2012年03月08日「中島孝志の聴く!通勤快読」フルオープン 佐野藤右衛門著『櫻よ』(集英社)

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 櫻の季節になりました。というか、これからなります。確実に、だんだん暖かくなっていくす。朝のない夜もなければ、春の来ない冬もないわけです。日本ではね。。。

 で、特別にわが「通勤快読」全文を会員以外の方にもご披露しましょう。櫻の花の秘密、花見の蘊蓄なんぞが伺えると思います。

 敷島の やまとごころを 人とはば 朝日に におふ 山桜花

 本居宣長の歌ですな。花といえば、「桜」に決まってます。それが日本です。

 で、この本は「桜守」。16代佐野藤右衛門の語り下ろしです。
 聞き手は聞き書きの第1人者、小田豊二さん。

 桜守? そんな仕事あんの? あるんですね。

 桜。これから本格的にシーズンに入りますな。花見には、作法もあるし、ノウハウもあるんですよ。それに、なにより、桜のことを知らないといけません。

 さて、桜。何種類あるか知ってます? 染井吉野、有名ですね。けど、これ、まがい物だったって知ってました?

 桜の種類、実は300種くらいなんですよ。けど、いちいち覚える必要ありません。3つだけ覚えておけばよろしい。

 それはね・・・山桜、彼岸桜、大島桜。この3つが日本の自生の桜なんですね。それ以外で名前がついた桜。たとえば、奈良八重桜、霞桜、菊桜、普賢象、関山、楊貴妃、一葉、御衣黄、鬱金、御車返し、虎の尾・・・こういったのはすべて変種あるいは品種改良したもの。

 染井吉野? ありますね。あれは、大島桜と彼岸桜の交配したもの。どこでも咲きます。しかも一斉に咲きます。だから桜前線を予想できるわけ。

 ところで、これ、明治時代、染井墓地の近くの植木屋さんが奈良の吉野山から持ってきた、と嘘ついて売ってた桜なんですね。
 ほかの桜と違って種なしだから、接ぎ木するしかない。けど、接ぎ木がとてもしやすい。で、全国に広まった。全国どこでも同じ色。同じ花。変化無し。いまや、全国シェア80%ですから、たいてい桜といえば染井吉野を見てるはずです。

「面白みのない桜です」と藤右衛門さんはケチョンケチョン。
 
「この桜吹雪が目に入らぬか!」で有名な遠山の金さん。この人の入れ墨、染井吉野なんですけど、嘘だということがわかります。だって、染井吉野は明治になってからできたんだもの。江戸時代にあるわけない。

 藤右衛門さんの先代は、「祇園の名桜」といわれた枝垂桜の種を自分の畑に蒔いた。いま円山公園にある桜ではなく、先代の木。100ほど発芽したけど、芽が出たのは1割。戦後まで残ったのはわずか4本。
 で、昭和24年。種を蒔いてから22年目。4本のうち、1本を元の親桜があった場所に、2本を円山公園の東の外れの安養寺と藤の棚の料亭前に植えかえた、とのこと。

 この植え替えが大変な作業なの。

 桜というのは木を植え替えるだけじゃ育たないのよ。環境すべてを移し替えないとね。けど、なかなかそれはできません。しかも連作を嫌う植物だから、前の桜が枯れたからといってすぐ同じ場所に植えても育たない。

 ホント、むずかしいのよ。土を入れ替えるしかないのね。で、トラック20台分の土を入れ替えた。トラックなんてないんで、牛車で何往復もしたそうです。

 台風の時など大変。ところが、移植した翌年、ジェーン台風が襲うわけ。京都直撃ですよ。暴風雨ですからね。この2世桜が心配で心配で、暴風雨の中、桜の木にしがみついて、両手で幹を抱えて踏ん張った。

「びしょ濡れなんてもんじゃない。親父の気持ちが通じたのか、しばらくして花が咲いた。いまもみごとに咲いてます」
「この桜もいつの日か、わしの好きな姥桜になるんやろうな。わしは生きては見られんけど。姥桜はええなあ。色香がある」

 花にはみな色気がある。この色気を通り越すと「色香」にかわる。姥桜は自分で枝や幹を少しずつ枯らしながら、花をつけ、大きくなっていく。それが植物の知恵。

「あちこちに穴があいてしわくちゃだと思っていた幹に、ドーンと風格が出るんです。そして、ほんまにきれいな花がパッパ、パッパと咲く」

 ねがわくは 花のしたにて 春しなむ そのきさらぎの 望月のころ

 西行法師ですな。NHKの「平清盛」で藤木直人さんが演じる人物です。
 如月は旧暦2月。春とはいえ寒い。旧暦2月15日は満月です。桜は満月に向かって咲くんです。

 京都でいちばん最初に咲く桜は彼岸桜ですね。お彼岸の頃に咲き出す。

 藤右衛門さんが手がけた桜。いろいろありますな。たとえば、フランスの日本庭園。これはイサム・ノグチさんから依頼されて造った。イスラエル、ニューオーリンズ、ハワイ・・・世界中出かけた。

 国内でもいろいろ。

 たとえば、京都だと、三条から五条あたりまでの河川敷。この枝垂桜。出町柳から川上の鴨川沿いはずっと染井吉野。御所の左近の桜。平野大社に平野妹背、朝日桜、手弱女、大内山桜、虎の尾、おけさ桜、御車返し、御衣黄、普賢象、胡蝶・・・いろいろ。 
 半井の道。よく行きます。植物園のそば。
 仁和寺もなかなか。
「わたしゃお多福御室の桜、はなが低うても人が好く」
 里桜だから喬木になるはずが、岩盤があるために低いまま。ここの桜は京都でも独特。有明、殿桜、御車返し・・・土壌がちがうほかの場所に移ったら普通の桜になっちゃう。
 寂庵。嵯峨野の瀬戸内寂聴さんのとこ。ここには枝垂桜、普賢象、鬱金、山桜の4本。

 ほかにも北海道根室の千島桜。兼六園の菊桜。

 菊桜は桜の花弁がたくさんついてるのが特徴。普通は150〜200枚。ところが、兼六園のは250〜400枚。菊のように重なり合って咲く。
 色も変える。咲き始めは薄紅色。だんだん白くなる。最後は花びらが1枚1枚散るのではなく、柄をつけたまま落下するんですね。
 この菊桜は300年超の名桜。で、絶やしたくないので、先々代、先代と二代続けて接ぎ穂をもらって自分の畑で育てた。ところで、戦争で失ったり、元もとの芽が古くて接ぎ穂ができない。

 当代になって、「もういっぺんだけ。これでダメなら諦めます」と頼み込んで接ぎ穂をもらってきた。桜切るバカ、梅切らぬバカという通り、いかに接ぎ穂のためとはいえ、枝を切ったりしたらさらに弱ることは確実ですからね。
 切った接ぎ穂を10本、乾かないように口にくわえて金沢から京都まで車で運びます。そこまでして、10本のうちようやく1本だけついた。
 けど、これで安心とはいかない。これでダメなら、兼六園の名楼は後世に残らない。必死です。で、3年経った。ようやく、接ぎ木に成功したことを確信します。

「6年後。たしか昭和42年やったかな。親の兼六園菊桜が枯死したんで、わしの畑でなんとか成長した菊桜を移植したんです」

 いま、その菊桜がみごとに咲いて、見る人を愉しませています。