呼ばれているけど、この人ほど味のあるエッセイを書く人は稀だと思う。
彼のSM小説も読んだことがあるが、どうもつまらなくて途中で放り出してしまった。彼にとってはエッセイのほうを放り出してもらいたいと思うかもしれないけど、やっぱり人には波長というものがあるのだろう。そういえば、椎名誠さんの本もあのはちゃめちゃエッセイは読んでもいいけど、小説の類は食指がまったく動かない。それと同じだ。
というわけで、団さんの本は小説以外はすべて読んでいる。あの名著『真剣師 小池重明』もキーマンネットワークのメンバーでもあるイーストプレス社の小林さんのところが親本で、文庫は幻冬社から出版されている。出たときには、「これは傑作だ。きっと映画になる」とファックスを入れたけれども、まだ現実のものとはなっていない。けど、きっとなると思うな(「驚き桃ノ木二十世紀」というテレ朝系の一時間番組では特集された)。
さて、本書に掲載されたエッセイはほとんど知ってる内容だったけど、少しつけ加えていたりして二度読んでも面白かった。面白い本は何度読んでも面白い。ただし、あの話がない。いちばん面白かった話がない(独断です)。
そこで、それだけサービスとして紹介しておこうと思う(わたしの本でも紹介したと思うが)。
それは「クズ屋さん」というたいとるのエッセイなんだけど、大阪の阪急沿線で大きな鉄工所を経営する人間との出会いについて書いているのだ。
主人公はいまや建築工務店、土木業からゴルフ場経営。芦屋の自宅にもゴルフの練習場、そして錦鯉が悠々と泳ぐ日本庭園も完備している。団さんはその人と年一回、趣味の将棋を指すことにしているそうだ。
どんなきっかけで知り合ったか。話は三十年以上前に遡る。
当時、新橋駅東口周辺一体の飲み屋街は国際マーケットと呼ばれ、新宿ゴールデン街に似たような毒々しい雰囲気に包まれていた。団さんはそのマーケットで小さな酒場を経営していた。小説が当たり、しかも映画化で印税や原作料などがたくさん入って有頂天になり、ホステスにねだられ酒場を買ったわけだ。彼女をママにさせたものの、あっという間に潰れてしまう。しかもママにした女は実はバーテンとできていて集金を持って駆け落ちされてしまうのだ。踏んだり蹴ったりとはこのことだ。団さん、二十代半ばの頃のエピソードである。
団さんは仕入れ先への支払いや従業員の給料で首が回らなくなる。街金融に三○万の借金を申し込んでもダメ。大卒の初任給一万円という時代の三○万円だ。打ちひしがれて、早めに店にやって来て日も明るいなかから酒を飲む。
すると店の裏口からいつものクズ屋がのっそりと入ってきた。いつものように、カウンターの下に転がっているビールや洋酒の空き瓶を回収する。ボロを継ぎ足した汚い身なりで、いかにもクズ屋らしいクズ屋だが、このクズ屋、将棋がかなり強い。団さんはそれを知っているから、営業時間前に顔を合わせると店の中でよく将棋を指した。
その日も将棋好きのクズ屋は団さんに駒を動かす手つきを見せる。けれども、さすがにそんな気分にはなれない。 ぼんやり虚ろな目を一点に向ける彼を不思議そうに見上げ、クズ屋はいつもの通りにカウンターの下から折り畳み式の将棋盤を取り出してパチパチと駒を並べ出した。
「今日はだめだ、こっちは将棋どころの騒ぎではないんだ」
「どないしはりましたんや」
「お前さんには関係のないことだよ。早く将棋盤を片づけてくれ。金の問題で頭が痛いんだ。当てにしてた三○万が間に合わなくなって少し気が立ってるんだ」
クズ屋は苦笑いしながら、空き瓶を詰め込んだズタ袋をそのまま置いて裏口からスッと抜け出て行ってしまった。
しばらく経つと、土砂降りの雨、裏手につないだ雑種犬がけたたましく吠え出す。それはクズ屋が来たという証拠。めったに吠えない犬だが、このクズ屋に対してだけは親の仇のようにいつも吠えかかっていたという。
クズ屋はずぶ濡れになった体で椅子に座ると、ボロ布でできた上着の胴のあたりをまくり上げ、すりきれたバンドに挟んであった新聞紙の包みを抜き取ってポンと団さんの前に置くと、再び将棋の駒を並べはじめる。
「焼芋を買ってきたんだな、こいつ」と団さんは駒を並べ出した。
「その新聞紙の中に三○万円ありまっせ」
「エッ」
「あんさんだったら信用できるさかい、貸してあげまっさ」
