2015年09月30日「長岡スローライフ体験ツアー」のレポ(その2)
カテゴリー中島孝志の「日本伝統文化研究会」」
最初に緊急連絡。明後日から「能登・金沢・加賀スピスピツアー」が始まります。本日、参加メンバーにメーリングリストで「1集合場所の地図、2選択コース別の地図、3タイムテーブル、4名簿」をPDFでお届けしています。アクセス先とパスワードは別々に流しています。ご確認ください。
すでにご報告の通り、門出生紙工房で紙漉き体験を満喫しますと、次は「じょんのびの湯」です。
高柳町は広いです。
じょんのびの湯「萬歳楽」。「じょんのび」とは「ゆっくり、のんびり」つう意味だそうです。
すっかり汗を温泉で流しました。熱々の湯です。久しぶりにマミーなんぞを呑んでしまいました。昔、銭湯とかにありましたよね。甘〜い。
で、18:20に「門出かやぶきの里」に到着。「いいもち棟」と「おやけ棟」に分かれます。地区の母ちゃんの手作り料理が魅力とのこと。楽しみです。
いいもち棟です。
おやけ棟です。食事、宴会、講義はこちらでやりました。
「おやけ」とは本家。で、分家が「いいもち」というそうです。1984年からみなで修復をした茅葺き家です。もち、水洗+ウォッシュレットですよ。
餅つきまでやらせて頂きました。驚きの美味さ! さすが新潟コシヒカリ。
いきなり囲炉裏火でお出迎えです。鮎が美味そうっす。。。
宴会前に記念写真です。5種類の「久保田」がそろい踏み。
母ちゃんたちの料理です。
井上先生のお話が最高のご馳走です。
「副業で私は5代目。冬だけ紙を漉いていたんです。荒れ地を開墾して「こうぞ」を植える。夜勤と昼勤の二交代でめいっぱい働きました。そして紙いっぽんで食べていけるようになりました」
木の皮を使うのが和紙の原料でしてね。木の芯材を使うのが洋紙。洋紙は100年単位ですが和紙は1000〜2000年はもつそうです。
いま、和紙の定義が曖昧です。本来、和紙は靱皮繊維という木の皮を使った光沢のある、強度のある、命を持っているもの。ですから、そういう和紙を「生紙(きがみ)」と呼んでいるんですね。毎日呼吸しているから生紙。
呼吸の幅は年数が経つとだんだん小さくなり、3年で収まってくると、「枯れた」という言い方になります。おもしろいですね。枯れる。腐るではありませんよ。原原メンバーならピンと来るでしょ(タネの野口さんの講演を思い出してください)。
本当に枯れるには500年もの時間が必要だそうです。なじんでくると強度も出てきます。本物でもできたて1年は水の中で溶けちゃう。人間と一緒ですね。
当初は商売上、お客さんに合わせる紙ばかり考えていたそうです。ところが本物はだんだん良くなってくるのに、化学処理した紙はできた時が最高でだんだん劣化する。お客さんよりこうぞとか紙とか、こちらに合わせよう。合わせて頂けるお客さんだけにお届けしよう、と決めたそうです。
おやけ、いいもちにしても、最初来た時はお客さん。けど、帰る時は仲間。2回目からは「おっ母さんまた来たよ」という関係。
囲炉裏端は一升瓶さえあれば話に花が咲くものです。コシヒカリの焼きおにぎり。醤油がご馳走です。ああ、なんという美味! 贅沢。。。
来週から弟子に乞われてイスラエル訪問。宗教も政治も関係なし。紙漉です、とのこと。グローバルというよりコスモポリタンですね。
門出生紙の小林康生先生のお話は最高でした。私には主観と客観というお話がとても参考になりました。そうなのよ、そうなの。どんなことを連想したかは原原でお話したいと思います。
こういう哲人と語り合うと、次から次へと連想が湧いてきます。とっても楽しい夜でした。
さて、今日のメルマガでご紹介する本は「大放言 前編」(百田尚樹著・新潮社・821円)です。
すでにご報告の通り、門出生紙工房で紙漉き体験を満喫しますと、次は「じょんのびの湯」です。
高柳町は広いです。
じょんのびの湯「萬歳楽」。「じょんのび」とは「ゆっくり、のんびり」つう意味だそうです。
すっかり汗を温泉で流しました。熱々の湯です。久しぶりにマミーなんぞを呑んでしまいました。昔、銭湯とかにありましたよね。甘〜い。
で、18:20に「門出かやぶきの里」に到着。「いいもち棟」と「おやけ棟」に分かれます。地区の母ちゃんの手作り料理が魅力とのこと。楽しみです。
いいもち棟です。
おやけ棟です。食事、宴会、講義はこちらでやりました。
「おやけ」とは本家。で、分家が「いいもち」というそうです。1984年からみなで修復をした茅葺き家です。もち、水洗+ウォッシュレットですよ。
餅つきまでやらせて頂きました。驚きの美味さ! さすが新潟コシヒカリ。
いきなり囲炉裏火でお出迎えです。鮎が美味そうっす。。。
宴会前に記念写真です。5種類の「久保田」がそろい踏み。
母ちゃんたちの料理です。
井上先生のお話が最高のご馳走です。
「副業で私は5代目。冬だけ紙を漉いていたんです。荒れ地を開墾して「こうぞ」を植える。夜勤と昼勤の二交代でめいっぱい働きました。そして紙いっぽんで食べていけるようになりました」
木の皮を使うのが和紙の原料でしてね。木の芯材を使うのが洋紙。洋紙は100年単位ですが和紙は1000〜2000年はもつそうです。
いま、和紙の定義が曖昧です。本来、和紙は靱皮繊維という木の皮を使った光沢のある、強度のある、命を持っているもの。ですから、そういう和紙を「生紙(きがみ)」と呼んでいるんですね。毎日呼吸しているから生紙。
呼吸の幅は年数が経つとだんだん小さくなり、3年で収まってくると、「枯れた」という言い方になります。おもしろいですね。枯れる。腐るではありませんよ。原原メンバーならピンと来るでしょ(タネの野口さんの講演を思い出してください)。
本当に枯れるには500年もの時間が必要だそうです。なじんでくると強度も出てきます。本物でもできたて1年は水の中で溶けちゃう。人間と一緒ですね。
当初は商売上、お客さんに合わせる紙ばかり考えていたそうです。ところが本物はだんだん良くなってくるのに、化学処理した紙はできた時が最高でだんだん劣化する。お客さんよりこうぞとか紙とか、こちらに合わせよう。合わせて頂けるお客さんだけにお届けしよう、と決めたそうです。
おやけ、いいもちにしても、最初来た時はお客さん。けど、帰る時は仲間。2回目からは「おっ母さんまた来たよ」という関係。
囲炉裏端は一升瓶さえあれば話に花が咲くものです。コシヒカリの焼きおにぎり。醤油がご馳走です。ああ、なんという美味! 贅沢。。。
来週から弟子に乞われてイスラエル訪問。宗教も政治も関係なし。紙漉です、とのこと。グローバルというよりコスモポリタンですね。
門出生紙の小林康生先生のお話は最高でした。私には主観と客観というお話がとても参考になりました。そうなのよ、そうなの。どんなことを連想したかは原原でお話したいと思います。
こういう哲人と語り合うと、次から次へと連想が湧いてきます。とっても楽しい夜でした。
さて、今日のメルマガでご紹介する本は「大放言 前編」(百田尚樹著・新潮社・821円)です。