2007年08月03日「裕次郎時代」 百瀬博教著 WAC出版 1680円
裕次郎ブームですな。20周忌だもんね。今週からNHK・BSでは午後と夜に映画が放映され、昨日発売の「サライ」でも裕次郎特集。
しかし、もう20年かぁ。スターの中のスター。ヒーローは永遠だわな。
「私が初めて裕次郎と会ったのは昭和35年10月、ニュー・ラテン・クォーターである。
クラブの長い階段を1人で降りてきて、目の前に立った裕次郎の姿は、目の眩むほど清潔だった。それは育ちの良い青年という樹木が発する新鮮な光景であった」
「写真を撮らせてもらったあと、店のオーナーの夫人でありママでもあった山本浅子から裕次郎の席へ呼んでもらい、
ももちゃんは素直で気持ちのいい人よ
と最大級の褒め言葉とともに、正式に紹介してもらった。」
「熱血漢っていいな。僕はそういう男が好きなんです」
これが裕次郎の著者に対する印象だった。
会うは別れのはじめ、とは知らぬ私じゃないけれど・・・。
出会いがあれば別れがある。ならば、粋な別れをしようぜ。なんて、裕次郎の歌に「粋な別れ」って曲があったなぁ。
著者と裕次郎の別れは、昭和42年12月。この時、裕次郎はハワイに出かける途中、著者は拳銃不法所持の容疑で保釈中の身。事あれば裕次郎を護ろうというつもりで持ったモノが、結局、裕次郎に迷惑をかけることになってしまった。
とにかく下獄前に1日も早く詫びを言いたかった。
「元気か?」
「はい」
「じゃ行ってくる。帰ってきたら電話するからな」
これが裕次郎と最後に交わした言葉になってしまった・・・。
著者は当時、赤坂にあった「ニューラテン・クォーター」の用心棒。
半端な店ではない。ここはナット・キング・コールやサミー・デイビス・ジュニアが出演した店。つまり、日本のエンタテイメントの殿堂といってもいい店だった。
景気の良い時代、景気の良い店には、必ず裏社会の人間がやってくる。有名人、芸能人もやってくる。財界の連中もやってくる。そこに酒と女が絡めばトラブルが発生しないわけがない。で、用心棒がいるわけだ。
著者は立教の相撲部出身。いまでこそ痩せているが、当時は20歳そこそこ。100キロを超す大男。身体がでかいだけじゃ、この商売はやっていけない。なによりキモが座っているのだろう。
ところで、冒頭、石原慎太郎の「弟」(幻冬舎)に掲載された1枚の写真について著者が述べているが、これは思わず膝を叩いた。
当時、慎太郎が5〜6歳、裕次郎が3〜4歳くらいではなかろうか。ブレザーを着て海を見ている2人を、父親が後ろから撮影しているのだ。
これがなんとも自然体でほのぼのとしていいのである。この写真を見てから、私自身、意識して「無意識の被写体を撮ろう」と心がけたほどである。
普通なら、「こっちを向いて!」と正面を向かせるとこだが、そうはしない。このセンスに感心するのだ。著者になぜか親近感を覚えてしまった。
以前、「通勤快読」でこの構図は最高だな、と述べたことがあるが、著者もそうとう印象に残っていたのだろう。
そんな感受性の強い人間が、同じように感受性の強い男たち(裕次郎、慎太郎、その他無頼の人間たち)について書いている。
読んでいて気になったのは、「育ちの良さ」という言葉だ。何度も登場する。
人は自分にはないモノを求めたがるものだが、私は著者も育ちが良いように思えた。たぶん、この人は「育ちの良いような人間」が好きなのだろう。
たしかに裕次郎にしても、慎太郎にしても育ちが良い。育ちは隠せない。悪ぶっていても、猫をかぶっていても、「品」は出てしまうものだ。
それが教養だったり、優しさだったり、細やかさだったりするのだ。ひと言で言えば、「凛としている」ということだ。
だが、育ちの良さとは本当に育ちの良い人間だけに当てはまるモノでもない、と思う。
たとえば、著者が用心棒として丁々発止と渡り合ってきた男たちにしても、ある意味、育ちの良さがかいま見られるではないか。それは「作法」とか「筋」をなによりも大切にしているからだと思う。
アウトローでも作法を知らないヤツは話にならない。筋のとおらないヤツはバカにされる。作法も筋もない政治家や財界人のほうがよっぽどチンピラに近い。
さて、「裕次郎時代」とはいったいなんだったのだろうか?
