2009年09月13日「朝4時起きの仕事術」 中島孝志著 マガジンハウス・プレジデント社 1260円・840円
いま、朝4時起き本がブームになってますけど、正真正銘、これが原点。つうか原典。
1日は24時間。どんなに仕事ができる人にも、どんなに仕事ができない人にも等しく訪れる時間。だが、この24時間をどう使うか、これで仕事の生産性は決まってくる。
わたしは「朝4時起き」だから、午前中だけですでに8時間分の仕事を終えている。そして午後もやろうと思えば8時間分の仕事ができる。
正午を境にきっちり午前8時間、午後8時間。もちろん、睡眠時間を6〜8時間は取ってるから、1日24時間を3分割するパターンなのである。
この「1日3分割法」とは、孔明が劉備玄徳に提案した「天下三分の法(魏・呉・蜀の三国が権力をバランス良く保持して戦国の世を治めること)」を意識しているけれども、もちろん、これは後付の理論で、実はそうせざるを得ない理由があったことはいうまでもない。
わたしが「朝4時起き」を続ける理由はどこにあるのか。
それは午前中にすべての仕事を完了させてしまい、午後は違う仕事に没頭するため。午前中はすでに依頼されている仕事(過去の仕事)、午後はこれから仕掛ける仕事(未来の仕事)というように、1日に大きく分けて2種類の仕事をするようにしている。
「人生二毛作」だから、ものすごい仕事中毒なのかと思われるが、本人にそんな気分は一切無い。
未来の仕事をプロデュースするために、読書をしたり、好きな落語を聞くために席亭に行ったり、デジカメと大型ノートを小脇に抱えてそこかしこの商店街を探索したり、気になる人と会ったりする。もちろん、取材やインタビュー、対談、講演という仕事を兼務することもあるが、午後から夜にかけては未来志向の仕事をするようにしている。
「1日3分割法」を続け、仕事の能率は格段にアップした。それまでもビジネスマンとして、ジャーナリストとして、勉強の主宰者として「3足のわらじ」を履いていたが、独立後は、この3足に加えて、出版社、流通、メーカーなどの経営指導(コンサルタント)をしたり、大学・ビジネススクールで教鞭を執ったり、テレビの番組企画からコメンテイターまで引き受けるようになり、これからどこまで広がるかわからないが、これで時間に追われる感覚はまったくない。
そもそも、わたしが「朝4時起き」になったのには理由がある。
ちょうど転職先の会社を3年ほどで辞めて独立して数カ月経った頃。会社はフレックスタイム制だったが、わたしは早朝から会社のそばにあるスポーツクラブに通っていたから、相変わらず、早起きだったし、転職前には営業マンをしていたから、これまた、早起きだった。朝7時半には出勤していたと思う。
いずれの会社勤務時代も早起きではあったものの、さすがに「朝4時起き」とはいかなかった。
では、どうして「朝4時起き」になったのか。
当時、小さかった子どもが近所の友達を連れてきた。
「あれ、パパ、家にいるの? まだ寝てるの? 仕事しないの?」
と愚息に聞くではないか。たしかに平日の昼過ぎともなれば、普通のビジネスマンなら会社で仕事をしているだろうし、商売人なら店先に出ている頃だ。いずれにしても、わたしのように陽が高いにもかかわらず高いびきということはありえない。
「パパって、何の仕事、してるの?」
「うちのパパの仕事? 泥棒だよ」
さすがに飛び起きた。愚息はニコニコ見ていたが、こんなことを近所で言いふらされた大変である。
「ウソ、ウソ。いままで徹夜してたの。夜中、寝ないで働いてたのね。だから、いま、ようやく寝られたんだよ。泥棒じゃないからね」
「・・・」
愚息にしてみれば、いつも読んでる絵本から、夜中にこそこそ起き出して仕事をするのはきまって泥棒だから、「あ、これはわが親父と同じではないか。ということは、うちの親父は泥棒なんだ」とパターン認識してしまったというわけである。
ビジネスマン時代、あれほど早起きだったのが、「自由業」となったら数日も経たないうちにすっかり深夜族。ところが、愚息のひょんな一言が全面的に生活パターンを変えるきっかけになってしまったというわけである。