冗談だと思って包みを解くと、五千円札と千円札が無造作にぎっしり(当時、一万円札はまだなかった)。
「それだけあったら落ち着いて将棋を指す気になりまっしゃろ、今日は俺が先手や」
右から左へ自由になるような額ではない。食うものも食わずコツコツため込んだ金。それをあんたなら信用できるとポンとテーブルの上に置くクズ屋を見て、ただ者ではないと団さんは感じる。そのクズ屋が言う。
「あるように見えてない、ないように見えてある、というのが金というもんですわ」
酒場でのエピソードにはこんなこともあった。
当時、高橋貞二という映画界を二分する美男スターが店にやって来た。彼を連れてきた友人と団さんは盛り上がって、「これから横浜のクラブへ飲みに行こう」ということになった。
「さぁ出よう」という時になって、昼間会ったサンドイッチマンがやってきた。実は今夜、将棋をやろうという約束をしていたのだ。普段、話もしたことがない奴だが、暇そうに見えたので「将棋でもやるか」と声をかけたら乗ってきたのだ。それで団さんだけが行けなくなった。将棋もあっという間に終わった。
「いま頃、きれいなホステスを何人も侍らせて呑んでるんだな」とがっくり来ていると、電話が鳴る。横浜に行く途中、酔っぱらい運転で街路樹に激突、三名死亡、一人重傷という知らせである。
もし、昼間、このサンドイッチマンを何の気無しに誘わなかったら、もし彼が一分でも彼の来る時間が遅かったら、おそらく団さんは死亡か重傷のどちらかの運命だったことは確実である。将棋を指せたお陰で死刑を免れたようなものだ。
また、逆のこともある。
団さんがご執心のホステスからある日、突然、電話がかかってきた。しかも、「今夜会いたい」という夢のような申し出である。
ところが、その日は大阪通天閣の将棋指南役として有名な真剣師である太田学さん(NHKの『ふたりっ子』という連ドラで中村嘉津夫さんがやった役)がやってくる日なのだ。だから、どうしても団さんは出られない。どっちを選ぶか最後まで迷う。そのため、将棋を指している間じゅう何度も何度も後悔する。おかげで将棋はめちゃめちゃ。
彼女は団さんの代わりに馴染みの建設会社に勤務する男を呼び出す。その男は大事な取引先との約束があるにもかかわらず、それを日延べして彼女と落ち合った。実はこれがきっかけで結婚することになる。
その後、すぐに彼は独立する。そして小さな建設会社を創業するのだが、会社は波に乗り、社員も百人を突破して創立記念パーティを赤坂のホテルでやるという。招待状を受けた団さんが出かけていくと、そこには政財界のVIPから芸能人まで顔を出している。洋装、和装の美女がたくさんいる中、際立って冴えた美女に注目すると、それがなんと社長婦人に収まっているあのホステスである。
「彼はついてるなぁ……」「あの日、電話の呼び出しを受けたとき、俺が彼のところに行っていたら……」
当時、団さんの運はジェットコースターのように急降下していたのだ。
横浜の景勝地に地下一階、地上三階の豪邸を建築。「人間は遊ぶことが本性にかなった生き方だ」とにわかに休筆宣言。老後の楽しみになるやも知れぬと、旧アマ将棋連盟が投げ出した機関誌「将棋ジャーナル」を買いとって発刊。来客のために屋上ビアガーデンを作り、将棋の対局室に大広間を設置。
ところが、小説の印税を支払ってくれる出版社が相ついで倒産。乾坤一擲で買いに出た商品相場が暴落して大損。バブル崩壊で銀行は融資をストップ。長男と長女は結婚して家を出る。義母は死亡する。十五室もあって手放すにも手放せない広い家にポツンとくらしているのは三人ぽっきり。道楽で始めた「将棋ジャーナル」は毎月赤字の連続で遂に廃刊。債権者の電話。好景気時代に蒐集した十数本の日本刀も全部売り払う始末。
運命は実に些細なことから明暗を分けてしまうものである。
団さんにしても、将棋を指す約束を守ったことで一命を拾い、また将棋を指すという先約を守ったことで惚れた女を他人に取られるばかりか、運まで突き放してしまう。けれど、この出来事が何を暗示しているのか、何を教えようとしているのかと耳を傾けたとき、運命はがらりと変わるような気がする。
その後、団さんと場末の小料理屋で隣り合わせになったことがある。縁とははなはだ不思議なものである。人間は縁に厳粛にならないといけない。300円高。