戦禍で荒廃した状態から復活し、日本人が未来に向かって明るい夢を見られる頃に登場したヒーローだったのだと思う。裕次郎とは、いわば、時代が求めていた男なのだ。
それまでの芸能人のイメージを一変させたのも裕次郎だ。
今回初めて知ったのだが、慎太郎は弟をなんとか映画界に入れたくてかなり動いたらしい。しかし、すべてに断られるのだ。
背が高すぎる(足も長い)。色男じゃない。歯並びが悪い・・・。
いまでもそうだが、芸能界の男は小柄が多い(ジャニーズを見ればわかるだろう)。おかげで、でかい女優は敬遠される。ノミのカップルになってしまうからだ。
そんな中、日活に移ったばかりのプロデューサー水の江滝子だけが引き受けた。もちろん、日活の役員は全員大反対。
その慧眼やよし。デビュー作の「太陽の季節」でも主役にしたかったが、新米プロデューサーだったターキーには役員を向こうに回して押し切る力がなかった。だから、長門裕之主演でいくしかなかったんだけど、いまならわかるよな。
あの役は裕次郎でなきゃできないよ。長門じゃダサ過ぎるもん。いくら桑田佳祐に似てたってダメダメ。
けどさ、「狂った果実」の予告編観て笑っちゃった。「新人石原裕次郎」はいいよ。けど、「問題の人、石原慎太郎脚本」て大きく出てんの。ウケる。
東横線で、「カッコイイ男がいる」と女子大生やOLが噂しているのを聞いて、「自分のことか?」と慎太郎が自惚れ、後日、それが裕次郎だったとわかっても、「いや、やっぱりオレの方が」と自惚れていたらしい。
女の目は確かである。時代は裕次郎のようなヒーローを求めていたのだ。それは女性ばかりでなく、男も同じだと思う。悪ぶってるけれども、シャイで優しい男。都会風でスマート、足が長くてイカす男。
あの頃、給料遅配続きの日活をあっという間に復活させたのも、若者の夢を裕次郎がせっせと運んでいたからだと思う。それが「裕次郎時代」なのだと思う。300円高。
しかし、もう20年かぁ。スターの中のスター。ヒーローは永遠だわな。
「私が初めて裕次郎と会ったのは昭和35年10月、ニュー・ラテン・クォーターである。
クラブの長い階段を1人で降りてきて、目の前に立った裕次郎の姿は、目の眩むほど清潔だった。それは育ちの良い青年という樹木が発する新鮮な光景であった」
「写真を撮らせてもらったあと、店のオーナーの夫人でありママでもあった山本浅子から裕次郎の席へ呼んでもらい、
ももちゃんは素直で気持ちのいい人よ
と最大級の褒め言葉とともに、正式に紹介してもらった。」
「熱血漢っていいな。僕はそういう男が好きなんです」
これが裕次郎の著者に対する印象だった。
会うは別れのはじめ、とは知らぬ私じゃないけれど・・・。
出会いがあれば別れがある。ならば、粋な別れをしようぜ。なんて、裕次郎の歌に「粋な別れ」って曲があったなぁ。
著者と裕次郎の別れは、昭和42年12月。この時、裕次郎はハワイに出かける途中、著者は拳銃不法所持の容疑で保釈中の身。事あれば裕次郎を護ろうというつもりで持ったモノが、結局、裕次郎に迷惑をかけることになってしまった。
とにかく下獄前に1日も早く詫びを言いたかった。
「元気か?」
「はい」
「じゃ行ってくる。帰ってきたら電話するからな」
これが裕次郎と最後に交わした言葉になってしまった・・・。
著者は当時、赤坂にあった「ニューラテン・クォーター」の用心棒。
半端な店ではない。ここはナット・キング・コールやサミー・デイビス・ジュニアが出演した店。つまり、日本のエンタテイメントの殿堂といってもいい店だった。
景気の良い時代、景気の良い店には、必ず裏社会の人間がやってくる。有名人、芸能人もやってくる。財界の連中もやってくる。そこに酒と女が絡めばトラブルが発生しないわけがない。で、用心棒がいるわけだ。
著者は立教の相撲部出身。いまでこそ痩せているが、当時は20歳そこそこ。100キロを超す大男。身体がでかいだけじゃ、この商売はやっていけない。なによりキモが座っているのだろう。
