2007年06月17日「善き人のためのソナタ」
カテゴリー中島孝志の不良映画日記」
この前、シネスイッチ銀座で映画終わるたびに拍手してたオババがいたけど、今日は私も拍手しそうになっちゃった。
文句なしにいい映画。この3年間、少なくとも映画館で150本、DVDで300本は観てると思うけどベスト3に入ります。
あとの2つ? ♪ヒミツ、ヒミツ、ヒ・ミ・ツのあっこちゃん!
アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされてるらしいけど、これ、決まりでしょ。
実は今日、最終日だったの。1日に1回しか上映しないから、これ逃すと、かつての「エンロン」みたいにずっと待たないといけなくなるけんね。慌てて飛び込みましたよ。
国家(体制)ですら変わるんだもの、人1人、変わらないわけがありませんよね。
さて、舞台は1984年の東ベルリン。てことは、東西冷戦下の最終段階。てことは、いちばん弾圧が激しかった頃。けど、「壁」には確実に亀裂が走っていたはずだよ。
西ドイツが東を呑み込むカウントダウンが数えられている時、「ベルリンの壁」の向こう側ではいったい何が起こっていたのか?
こんな骨太のテーマをよくまぁこれだけ詩的に、かつ音楽的に、淡々と語らせたもんですな。
たまりまへんなぁ。ハリウッド映画がアンディ・ウォホールの絵だとしたら、これは一幅の山水画でんな。ドイツ映画の真骨頂が120%出てますなぁ。
東ドイツという国は、200%、監視国家。いやでしょ、国家保安省とか安全保安局とか秘密警察とか・・・こんなのにいちいちマークされるなんて、息が詰まっちゃう。
なにが嫌かって、「役人」に真善美についてご意見されたくないんだよ。
いまもこんな国がたくさんあんだよね。日本だって戦中はそうだったし、いまだって検閲や自主規制はなくなっちゃいないからね。
けど、共産圏のそれは半端じゃないもんなぁ。文化大革命の時、父親を告発した子どもが賞賛されたという中国の「美談」もあったりしてね。
1人の人間である前に「党の奴隷」なんてごめんだよな。
基本的にはラブストーリー。「セカチュー」等のガキの恋愛映画に飽きた方にはとくにお勧め。
おもな登場人物は5人。まず、国家保安省(シュタージ)の忠実な大尉ヴィースラー。その上官で権力志向のグルビッツ。劇作家のドライマン。その恋人であり舞台女優のクリスタ(これがフェロモンたっぷりの女優なんだよ。涎を垂らしながら観てました)。クリスタに横恋慕する大臣。
大臣はクリスタ欲しさもあって、ドライマンが反体制的である証拠をつかむように命じる。成功すれば昇進が約束されてるわけ。グルビッツは目の色を変えるけど、党と国家に忠実なヴィースラーは淡々と職務を遂行するだけ。
で、徹底的に盗聴が始まるんだけど、当のヴィースラーでさえ予期しなかったことが起こります。2人の自由で創造的な世界に近づくうちに、自分が変わりつつあることに気づくんだよ。「この俺が!?」ってハッとしただろうね。
それに、彼自身、クリスタに惹かれてたんだ。
そんなある日、事件が起こります。ドライマンの作品を長らく演出してきたイェルスカが自殺したんだ。
彼は当局から反体制的人間としてすべての仕事を干されていたんだ。死の直前、ドライマンの誕生日にやってきて、「善き人のためのソナタ」という楽譜をドライマンに贈るわけ。
彼が亡くなった日、ドライマンはピアノでその曲を奏でます。ヴィースラーは盗聴器を通じてその美しい音色に聴き入るのさ。
「レーニンはベートーベンのソナタ『情熱』が嫌いでね。革命を起こす気がなくなってしまうってね」
イェルスカの楽譜には、「この曲を本気で聴いた者は悪人になれない」というメッセージまであった。そうか、そうだったのか(久しぶりだなぁ、このフレーズ)。
この日以来、ヴィースラーは明確な意思をもって動き出すんだ・・・。
寡黙で雄弁な演技に脱帽! 日本人だとだれができるかなぁ。
主役のヴィースラー役のウルリッヒ・ミューエだけど、寡黙寡黙寡黙。必要最小限の言葉しか発しない。けど、だれよりも表現力に溢れてるんだ。
こういう役は役者にとって憧れだろうなぁ。
「ナチ」にせよ「シュタージ」にせよ、残念ながら、ドイツ人は未来永劫、この烙印を背負いながら映像を撮らなくちゃいけないんだろうな。「民族のカルマ」といってもいいかも。
もち、日本人もそうだろうし、アメリカもそう。
原爆落としても「早期戦争終結のため」なんて強弁するアメリカにしたって、「エノラゲイ」の飛行士は自殺してるし、ベトナム戦争以来、民族(というものはないけど)のカルマを同じように背負ってるんだよ。気づいてるかどうかは別にして・・・。
それにしても、監督のフロリアン・ヘンケルス・フォン・ドナースマルクはまだ34歳でっせ。これからどんな映画を撮るか、愉しみでんなぁ。
溢れる才能に乾杯!
