2011年05月06日無縁社会への恐怖でしょうなあ。
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
第三京浜を横浜方面に向かっていたときのこと。前方の軽自動車がのろいことのろいこと。
自動車専用道路でこんな低速で走られたら困るがな。見れば、やっぱり周囲からプップ〜とクラクションを鳴らされてます。
「だれが運転しとるんや」と思ったら、やっぱおばさんとおばあさんとの間くらいの人。4〜5人は乗ってたでしょうな。で、福島ナンバー。
「そうか、避難してきたんだな」と思ってたら、そののろい軽の前には磐城ナンバー。その前は仙台ナンバー。
あれれ、みんな東北。一族郎党で一斉に避難してきたの? いま、報道である通り、福島から来たというだけでホテルで宿泊を拒否されると聞きます。親戚でもいるのかなと少し心配になりましたよ。
横浜は観光地ですから地方ナンバーを見る機会はたくさんあります。しかし福島、磐城、仙台ナンバーは初めてでしたね。
いまだ被災地に住まざるを得ず、仮設住宅にも住みたくない、という方が多いようです。軽自動車のおばあさん一家と異なり、孤独な老人たちの姿が見えてきます。
「ここを出ても話し相手がいない」
「なにかあっても頼る人がいない」
無縁社会をひしひしと体感しているということでしょう。住人は旅人ではない。人が土地に固執するのはそこにいれば安心できるからですね。地震や津波も恐怖ですが、もっと怖いのは「孤独」なんですよ。
あの瓦礫でいっぱいの土地でも「ここで死にたい」という声は重たいです。
「仮設住宅を夏までにはなんとか」と菅さんは国会で発言しましたが、あの人、夏がどういう意味なのかわかってるんでしょうかね。
新盆でしょ? 子どもや孫を亡くした。幼くても若くても「ご先祖様」ですよ。新盆ということはお墓ではなく自宅に迎えるわけですね。その自宅が体育館でいいわけがありません。だから急がなくちゃいかんのです。被災地の方がやきもきしているのはこれでしょう。
仮設住宅は長屋スタイルのほうがいいのかもしれません。プライバシーが強固であるよりも、痴話ゲンカが聞こえるくらいのほうがいいのかもしれません。
さて本日の「中島孝志の聴く!通勤快読」でご紹介する本は「原発事故 残留汚染の危険性」(武田邦彦著・朝日新聞出版)です。詳細はこちらからどうぞ。
自動車専用道路でこんな低速で走られたら困るがな。見れば、やっぱり周囲からプップ〜とクラクションを鳴らされてます。
「だれが運転しとるんや」と思ったら、やっぱおばさんとおばあさんとの間くらいの人。4〜5人は乗ってたでしょうな。で、福島ナンバー。
「そうか、避難してきたんだな」と思ってたら、そののろい軽の前には磐城ナンバー。その前は仙台ナンバー。
あれれ、みんな東北。一族郎党で一斉に避難してきたの? いま、報道である通り、福島から来たというだけでホテルで宿泊を拒否されると聞きます。親戚でもいるのかなと少し心配になりましたよ。
横浜は観光地ですから地方ナンバーを見る機会はたくさんあります。しかし福島、磐城、仙台ナンバーは初めてでしたね。
いまだ被災地に住まざるを得ず、仮設住宅にも住みたくない、という方が多いようです。軽自動車のおばあさん一家と異なり、孤独な老人たちの姿が見えてきます。
「ここを出ても話し相手がいない」
「なにかあっても頼る人がいない」
無縁社会をひしひしと体感しているということでしょう。住人は旅人ではない。人が土地に固執するのはそこにいれば安心できるからですね。地震や津波も恐怖ですが、もっと怖いのは「孤独」なんですよ。
あの瓦礫でいっぱいの土地でも「ここで死にたい」という声は重たいです。
「仮設住宅を夏までにはなんとか」と菅さんは国会で発言しましたが、あの人、夏がどういう意味なのかわかってるんでしょうかね。
新盆でしょ? 子どもや孫を亡くした。幼くても若くても「ご先祖様」ですよ。新盆ということはお墓ではなく自宅に迎えるわけですね。その自宅が体育館でいいわけがありません。だから急がなくちゃいかんのです。被災地の方がやきもきしているのはこれでしょう。
仮設住宅は長屋スタイルのほうがいいのかもしれません。プライバシーが強固であるよりも、痴話ゲンカが聞こえるくらいのほうがいいのかもしれません。
さて本日の「中島孝志の聴く!通勤快読」でご紹介する本は「原発事故 残留汚染の危険性」(武田邦彦著・朝日新聞出版)です。詳細はこちらからどうぞ。