2008年01月27日「銀座並木座ウィークリー」 編集委員会編 三交社 3990円
ちと分厚いですねん。ちと重いですねん。けど、めちゃおもろいですねん。
いつもの変な関西弁でごめんなさい。
ずっとデスクの隅に置いてました。これ、読んじゃうときっと仕事になんないもんね。だから、1つ仕事をこなすたびに20頁だけ読んでいい、と自分にご褒美をあげることにしました。
並木座というのは映画館です。銀座の並木通りにあったからね。1953年にオープンし、98年まで営業を続けました。伝説の映画館ですね。
で、これはオープンした年から5年間刊行された「機関誌」の中で1号〜100号までをそのまま復刻したものなんです。
いやぁ読み応えありまっせ。
並木座という映画館はちょっと変わってまして、元もと、印刷所だったのね。でも、銀座のど真ん中で印刷所もないでしょ。で、大家さんがなんにしたらよかんべぇと思案して、店子(テナント)の藤本プロの藤本眞澄さんに訊いたわけ。
「映画館にしたらどう?」
「なら、あんたやってくれ」
藤本さんは独立する前は東宝の制作部長をやってた親分肌。「来なかったのは戦艦とミサイルだけ」と言われるほど荒れた東宝争議の責任とって辞めちゃってたわけね。
けど、並木座がオープンしてから、東宝に復帰します。で、「青い山脈」、社長シリーズ、若大将シリーズなど、当てる映画を山ほどプロデュースするのね。
並木座が変わってるのは、藤本さんが引き受けたから出資者に映画関係者がズラリ。監督、作家、俳優、脚本家に歌手までね。それね有名人ばかり。源氏鶏太、石坂洋次郎、小林桂樹さん、高峰秀子さんとかね。
で、この人たちが足繁く並木座に通ってくるわけ。だって、出資したといっても配当があるわけじゃない。配当はすべて映画のチケットなんだもの。そりゃ観に来るよね。
あの映画館に行けばスターに会える! こんな評判が立った。で、これはその通りなんです。
監督は映画制作の裏話を書いたり、俳優も気楽なエッセイを寄稿したり。ロハで原稿のみならず、挿絵まで描かせちゃった。小林さん、高峰さんなんかは絵も巧いからね。
それがちょうど自分の映画をかける週に発行される機関誌に載せるわけ。映画ファンにはたまりませんよ。
並木座は機関誌の発行だけじゃなく、先駆け的な仕事をたくさんしてます。
たとえば、週替わりで映画を変える。「黒澤明特集」「小津安二郎特集」なんて監督ごとの映画特集を組んじゃう。友の会を結成する。その他、終末にはイベントをしたりね。
つまり、情報発信基地になってたわけ。そうそ、あのプルーリボン賞もここからですよ。
1955年の作品に「生きていてよかった」という映画があります。これ、第1回原水禁大会を記念して製作した映画なのね。テーマは原爆です。内容もショッキングだし、政治色だってないとはいえない? 大ありですよ。
で、どこの映画会社も配給してくれない。配給してもらえなければ映画館にかからない。ということは、だれの目にも触れないことになります。
つまり、「お蔵入り」ということです。
いまの時代もお蔵入りの映画はたくさんあります。怖ろしいほどたくさんあります。俳優の奥田瑛二さんは映画も撮ってますね。緒方拳さん主演映画でも配給されませんでした。採算とれなきゃ映画館だったかけないよね。
けど、これ、ベルリンだかどこかで賞を取っちゃうわけ。すると、引き合いが来て上映する。評判もいい。めでたしめでたし。
でも、こんなのはめったにありません。お蔵入りはお蔵入りのまま。
せいぜいDVDという形で販売するかレンタルするか。まっ、そこまで行けばいいほうですな。
で、この「生きててよかった」もお蔵入り寸前だったわけ。で、監督の亀井文夫さんが藤本さんに泣きつくわけ。でも、やっぱ断られた。
救ってくれたのは並木座の支配人。藤本さんの顔も立つように、なんとか採算がとれるように名作と併映するわけ。
ところが・・・だ。この映画が大評判を呼びます。まず読売新聞が社説で絶賛します。社説ですよ。映画コーナーなんかじゃないのよ。
これがきっかけになってメディアは一斉に報道するわけ。とくに、どこの映画会社も配給しなかったから、マスコミ人たちの反骨精神によけい火がついたんだろうね。
気づいてみれば、56日間という空前絶後のロングラン上映。
でもね、邦画の凋落には逆らえませんでしたね。98年を最後に閉館します。いまならどうだろう? この1、2年、邦画が元気ですね。復活するかな?