ところで、冒頭、石原慎太郎の「弟」(幻冬舎)に掲載された1枚の写真について著者が述べているが、これは思わず膝を叩いた。
当時、慎太郎が5〜6歳、裕次郎が3〜4歳くらいではなかろうか。ブレザーを着て海を見ている2人を、父親が後ろから撮影しているのだ。
これがなんとも自然体でほのぼのとしていいのである。この写真を見てから、私自身、意識して「無意識の被写体を撮ろう」と心がけたほどである。
普通なら、「こっちを向いて!」と正面を向かせるとこだが、そうはしない。このセンスに感心するのだ。著者になぜか親近感を覚えてしまった。
以前、「通勤快読」でこの構図は最高だな、と述べたことがあるが、著者もそうとう印象に残っていたのだろう。
そんな感受性の強い人間が、同じように感受性の強い男たち(裕次郎、慎太郎、その他無頼の人間たち)について書いている。
読んでいて気になったのは、「育ちの良さ」という言葉だ。何度も登場する。
人は自分にはないモノを求めたがるものだが、私は著者も育ちが良いように思えた。たぶん、この人は「育ちの良いような人間」が好きなのだろう。
たしかに裕次郎にしても、慎太郎にしても育ちが良い。育ちは隠せない。悪ぶっていても、猫をかぶっていても、「品」は出てしまうものだ。
それが教養だったり、優しさだったり、細やかさだったりするのだ。ひと言で言えば、「凛としている」ということだ。
だが、育ちの良さとは本当に育ちの良い人間だけに当てはまるモノでもない、と思う。
たとえば、著者が用心棒として丁々発止と渡り合ってきた男たちにしても、ある意味、育ちの良さがかいま見られるではないか。それは「作法」とか「筋」をなによりも大切にしているからだと思う。
アウトローでも作法を知らないヤツは話にならない。筋のとおらないヤツはバカにされる。作法も筋もない政治家や財界人のほうがよっぽどチンピラに近い。
さて、「裕次郎時代」とはいったいなんだったのだろうか?
戦禍で荒廃した状態から復活し、日本人が未来に向かって明るい夢を見られる頃に登場したヒーローだったのだと思う。裕次郎とは、いわば、時代が求めていた男なのだ。
それまでの芸能人のイメージを一変させたのも裕次郎だ。
今回初めて知ったのだが、慎太郎は弟をなんとか映画界に入れたくてかなり動いたらしい。しかし、すべてに断られるのだ。
背が高すぎる(足も長い)。色男じゃない。歯並びが悪い・・・。
いまでもそうだが、芸能界の男は小柄が多い(ジャニーズを見ればわかるだろう)。おかげで、でかい女優は敬遠される。ノミのカップルになってしまうからだ。
そんな中、日活に移ったばかりのプロデューサー水の江滝子だけが引き受けた。もちろん、日活の役員は全員大反対。
その慧眼やよし。デビュー作の「太陽の季節」でも主役にしたかったが、新米プロデューサーだったターキーには役員を向こうに回して押し切る力がなかった。だから、長門裕之主演でいくしかなかったんだけど、いまならわかるよな。
あの役は裕次郎でなきゃできないよ。長門じゃダサ過ぎるもん。いくら桑田佳祐に似てたってダメダメ。
けどさ、「狂った果実」の予告編観て笑っちゃった。「新人石原裕次郎」はいいよ。けど、「問題の人、石原慎太郎脚本」て大きく出てんの。ウケる。
東横線で、「カッコイイ男がいる」と女子大生やOLが噂しているのを聞いて、「自分のことか?」と慎太郎が自惚れ、後日、それが裕次郎だったとわかっても、「いや、やっぱりオレの方が」と自惚れていたらしい。
女の目は確かである。時代は裕次郎のようなヒーローを求めていたのだ。それは女性ばかりでなく、男も同じだと思う。悪ぶってるけれども、シャイで優しい男。都会風でスマート、足が長くてイカす男。
あの頃、給料遅配続きの日活をあっという間に復活させたのも、若者の夢を裕次郎がせっせと運んでいたからだと思う。それが「裕次郎時代」なのだと思う。300円高。