2007年09月27日「俺の彼」 島田洋七著 徳間書店 1000円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 ご存じ、「がばいばあちゃん番外編」でんな。このタイトルで書こうという話は、3カ月くらい前の「週刊文春」の対談で読んでいたから知ってたけど。
 こうも知ってる話ばかりだと困るんだよね。

 やっぱ、講演で話す内容、テレビで話す内容、でもって本に書く内容は分別処理しないと。私のように本は全部読んでる、テレビドラマも映画も観た、講演まで聞いてるというファンには、あああれか、またあれかでは白けてしまうのよね。

 でも、買っちゃった。ネットだからね。開けるまでわかんないもんねぇ。
 5分で読めました。

 さて、著者が俺、じゃ、彼は? そう、北野武さんのことね。
 この2人、めちゃ仲がいいんだよ。「まぶだち」ってやつね。
 たとえば、フライデー事件で謹慎中の武さんが石垣島でずっと休んでたわけ。で、洋七さんに来てもらいたくてね、何度も電話するわけ。
 かなり追い詰められてたみたいでさ。こりゃやばいなってんで、羽田から何回も石垣に飛んでるんだよね。

 ある時、寝坊して那覇から石垣に飛ぶ便を1本遅らせちゃった。すると、石垣空港で武さん、朝からずっと首を長くして待ってたのね。

 フライデー襲撃事件も執行猶予で済むと、テレビ局は一斉に武さんを迎え入れるわけ。
 本人はもう芸人としてやってけないと覚悟してたから、こりゃ嬉しかっただろうね。

 ある時から、洋七さんと武さんとの人気が完全に逆転するわけ。で、洋七さんはコンビを解散するわけ。
 でも、やっぱ退屈でね。5億円もあった貯金も底を突いてきた。
 そんなとき、武さんが番組に呼ぶんだけどね。

 「洋七、悪いな。金ならいつでも貸せるけど、芸と人気は貸せないんだ」

 この2人が知り合ったきっかけはやすし師匠ね。元もと、2人ともお互いにあの芸は凄いなと意識はしてた。認め合ってた。けど、面識はない。
 とくに、武さんは極度の人見知り、恥ずかしがり屋だから、そんなにすぐにうち解けたりしない。

 けど、やすし師匠が洋七を強引に誘って千葉まで連れてった。そこにいたのが武さん。彼は売れる芸人をよく吟味してたんだよね。で、食堂で宴会してるうちに、「ほな、出かけてくるわ」と消えちゃった。

 電車賃もないから、千葉からずっと歩いて、始発に乗って東急ホテルまで戻ってきたら、ちょうど、やすし師匠がチェックアウトしてるとこ。

「師匠、ボクら4時間ずっと歩きづめですわ」
「そうか、よかった。元気がなによりや。ほなさいなら」

 この師匠のおかげで、4時間もいろいろ話ができたわけ。縁結びの神様ですな。

 ある時、寿司屋で武さんが母親のおかしさを漫談口調で話した。

「洋七のかあちゃんも面白いんだろ」
「かあちゃんもおもろいけど、ばあちゃんが傑作や」
 涙と笑いの1時間。
「おまえ、メモとれよ」
「メモってなんや?」
「いまの話、ノートや紙にメモるんだよ」

 それから3カ月、ばあちゃんのことを思い出してせっせとメモを書いたわけ。
 で、それをまとめて出版社に持ち込んだ。41社、すべてに断られた。17社は梨の礫。「芸人として売れてる頃ならまだしも・・・」というわけね。
 結局、自費出版。営業での手売りで3000冊を売り切った。

 14年過ぎた。やっぱり、寿司屋で武さん。

「洋七、あの本、どうなった?」
「あの本?」
「『振りむけば哀しくもなく』だよ」
「最初に刷った本は全部売れたよ」
「なら、もう1回出せよ。いま、ああいう本が求められてるんじゃないか?」

 そうなのね。前はバブル全盛期だったもの。いま、バブル崩壊で日本人の目も覚めた。不景気で元気をなくしてる。
 いまなら、ばあちゃんの話もいけるかも・・・。で、タイトル換えちゃった。
『佐賀のがばいばあちゃん』の誕生ですな。

「もみじまんじゅう」じゃなくて、作家としてカムバックするとはな。武さんの正直な感想。
 コツコツやること。成功はコツコツの先にある。ばあちゃんの言葉。200円高。