2013年09月30日格差社会になりつつある?

カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」

 直近データでは、正規社員と非正規社員の年収は300万円もの差があるとか。1億円と9700万円ではありませんよ。400万円台と100万円台とか。

 ま、独り者の100万円と家族4人の400万円では、たぶん後者のほうがつらいわな。同じように、首都圏の400万円と田舎の100万円も一概に多い少ないは判断できません。

 ところで、いま、札幌原原をスタートしようかどうかと考えてますけど、もしできたら、ホテルではなくやっすいやっすいアパートメントでも借りようか、と考えてます。つうのも、真夏の都心は仕事なんぞできる環境ではないもんね。いくら北海道が暑くなったつうても、朝晩はやっぱ涼しいし。なんつっても梅雨がないかんね。

 仕事の能率を考えたら絶対お得。ホテルに2〜3泊するつもりなら完全に元がとれまっせ。札幌駅徒歩3分圏内で3万円。熊本の人吉では一戸建てが借りられます。横浜じゃプラス15万円でもないわな、絶対。

 こんだけ格差が広がってくると、そりゃアメリカや中国よりは桁違いにましですよ。けど、勝ち組負け組がはっきりしますわな。国のかたちとしていいわけがない。

 いま攻撃的な人が増えてるでしょ。不機嫌な人が激増してますよね。「Hate Speech」は中韓のお得意ですけど、それに対抗して中韓批判デモ等で盛んに展開されるようになりました。

 けど、どうかなあ。んなもん勝手にさせとけば。いまさら親しくなる必要もないし。「去る者は追わず、来る者は拒まず」って言葉がありますけど、「自分だけが正しい」と思いこんでる人たち、長いものには巻かれる性分の人たちには、「日本人の常識」は通じませんからね。

 自業自得ですな。

 因業で吝嗇な性格が原因で、1人息子からも棄てられた老人がいます。この人、むやみやたらに周囲に攻撃的。昔からそうなんだろうけど、老化で加速。町内会のトラブルメーカー。だれも相手にしない。いまは奥さんがいるけど、おそらく孤独死すんだろね。死後半年で発見されましたってケース?

 たとえば、私のような書評ブロガーの中にも、「つまらない」「読む価値なし」とわざわざ書いてる人がいますね。ならば読む価値のある本を紹介すればいいのに。そのほうがよっぽど読者のためになります。けど、しないし、そもそも気づかない。なぜか? 憂さ晴らしのためにやってるから。読者のことなんぞこれっぽっちも考えてないことが透けて見えるわけです。

 編集者に聞くと、ネット書店のレビュアーにも、名前を換えて、せっせと悪意たっぷりの評価をばらまいている人がいるそうです。簡単に特定できるらしいですが、「小人閑居して・・・」の典型ですな。チームや国家ぐるみで展開しているケースもあるでしょうね。

 息子夫婦に棄てられて拗ねてる老人と同じでね。つまんない人生です。なぜつまんない人生なのか? 本人がつまんない人だからでしょうな。

 つまんない人に共通することは、生産性がない。建設的でない。攻撃的。人に優しくない。自分のことだけ。だからまわりに人が集まらない。「レ・ミゼラブル(悲惨な人々)」そのものですな。

 人間不信と憎悪の塊だったジャン・バルジャンはミリエル司教に魂を救われましたが、彼らが救いようがないのは、ミリエル司教のような人に出逢ったことがないからではなく、出逢っても気づかない品格の低さにあるようです。

 同じ言葉を使うなら、生産的で、建設的で、ポジティブで、楽しい言葉でなければね(もち政治家に対してだけは別ですよ)。

 格差社会は人の心から余裕を奪い取ります。他人を羨んでも自分がよくなるわけじゃない。それどころか、どんどん墜ちていくだけ。
 そんなつまんない連中と同次元にならず、1位2位を競わず唯一を目指す。人は人、自分は自分。まだまだ超然とする日本人はたくさんいます。これが普通になったら日本はつまんない国になりますな。

 さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『安部公房とわたし』(山口果林著・講談社)です。詳細はこちらからどうぞ。