文句なしにいい映画。この3年間、少なくとも映画館で150本、DVDで300本は観てると思うけどベスト3に入ります。
あとの2つ? ♪ヒミツ、ヒミツ、ヒ・ミ・ツのあっこちゃん!
アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされてるらしいけど、これ、決まりでしょ。
実は今日、最終日だったの。1日に1回しか上映しないから、これ逃すと、かつての「エンロン」みたいにずっと待たないといけなくなるけんね。慌てて飛び込みましたよ。
国家(体制)ですら変わるんだもの、人1人、変わらないわけがありませんよね。
さて、舞台は1984年の東ベルリン。てことは、東西冷戦下の最終段階。てことは、いちばん弾圧が激しかった頃。けど、「壁」には確実に亀裂が走っていたはずだよ。
西ドイツが東を呑み込むカウントダウンが数えられている時、「ベルリンの壁」の向こう側ではいったい何が起こっていたのか?
こんな骨太のテーマをよくまぁこれだけ詩的に、かつ音楽的に、淡々と語らせたもんですな。
たまりまへんなぁ。ハリウッド映画がアンディ・ウォホールの絵だとしたら、これは一幅の山水画でんな。ドイツ映画の真骨頂が120%出てますなぁ。
東ドイツという国は、200%、監視国家。いやでしょ、国家保安省とか安全保安局とか秘密警察とか・・・こんなのにいちいちマークされるなんて、息が詰まっちゃう。
なにが嫌かって、「役人」に真善美についてご意見されたくないんだよ。
いまもこんな国がたくさんあんだよね。日本だって戦中はそうだったし、いまだって検閲や自主規制はなくなっちゃいないからね。
けど、共産圏のそれは半端じゃないもんなぁ。文化大革命の時、父親を告発した子どもが賞賛されたという中国の「美談」もあったりしてね。
1人の人間である前に「党の奴隷」なんてごめんだよな。
基本的にはラブストーリー。「セカチュー」等のガキの恋愛映画に飽きた方にはとくにお勧め。
おもな登場人物は5人。まず、国家保安省(シュタージ)の忠実な大尉ヴィースラー。その上官で権力志向のグルビッツ。劇作家のドライマン。その恋人であり舞台女優のクリスタ(これがフェロモンたっぷりの女優なんだよ。涎を垂らしながら観てました)。クリスタに横恋慕する大臣。
大臣はクリスタ欲しさもあって、ドライマンが反体制的である証拠をつかむように命じる。成功すれば昇進が約束されてるわけ。グルビッツは目の色を変えるけど、党と国家に忠実なヴィースラーは淡々と職務を遂行するだけ。
で、徹底的に盗聴が始まるんだけど、当のヴィースラーでさえ予期しなかったことが起こります。2人の自由で創造的な世界に近づくうちに、自分が変わりつつあることに気づくんだよ。「この俺が!?」ってハッとしただろうね。
それに、彼自身、クリスタに惹かれてたんだ。
そんなある日、事件が起こります。ドライマンの作品を長らく演出してきたイェルスカが自殺したんだ。
彼は当局から反体制的人間としてすべての仕事を干されていたんだ。死の直前、ドライマンの誕生日にやってきて、「善き人のためのソナタ」という楽譜をドライマンに贈るわけ。
彼が亡くなった日、ドライマンはピアノでその曲を奏でます。ヴィースラーは盗聴器を通じてその美しい音色に聴き入るのさ。
「レーニンはベートーベンのソナタ『情熱』が嫌いでね。革命を起こす気がなくなってしまうってね」
イェルスカの楽譜には、「この曲を本気で聴いた者は悪人になれない」というメッセージまであった。そうか、そうだったのか(久しぶりだなぁ、このフレーズ)。
この日以来、ヴィースラーは明確な意思をもって動き出すんだ・・・。
寡黙で雄弁な演技に脱帽! 日本人だとだれができるかなぁ。
主役のヴィースラー役のウルリッヒ・ミューエだけど、寡黙寡黙寡黙。必要最小限の言葉しか発しない。けど、だれよりも表現力に溢れてるんだ。
こういう役は役者にとって憧れだろうなぁ。
「ナチ」にせよ「シュタージ」にせよ、残念ながら、ドイツ人は未来永劫、この烙印を背負いながら映像を撮らなくちゃいけないんだろうな。「民族のカルマ」といってもいいかも。
もち、日本人もそうだろうし、アメリカもそう。
原爆落としても「早期戦争終結のため」なんて強弁するアメリカにしたって、「エノラゲイ」の飛行士は自殺してるし、ベトナム戦争以来、民族(というものはないけど)のカルマを同じように背負ってるんだよ。気づいてるかどうかは別にして・・・。
それにしても、監督のフロリアン・ヘンケルス・フォン・ドナースマルクはまだ34歳でっせ。これからどんな映画を撮るか、愉しみでんなぁ。
溢れる才能に乾杯!