2013年02月19日ウサギとカメ。。。
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
今日は東京原理原則研究会ですからね、メンバーはご参集のこと。特別ゲストは奥村眞吾先生です。
実は、私も今日はMS火災海上さんで講演しなければならないのでぎりぎりになります。ごめんちゃい。奥村先生の講話はぜひご期待ください!
さて、受験シーズン真っ盛りですね。お受験は去年の秋に終わり、中学受験は2月早々に終わり、いまや大学受験ど真ん中てなところでしょうか。
こういう季節になるとよく聞くのが。。。
「うちの子はやればできるんだけど、どうも本気にならないんだよね」
そんなもんですよ。人間、他人にいわれたくらいで火がつくくらいなら、はなからついてますって。言えば言うほど反作用でやらなくなります。「いまやろうと思ってたのに・・・」な〜んてね。
それにこういう潜在能力を永遠に封印しちゃう「金の卵」がいるおかげで、努力しか能のないヤツがなんとか互していけるわけでね。潜在能力の高い人材が全員本気になられたら、「努力しか能のないヤツ」は生きていけません。
世の中、うまくできてるんです。
怠け者つうか、余裕派つうか、眠れる獅子つうか、死にものぐるいでなんか絶対にやらないかんね、という人は、「やればできるのに」と自他ともに言い合って、いまさら発揮したって、という年へと枯れていくわけです。
もったいない? そうは思いません。努力も大事。だけど、努力しない間になにかやってるわけでね。やる気がないのは関心がないからでしょ。興味関心が湧き起こればなにかやり出しますよ。たまたま大勢に流されないわけでね。かえって素晴らしいじゃないですか。
「ウサギとカメ」の話が『イソップ物語』にありますね。のろまなカメが油断して昼寝したウサギに勝つ、というお話ですね。「Slow and steady wins the race.」なんて諺もありますもんね。
この世の中にはウサギもいますしカメもいます。ウサギの足をもったカメというスーパーマンもいますし、カメの足をもったウサギというやる気ゼロ人間もいます。
けど、周囲が勉強してるときに、あえて「しない・やらない」つうヤツのほうがこだわりがあっておもしろいです。身内でも? ぜんぜん気にしません。人間、なるようにしかならない、と思ってますから。
さてと、素質というヤツは素質だけでは花開きません。素質が花開くには環境とか条件が必要なんでね。トマトでもメロンでも林檎でも種があれば実がなり、花が咲くわけじゃありません。水が必要です。コンクリートの上に置かれたら、種はその素質を発揮することはありません。
種は種としての素質を最大限に引き出してもらえる環境や条件に恵まれてこそ、本来の「生命」が活性化するわけですね。
才能や素質といった内的要因のことを「因」と言います。そして環境や条件などの外的要因を「縁」と言います。この才能や素質と環境や条件、すなわち、因と縁が織りなす仕組みのことを「因縁生起」と日本人は呼びました。
この仕組みが最高段階で発揮されたベストの状態を「因縁」の「縁」と、「生起」の「起」をとって、「縁起がいい」といいます。
また、原因があれば結果もあります。この結果のことを「果実」「成果」「報い」といったりします。すなわち、原因があれば、正の作用、反作用、副作用などのリアクションが必ず発生するのです。人も生物も物質もこの法則からは絶対に逃れられません。すべてかすめ取られてしまいます。
この仕組みのことを「因果応報」と呼びます。すべては因縁生起、そして因果応報なのです。
受験つうのは、実社会とちがって、やればやるだけ認めてもらえる単純で優しい世界です。実社会では、いくらやってもぜんぜん認められないことはたくさんあります。努力しようがしまいが、運のほうが決定的だったりします。
こんな楽なゲームにあえて参加せずに、わけのわからないパワーがいろいろ作用する実社会でガチンコ勝負する。なんと頼もしいじゃありませんか。。。
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『七十歳死亡法案、可決』(垣谷美雨著・幻冬舎)です。詳細はこちらからどうぞ。
実は、私も今日はMS火災海上さんで講演しなければならないのでぎりぎりになります。ごめんちゃい。奥村先生の講話はぜひご期待ください!
