2013年02月08日指導者とはなにか・・・。
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
大昔、なっちゃんチャコちゃんの「パック・イン・ミュージック」という深夜放送(TBSラジオ)がありましてね。というと、団塊世代は懐かしい。で、20代は「なんやそれ?」という反応なんですよ。
「お代拝借」というコーナーだったかな。ま、そんなんはどうでもいいんですけど。
さて、麻雀にはいろんなルールがありまして、投稿者の仲間内では「しゃれ」が1翻(い〜はんと呼びます)つくわけ。
たとえば、メンタンピン・ドラ1で満貫ですけど。メンタンピン、しゃれ1でも満貫にしちゃう。そんな素敵なルールを設定してるのね。
てんぱいしたのでリーチ。で、ひと言、「先生だって労働者!」。これ、待ち牌のヒント。上がったときに「な〜るほど」となれば「しゃれ」の1飜がつきます。
わかります? なに待ちか? 正解は2索と9索の両面待ち。「先生だって労働者」・・・「日教組」・・・「にっくっ索=2索と9索で上がり」つうわけ。
「はい、1飜つけて」な〜んてね。
先生だって労働者。当たり前です。聖職者とはちゃいます。勘違いされるとお互いに困る。
かなり昔のことですが、退職金が減額されるんで、満額もらえるうちに前倒しで辞めちゃおう、という教師が続出したとか。これ、しょうがないでしょ。
だって労働者なんだもん。もし聖職者というイメージを大切にしたかったなら、2月末なんて半端な時期じゃなく、辞めやすいタイミングにしとかないとね。それこそ、そういう制度にしてなにもトラブらないと思ってる脳天気なヤツに問題があるんでね。
前倒し先生には感謝はしてもやいのやいの言うべきではありません。
で、大阪の市立高校バスケ部キャプテンの自殺問題、全日本柔道女子チームに巣くう体罰体質つうかパワハラ体質の問題について。。。
選手つうのは巧くなれるならどんなことでもがんばるし我慢だってします。体罰で巧くなるならいくらでも受け入れます。
たぶん、「巧くなんない」「この指導者はダメ」と判断したんだろうね。だからストレスにさいなまれた。
上達させることもできないくせに、上のウケが良くて辞めない。どんどんこちらは下手になる。世界との差が開く。困った。どうすんべえ。みなでボイコットしよう。本当の指導者に育ててもらいたい・・・と考えたのかも。
一言で言えば、「信頼の喪失」です。
昔、丸の内の大手企業に勤務するキャリアウーマンたちと「丸の内お局隊」という勉強会をしてたんだけど、彼女たちが理想とする上司は・・・「伴走者」と言ってましたね。
困ったとき、顔を向けると、「ニコッ」と笑ってくれる。「どうした?」「困ったことないか?」といつも声をかけてくれる。具体的に相談を持ちかけるわけじゃないけど、「つながってる」という感覚がある。
この感覚が絆ですね。
箱根駅伝でジープに乗りながら選手に声をかける、あの伴走車に乗ってる伴走者。「一緒に走ってくれてる」という感覚。これに安心するわけ。
ほかの選手がどうのこうのは関係ありません。「私にとってどうなのか?」がすべて。「みながどう思おうと、私はあのコーチと一緒にがんばります」と思えば、それでいいの。伴走者なんですから。
ダメ指導者に共通する要素は、一緒に走らず、1人で走らせた。むやみに走らせた。そしてハブする。これでは信頼の糸が切れてしまうわな。
糸が切れると不安と不信と不審が増幅し、成績も不振になってしまいます。
事実、日本柔道はロンドンオリンピックで金メダルはたった1個の惨敗です。たぶんあの桜宮高校も優勝というレベルからはほど遠くなっていたのではないでしょうか。「この指導者について行くと強くなれな」=糸」はすでに切れていたのだと思うのです。
では、どうして志願者がたくさん集まるのか(とくに桜宮高校の場合)? それは、志願者が最新情報を知らないからでしょう。いつの時代も伝統というのは過去の栄光です。未来もそうなるとは限りません。
もしかすると、ここ数年は優秀な素材が入学し、活躍してくれたおかげでそこそこ強いレベルにあったのかもしれません。よくはわかりませんが。
「人を預かる」「人を育てる」というのは苦難ですよ。できませんよ。こんな大変な仕事。そんなに巧くいくわけがありません。無視ではなく無私にならんと人はついてきませんな。
ま、そういうこと。
