2015年05月22日「熊野三山&高野山開創1200年祭 お一人様ツアー」あれこれ(その6)。

カテゴリー中島孝志の「日本伝統文化研究会」」

 さて、金剛峯寺と奥の院に参りましょう。

 まずは金剛峯寺です。左右の紋にご注目ください。これ、わかります?


右の「三頭右巴(さんとうみぎどもえ)」は高野山鎮守=丹生都比売神社の神紋ですよ。では左は?

この寺紋です。


ヒント:那智山青岸渡寺の屋根にも左側の寺紋がありましたね。

 青岸渡寺にしても「青巌寺」からとった寺号ですからね。青巌寺ってなに? 金剛峯寺の別名ですよ。つまり、この2つ、ものすごく関係性があんのよ。那智山の時に書いてたでしょ。ちょろっとね。

 「丹生」という言葉でピンと来た人がいらっしゃると思います。さすが空海です。空海と丹生は切っても切れない関係ですわな。

 どうして高野山は発展したのか? じり貧になってた高野山を再興したのはだれか? どうやって再興したのか? そのためのリスクは? 何を得て何を失ったのか?
 道元の曹洞宗もそうですが、途中でじり貧になってるの。寺は朽ち果て、僧も逃げ、消えかけた法灯を再興させる「中興の祖」が必ずいるわけ。
 こういう人物は経典だけ読んでりゃいい僧侶ではなく、山奥で悟りすましていられる暇人でもなく、めちゃくちゃ「政治」をしとるわけ。

 大局観と実践力、清濁併せのむ大物でなければ中興の祖などにはなれんのよ。

 よ〜く考えてみてちょ。原原は考える勉強会で正解を自動販売する「あんちょこ」とは違います。けど、正解は原原の二次会あたりでお話ししましょう。


金剛峯寺。かなり広いですよ。背後にあるお庭も立派。


真然大徳は空海の後継者。高野山二世でした。姉のこどもですね。

 残念ながら若くして亡くなります。哀しいかな、哀しいかな、哀しいかな。。。空海はそう何度も繰り返すだけだったといいます。最近になって真然大徳の骨が見つかり、ここに祀っています。  

 さて、二の橋ですね。樹齢400年の杉並木の中、戦国武将墓とか企業墓がたくさん。供養塔は20万もあります。そうそう、親鸞の墓所もあります。




宇宙航空事業で知られる新明和工業の墓です。目立つよなあ。。。

 ここから先が奥の院です。弘法大師空海がいらっしゃるところです。つうか、高野山を歩いてますと、空海が飛んでる姿を見ることがあるらしいっす。私のような朴念仁にはさっぱりわかりませんけどね。

 ここから先は撮影禁止なの。。。


7年前の写真でごめんね。めちゃ混みで橋が見えないんだもん。

この坂も人が多すぎてまったく先が見えないんだもん。

 さてと、ただいま、高野山で人気の土産品つうと、おそらく濱田屋さんの胡麻豆腐でしょう。テレビで何回も紹介されてますからね。予約しないと買えない、と思うな。店でも食べられますが、早く行かないと売り切れ。。。超人気っす。


店内は行列。メインストリートにないからわかりにくいと思うな。

 で、味は・・・とっても美味しいっす。風味が豊かですわな。
 「じゃ、いちばん美味いの?」つうと、上には上があるのよね。やっぱし。やっぱお寺なんだよなあ。。。これが。日本でいちばん美味しいと思うよ。
 どこ? はい、原原でお話します。「サービスしすぎ!」とメンバーから叱られますんでね。。。


 さて、今日のメルマガでご紹介する本は「迷宮の花街 渋谷円山町」(本橋信宏著・宝島社・1,566円)です。