さて、受験シーズン真っ盛りですね。お受験は去年の秋に終わり、中学受験は2月早々に終わり、いまや大学受験ど真ん中てなところでしょうか。
こういう季節になるとよく聞くのが。。。
「うちの子はやればできるんだけど、どうも本気にならないんだよね」
そんなもんですよ。人間、他人にいわれたくらいで火がつくくらいなら、はなからついてますって。言えば言うほど反作用でやらなくなります。「いまやろうと思ってたのに・・・」な〜んてね。
それにこういう潜在能力を永遠に封印しちゃう「金の卵」がいるおかげで、努力しか能のないヤツがなんとか互していけるわけでね。潜在能力の高い人材が全員本気になられたら、「努力しか能のないヤツ」は生きていけません。
世の中、うまくできてるんです。
怠け者つうか、余裕派つうか、眠れる獅子つうか、死にものぐるいでなんか絶対にやらないかんね、という人は、「やればできるのに」と自他ともに言い合って、いまさら発揮したって、という年へと枯れていくわけです。
もったいない? そうは思いません。努力も大事。だけど、努力しない間になにかやってるわけでね。やる気がないのは関心がないからでしょ。興味関心が湧き起こればなにかやり出しますよ。たまたま大勢に流されないわけでね。かえって素晴らしいじゃないですか。
「ウサギとカメ」の話が『イソップ物語』にありますね。のろまなカメが油断して昼寝したウサギに勝つ、というお話ですね。「Slow and steady wins the race.」なんて諺もありますもんね。
この世の中にはウサギもいますしカメもいます。ウサギの足をもったカメというスーパーマンもいますし、カメの足をもったウサギというやる気ゼロ人間もいます。
けど、周囲が勉強してるときに、あえて「しない・やらない」つうヤツのほうがこだわりがあっておもしろいです。身内でも? ぜんぜん気にしません。人間、なるようにしかならない、と思ってますから。
さてと、素質というヤツは素質だけでは花開きません。素質が花開くには環境とか条件が必要なんでね。トマトでもメロンでも林檎でも種があれば実がなり、花が咲くわけじゃありません。水が必要です。コンクリートの上に置かれたら、種はその素質を発揮することはありません。
種は種としての素質を最大限に引き出してもらえる環境や条件に恵まれてこそ、本来の「生命」が活性化するわけですね。
才能や素質といった内的要因のことを「因」と言います。そして環境や条件などの外的要因を「縁」と言います。この才能や素質と環境や条件、すなわち、因と縁が織りなす仕組みのことを「因縁生起」と日本人は呼びました。
この仕組みが最高段階で発揮されたベストの状態を「因縁」の「縁」と、「生起」の「起」をとって、「縁起がいい」といいます。
また、原因があれば結果もあります。この結果のことを「果実」「成果」「報い」といったりします。すなわち、原因があれば、正の作用、反作用、副作用などのリアクションが必ず発生するのです。人も生物も物質もこの法則からは絶対に逃れられません。すべてかすめ取られてしまいます。
この仕組みのことを「因果応報」と呼びます。すべては因縁生起、そして因果応報なのです。
受験つうのは、実社会とちがって、やればやるだけ認めてもらえる単純で優しい世界です。実社会では、いくらやってもぜんぜん認められないことはたくさんあります。努力しようがしまいが、運のほうが決定的だったりします。
こんな楽なゲームにあえて参加せずに、わけのわからないパワーがいろいろ作用する実社会でガチンコ勝負する。なんと頼もしいじゃありませんか。。。
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『七十歳死亡法案、可決』(垣谷美雨著・幻冬舎)です。詳細はこちらからどうぞ。