2007年10月23日「シャネル 人生を語る」 ポール・モラン聞き書き 中央公論新社 900円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 老境に踏み込んでから知り合った男女。男は第二次大戦下にビシー政権の外交官をつとめていた作家。そして女はココ・シャネル。
そう、あのシャネルですね。

 意思の強い端正な顔。なんと挑戦的な目つきなんでしょうか。回りを威圧する目力ですな。こんな目で見つめられたら、私は石になってしまいます(ゴーゴンか!)。
 
 6歳で母親が亡くなり、父は仕事のために私を叔母たちに預けたと自伝で語ってますが、これはまったくの嘘っぱち。ホントは孤児院に捨てられてしまったんですよ。で、父親は2度と迎えには来なかった。

 我慢を覚えることを知り、我慢が切れることも知り、「自分が好きなものを作りたい」というエネルギーより「嫌なものをこの世から葬り去りたい」という批評家精神のとっても発達した女性ができあがってしまいました。

 長かったスカートの裾をばっさり切り、豪華な布地を捨てて安っぽいジャージーをこれ見よがしにモードの王座につかせ、高価な宝石を侮蔑するためわざと偽物を流行らせた・・・確信犯。
 けど、きちんと手の入るポケット、活動的なショートカット、持って歩けるショルダーバッグ、動きが楽なジャージー・・・シャネルほど、働く女性のためのスタイルを作り出した人間はいませんでした。

「食べ過ぎで太っているくせに締め付けていた。私はジャージーを発明して女の身体を自由にした。ジャージーは下着にしか使われたことがなかったけど、私はあえて表着に使って栄光を授けた」
「よくできた服とはだれにでも似合う服である」
「すべての動作は背中に始まる」

 革命が現状の否定であるならば、まさに彼女はモード界の革命児といえます。
 ディオールにいったん席巻されたパリ・モードですけど、瞬く間にシャネルが復権。その後の勢いはカリスマパワー宜しく圧倒的な力でねじ伏せてしまいます。

「私は広告に一銭もかけたことがない」

 そりゃそうだ。彼女自身が広告であり、宣伝媒体なんだから。

「私は実業家でもないのに事業をしてきた。恋する女でもないのに恋をしてきた。1人はこの世で、もう1人はあの世で私を思い出してくれると信じている」

 恋はたくさんした。けど、ホントの恋は2回だけ。そんなことを語るシャネル。エディット・ピアフと二重写しになるのはなぜなんだろう? 250円高。