映画ファン、とくに邦画ファンには垂涎の1冊だと思うな。私なんか、この重たい本を電車の中で抱えて読んでたもんね。あっという間。至福の時間でしたよ。350円高。
いよいよ明日はキーマンネットワーク特別講演会です。
いつもの変な関西弁でごめんなさい。
ずっとデスクの隅に置いてました。これ、読んじゃうときっと仕事になんないもんね。だから、1つ仕事をこなすたびに20頁だけ読んでいい、と自分にご褒美をあげることにしました。
並木座というのは映画館です。銀座の並木通りにあったからね。1953年にオープンし、98年まで営業を続けました。伝説の映画館ですね。
で、これはオープンした年から5年間刊行された「機関誌」の中で1号〜100号までをそのまま復刻したものなんです。
いやぁ読み応えありまっせ。
並木座という映画館はちょっと変わってまして、元もと、印刷所だったのね。でも、銀座のど真ん中で印刷所もないでしょ。で、大家さんがなんにしたらよかんべぇと思案して、店子(テナント)の藤本プロの藤本眞澄さんに訊いたわけ。
「映画館にしたらどう?」
「なら、あんたやってくれ」
藤本さんは独立する前は東宝の制作部長をやってた親分肌。「来なかったのは戦艦とミサイルだけ」と言われるほど荒れた東宝争議の責任とって辞めちゃってたわけね。
けど、並木座がオープンしてから、東宝に復帰します。で、「青い山脈」、社長シリーズ、若大将シリーズなど、当てる映画を山ほどプロデュースするのね。
並木座が変わってるのは、藤本さんが引き受けたから出資者に映画関係者がズラリ。監督、作家、俳優、脚本家に歌手までね。それね有名人ばかり。源氏鶏太、石坂洋次郎、小林桂樹さん、高峰秀子さんとかね。
で、この人たちが足繁く並木座に通ってくるわけ。だって、出資したといっても配当があるわけじゃない。配当はすべて映画のチケットなんだもの。そりゃ観に来るよね。
あの映画館に行けばスターに会える! こんな評判が立った。で、これはその通りなんです。
監督は映画制作の裏話を書いたり、俳優も気楽なエッセイを寄稿したり。ロハで原稿のみならず、挿絵まで描かせちゃった。小林さん、高峰さんなんかは絵も巧いからね。
それがちょうど自分の映画をかける週に発行される機関誌に載せるわけ。映画ファンにはたまりませんよ。
並木座は機関誌の発行だけじゃなく、先駆け的な仕事をたくさんしてます。
たとえば、週替わりで映画を変える。「黒澤明特集」「小津安二郎特集」なんて監督ごとの映画特集を組んじゃう。友の会を結成する。その他、終末にはイベントをしたりね。
つまり、情報発信基地になってたわけ。そうそ、あのプルーリボン賞もここからですよ。
1955年の作品に「生きていてよかった」という映画があります。これ、第1回原水禁大会を記念して製作した映画なのね。テーマは原爆です。内容もショッキングだし、政治色だってないとはいえない? 大ありですよ。
で、どこの映画会社も配給してくれない。配給してもらえなければ映画館にかからない。ということは、だれの目にも触れないことになります。
つまり、「お蔵入り」ということです。
いまの時代もお蔵入りの映画はたくさんあります。怖ろしいほどたくさんあります。俳優の奥田瑛二さんは映画も撮ってますね。緒方拳さん主演映画でも配給されませんでした。採算とれなきゃ映画館だったかけないよね。
けど、これ、ベルリンだかどこかで賞を取っちゃうわけ。すると、引き合いが来て上映する。評判もいい。めでたしめでたし。
でも、こんなのはめったにありません。お蔵入りはお蔵入りのまま。
せいぜいDVDという形で販売するかレンタルするか。まっ、そこまで行けばいいほうですな。
で、この「生きててよかった」もお蔵入り寸前だったわけ。で、監督の亀井文夫さんが藤本さんに泣きつくわけ。でも、やっぱ断られた。
救ってくれたのは並木座の支配人。藤本さんの顔も立つように、なんとか採算がとれるように名作と併映するわけ。
ところが・・・だ。この映画が大評判を呼びます。まず読売新聞が社説で絶賛します。社説ですよ。映画コーナーなんかじゃないのよ。
これがきっかけになってメディアは一斉に報道するわけ。とくに、どこの映画会社も配給しなかったから、マスコミ人たちの反骨精神によけい火がついたんだろうね。
気づいてみれば、56日間という空前絶後のロングラン上映。
でもね、邦画の凋落には逆らえませんでしたね。98年を最後に閉館します。いまならどうだろう? この1、2年、邦画が元気ですね。復活するかな?
映画ファン、とくに邦画ファンには垂涎の1冊だと思うな。私なんか、この重たい本を電車の中で抱えて読んでたもんね。あっという間。至福の時間でしたよ。350円高。
いよいよ明日はキーマンネットワーク特別講演会です。