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『看取り先生の遺言 がんで安らかな最期を迎えるために』(奥野修司著・文藝春秋)です。詳細はこちらからどうぞ。
「お代拝借」というコーナーだったかな。ま、そんなんはどうでもいいんですけど。
さて、麻雀にはいろんなルールがありまして、投稿者の仲間内では「しゃれ」が1翻(い〜はんと呼びます)つくわけ。
たとえば、メンタンピン・ドラ1で満貫ですけど。メンタンピン、しゃれ1でも満貫にしちゃう。そんな素敵なルールを設定してるのね。
てんぱいしたのでリーチ。で、ひと言、「先生だって労働者!」。これ、待ち牌のヒント。上がったときに「な〜るほど」となれば「しゃれ」の1飜がつきます。
わかります? なに待ちか? 正解は2索と9索の両面待ち。「先生だって労働者」・・・「日教組」・・・「にっくっ索=2索と9索で上がり」つうわけ。
「はい、1飜つけて」な〜んてね。
先生だって労働者。当たり前です。聖職者とはちゃいます。勘違いされるとお互いに困る。
かなり昔のことですが、退職金が減額されるんで、満額もらえるうちに前倒しで辞めちゃおう、という教師が続出したとか。これ、しょうがないでしょ。
だって労働者なんだもん。もし聖職者というイメージを大切にしたかったなら、2月末なんて半端な時期じゃなく、辞めやすいタイミングにしとかないとね。それこそ、そういう制度にしてなにもトラブらないと思ってる脳天気なヤツに問題があるんでね。
前倒し先生には感謝はしてもやいのやいの言うべきではありません。
で、大阪の市立高校バスケ部キャプテンの自殺問題、全日本柔道女子チームに巣くう体罰体質つうかパワハラ体質の問題について。。。
選手つうのは巧くなれるならどんなことでもがんばるし我慢だってします。体罰で巧くなるならいくらでも受け入れます。
たぶん、「巧くなんない」「この指導者はダメ」と判断したんだろうね。だからストレスにさいなまれた。
上達させることもできないくせに、上のウケが良くて辞めない。どんどんこちらは下手になる。世界との差が開く。困った。どうすんべえ。みなでボイコットしよう。本当の指導者に育ててもらいたい・・・と考えたのかも。
一言で言えば、「信頼の喪失」です。
昔、丸の内の大手企業に勤務するキャリアウーマンたちと「丸の内お局隊」という勉強会をしてたんだけど、彼女たちが理想とする上司は・・・「伴走者」と言ってましたね。
困ったとき、顔を向けると、「ニコッ」と笑ってくれる。「どうした?」「困ったことないか?」といつも声をかけてくれる。具体的に相談を持ちかけるわけじゃないけど、「つながってる」という感覚がある。
この感覚が絆ですね。
箱根駅伝でジープに乗りながら選手に声をかける、あの伴走車に乗ってる伴走者。「一緒に走ってくれてる」という感覚。これに安心するわけ。
ほかの選手がどうのこうのは関係ありません。「私にとってどうなのか?」がすべて。「みながどう思おうと、私はあのコーチと一緒にがんばります」と思えば、それでいいの。伴走者なんですから。
ダメ指導者に共通する要素は、一緒に走らず、1人で走らせた。むやみに走らせた。そしてハブする。これでは信頼の糸が切れてしまうわな。
糸が切れると不安と不信と不審が増幅し、成績も不振になってしまいます。
事実、日本柔道はロンドンオリンピックで金メダルはたった1個の惨敗です。たぶんあの桜宮高校も優勝というレベルからはほど遠くなっていたのではないでしょうか。「この指導者について行くと強くなれな」=糸」はすでに切れていたのだと思うのです。
では、どうして志願者がたくさん集まるのか(とくに桜宮高校の場合)? それは、志願者が最新情報を知らないからでしょう。いつの時代も伝統というのは過去の栄光です。未来もそうなるとは限りません。
もしかすると、ここ数年は優秀な素材が入学し、活躍してくれたおかげでそこそこ強いレベルにあったのかもしれません。よくはわかりませんが。
「人を預かる」「人を育てる」というのは苦難ですよ。できませんよ。こんな大変な仕事。そんなに巧くいくわけがありません。無視ではなく無私にならんと人はついてきませんな。
ま、そういうこと。
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『看取り先生の遺言 がんで安らかな最期を迎えるために』(奥野修司著・文藝春秋)です。詳細はこちらからどうぞ。