そんなこんなの朝活用仕事術の全貌をご紹介しております。宜しくね。400円高。
1日は24時間。どんなに仕事ができる人にも、どんなに仕事ができない人にも等しく訪れる時間。だが、この24時間をどう使うか、これで仕事の生産性は決まってくる。
わたしは「朝4時起き」だから、午前中だけですでに8時間分の仕事を終えている。そして午後もやろうと思えば8時間分の仕事ができる。
正午を境にきっちり午前8時間、午後8時間。もちろん、睡眠時間を6〜8時間は取ってるから、1日24時間を3分割するパターンなのである。
この「1日3分割法」とは、孔明が劉備玄徳に提案した「天下三分の法(魏・呉・蜀の三国が権力をバランス良く保持して戦国の世を治めること)」を意識しているけれども、もちろん、これは後付の理論で、実はそうせざるを得ない理由があったことはいうまでもない。
わたしが「朝4時起き」を続ける理由はどこにあるのか。
それは午前中にすべての仕事を完了させてしまい、午後は違う仕事に没頭するため。午前中はすでに依頼されている仕事(過去の仕事)、午後はこれから仕掛ける仕事(未来の仕事)というように、1日に大きく分けて2種類の仕事をするようにしている。
「人生二毛作」だから、ものすごい仕事中毒なのかと思われるが、本人にそんな気分は一切無い。
未来の仕事をプロデュースするために、読書をしたり、好きな落語を聞くために席亭に行ったり、デジカメと大型ノートを小脇に抱えてそこかしこの商店街を探索したり、気になる人と会ったりする。もちろん、取材やインタビュー、対談、講演という仕事を兼務することもあるが、午後から夜にかけては未来志向の仕事をするようにしている。
「1日3分割法」を続け、仕事の能率は格段にアップした。それまでもビジネスマンとして、ジャーナリストとして、勉強の主宰者として「3足のわらじ」を履いていたが、独立後は、この3足に加えて、出版社、流通、メーカーなどの経営指導(コンサルタント)をしたり、大学・ビジネススクールで教鞭を執ったり、テレビの番組企画からコメンテイターまで引き受けるようになり、これからどこまで広がるかわからないが、これで時間に追われる感覚はまったくない。
そもそも、わたしが「朝4時起き」になったのには理由がある。
ちょうど転職先の会社を3年ほどで辞めて独立して数カ月経った頃。会社はフレックスタイム制だったが、わたしは早朝から会社のそばにあるスポーツクラブに通っていたから、相変わらず、早起きだったし、転職前には営業マンをしていたから、これまた、早起きだった。朝7時半には出勤していたと思う。
いずれの会社勤務時代も早起きではあったものの、さすがに「朝4時起き」とはいかなかった。
では、どうして「朝4時起き」になったのか。
当時、小さかった子どもが近所の友達を連れてきた。
「あれ、パパ、家にいるの? まだ寝てるの? 仕事しないの?」
と愚息に聞くではないか。たしかに平日の昼過ぎともなれば、普通のビジネスマンなら会社で仕事をしているだろうし、商売人なら店先に出ている頃だ。いずれにしても、わたしのように陽が高いにもかかわらず高いびきということはありえない。
「パパって、何の仕事、してるの?」
「うちのパパの仕事? 泥棒だよ」
さすがに飛び起きた。愚息はニコニコ見ていたが、こんなことを近所で言いふらされた大変である。
「ウソ、ウソ。いままで徹夜してたの。夜中、寝ないで働いてたのね。だから、いま、ようやく寝られたんだよ。泥棒じゃないからね」
「・・・」
愚息にしてみれば、いつも読んでる絵本から、夜中にこそこそ起き出して仕事をするのはきまって泥棒だから、「あ、これはわが親父と同じではないか。ということは、うちの親父は泥棒なんだ」とパターン認識してしまったというわけである。
ビジネスマン時代、あれほど早起きだったのが、「自由業」となったら数日も経たないうちにすっかり深夜族。ところが、愚息のひょんな一言が全面的に生活パターンを変えるきっかけになってしまったというわけである。
そんなこんなの朝活用仕事術の全貌をご紹介しております。宜しくね。400円高。