2014年08月15日終戦記念日がやってきた・・・

カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」

 8月15日ですね。ホントの終戦は1945年9月2日ですけど、そこが日本人。あくまでも私たちの終戦は8月15日。それでいいんです。

 日本武道館にて天皇陛下ご臨席のもと、全国戦没者追悼式が行われます。
 参考までに、この式にはA級戦犯も含まれます、と厚労省は明確に回答しています。

 なにが重要といって、天皇陛下の「公式参拝」であることが重要なのです。


♪上野駅から九段まで

♪勝手知らないじれったさ

♪杖を頼りに一日がかり

♪倅きたぞや 逢いに来た


 「靖国神社には公式参拝できないでしょ?」
 できなくなりました。その理由は、三流新聞が言いがかりをつけるような理由、すなわち、「戦犯が祀られているから」というわけではありません。

 三木なんとかという首相がありまして、この男が議会を乗り切るために公式参拝と私的参拝を分けるてな詭弁を弄しまして、あげくのはてに4条件(以前ブログに書いたよ)までつけまして、その結果、参拝できなくしてしまったのでございます。
 すべての責任はこいつにあります。
 武器輸出三原則といい、ロッキード事件で角栄失脚のために訪米して証拠探しに懸命なお姿に、かのキッシンジャーが「なんと卑しい人間よ」とあきれ果てたという御仁でございます。
 
 参考までに、「靖国神社は廃止せよ」「靖国参拝はやめよ」「国が第三者機関を設立せよ」とアピールする愚か者がいますが、英霊たちは別に習近平さんやいいつけ大統領に参拝してもらいたいわけではないっしょ。

 「けど、憲法20条に「政教分離」と謳われてるでしょ? 違反じゃないの?」
 な〜るほどね。あのね、靖国神社は民間の浄財で成り立ってるわけで、なにも国のお世話になってるわけじゃないの(伊勢神宮も同じ。鐚一文もらってないの。遷宮の費用はどうしたなんて、よけいなお世話。参考までに、アーリントン墓地はすべて親方星条旗でおます)。


水鏡天満宮(福岡市天神)の鳥居扁額は廣田弘毅、11歳の時に奉納した書(写真はいずれも扇情カメラマン中島孝志)。

 東京原原(第13期)のラスト講義で、知人の市川智彬住職の声を流しました。
 オヤジさんは先代住職である伊雄さん。どんな人かというと、巣鴨プリズンで処刑された7人の「戦犯」の骨をMP監視をかいくぐって奪いとり、その後、納骨。ご遺族に返した、という宗教人です。

 オヤジさんの話を聴きたくて伺ったわけです。

 刑の執行は1948年12月23日。すなわち、今上天皇の誕生日ですよ。マッカーサーはこういう「野暮」な男なんす。よっぽど心が卑しいんでしょう。トルーマンに嫌われるどころか全米市民から嫌われた男でした。アイゼンハワーとは天地の差です。

 おかげで昭和天皇は皇太子のお祝いを取りやめ、部屋に籠もってしまわれた、といいます。

 戦勝国は戦時国際法で交戦法規を決めました。

1一般住民、非戦闘員に危害を加えてはならない。
2軍事目標以外を攻撃してはならない。
3不必要な苦痛を与える残虐な兵器を使ってはならない。
4捕虜を虐待してはならない。

 な〜るほど、原爆投下は123すべてに違反していますね。特徴的なことはもう1つ。敗戦国の戦争犯罪だけが裁かれたことです。巣鴨でもBC級戦犯52名が処刑されました。

 もちろん戦争そのものは犯罪ではありません。近代法の基本概念である罪刑法定主義のルール通りです。1928年の「パリ不戦条約」でも、戦争を犯罪と規定しているわけではありません。各国の自衛権も認めています。「侵略」と「自衛」の区別も明確にされていませんし、違反してもそもそも罰則規定がありませんでした。

 事後法で罰することはできません。

 しかし、極東国際軍事裁判では、裁判長を任命されたマッカーサーの下、日本側弁護団からの動議はすべて却下されたのです。物的証拠は1つも無し、証拠写真は1枚もなし、「すべて将来闡明する!」という強弁のみで、一方的に日本に責任を押しつけるシナリオがどんどん進んでいく茶番劇でした。

 唯一の国際法学者インドのパール判事は全員無罪を主張。清瀬一郎弁護士も国際法学上また文明史上実に重大な文献であると述べています。
 
 マッカーサーがやりたかったことは、完膚無きままにやっつけられ、這々の体で逃げ出さざるを得なかったフィリピン戦の復讐でした。だから、「マレーの虎」と呼ばれた山下奉文大将を戦犯として最初に処刑したかったわけです。

 パリ不戦条約のことを別名「ケロッグ・ブリアン条約」と言います。フランク・ビリングス・ケロッグという当時のアメリカの国務長官は「経済封鎖は戦争行為にあたるかどうか?」と問われ、「もちろん戦争行為そのものだ」と断言しています。

 アメリカが日本にしていた経済封鎖は「戦争行為」そのものでした。

 1941年、アメリカは蒋介石の国民党軍を援助し、ビルマでボランティアを装った米空軍部隊「フライング・タイガース」を日本軍と戦わせていました。「真珠湾攻撃のずっと前から、アメリカは進んで日本と交戦していたではないか!」とパール判事が評した通りなのです。

 極東国際軍事裁判(東京裁判)では、東条英機を「1928年から一貫して行われた共同謀議の頭目」と決めつけました。この人は1940年に陸相になるまで政治に関わったことは1度としてありません。

 31年満州事変、37年支那事変、41年大東亜戦争・・・内閣がすべて異なります。田中義一内閣からはじまり、浜口雄幸、若槻礼次郎(第2次)、犬養毅、斎藤実、岡田啓介、廣田弘毅、林銑十郎、近衛文麿、平沼騏一郎、阿部信行、米内光政、近衛文麿(第2次)、近衛文麿(第3次)、東条英機、小磯国昭、鈴木貫太郎、東久邇宮稔彦・・・この間、首相暗殺3回。軍による倒閣。疑獄事件の引責辞任。議会反対で倒閣。閣内不一致・・・「一貫した共同謀議」がいつできたのでしょうか。
 
 幸い、日本は東京裁判を受諾していません。「諸判決を受諾する」というだけです。不当な裁判でも諸判決は呑む。わけのわからん大馬鹿者を相手に弁明などしない。わかる人にはわかる。わかる時代が必ずやってくる。命惜しむな、名をこそ惜しめ、という武士の誇りでしょう。

 「アムネスティ条約」でSF平和条約発効と同時に戦犯裁判は無効。受刑者は解放されました。いまの日本に国際法上「戦犯」は存在しません。

 従軍思案婦報道について「誤報」は認めない、という新聞社がありますが、日本人は悪い、日本は悪い国だ、日本は戦時中悪いことばかりした、と盛んに日本を攻撃しています。当時、意識して「誤報」を盛んに流していたのはどこの新聞社だったのでしょうか。

 攻撃ばかりする。いつまでも恨にこだわる。反省しない。謝罪しない・・・日本の新聞社ではないかもしれませんね。あの社名は「朝鮮日報」の略なのかもしれません。


 さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『アジアの中の日本』(司馬遼太郎著・文藝春秋)です。詳細はこちらからどうぞ。