2015年10月02日「志の輔らくご」は最高です!
カテゴリー中島孝志の落語・演劇・タカラヅカ万歳!」
やっぱり売れっ子はちがいますな。もう何回になるのか、「志の輔らくご」。
なんと原原メンバー2人と鉢合わせ。あんたも好きねえ。。。
普通、こういう落語会では前座がいて、何人か弟子とか知り合いの噺家を呼んで、中入りをはさんで2席。。。というのがパターンなんですけどね。
今回は二部構成。メインディッシュは「中村仲蔵(75分たっぷり)」。で、この大ネタをかけるために第一部(75分)に映像で「仮名手本忠臣蔵」を通しで解説する、という趣向。
たしかに、落語ファン=歌舞伎・文楽ファンではないわな。だから、「仮名手本〜」の内容を知らない人も少なくありません。元々、「仮名手本〜」は文楽の世界のもの。あまりの人気に、歌舞伎、講談が引っ張ってきましてね。2月と8月つう暑くて客が入らない時にかけても大入り満員札止め、という演し物。
この解説はさすがに赤坂ACTシアターでなけりゃできませんわな。
思わずガッテン!しちゃいました。ガッテンガッテンガッテン。
初代中村仲が蔵演じた斧定九郎っす。。。
噺を知らない方のために少し解説しておきましょう。
江戸時代、芝居が好きで好きでしょうがない男が1人。念願叶って歌舞伎界に入門。ところがこの世界、血縁がものを言う。
噺家に前座、二つめ、真打ち・・・大看板とあるように、この世界も序列ははっきりしてます。噺家の世界とちがうとこは「血筋」が絶対、というとこ。
噺家はどんなにエリートに生まれてもバカはバカ。ヘタはヘタ。当代の噺家、たとえば三平と喜久蔵を見てください。話になりません。
歌舞伎の世界は、生まれたときからどっぷり浸かってると所作そのものを自然と体得します。なんたってスパルタ教育。有無を言わさずたたき込みますからね。親子では師匠と弟子です。星一徹VS星飛雄馬ですよ。
中村仲蔵。熱意と努力は尋常じゃあない。感心した師匠が弟子にしてくれた。といっても血筋ですから。どこの馬の骨かわからないヤツに大した役など回ってこない。いい役は血統書付きのエリートが演じるの。
くすぶりでも芝居が好きで芝居のまねごとができるだけでも嬉しいわけよ。もちろん人一倍精進もした。
大師匠が相中から名代にまで引き上げてくれた。これは異例というより異常なほどの大抜擢です。
幸之助さん曰く、「左遷は本人さえ納得してればええ。抜擢は周囲を納得させなあかん」。。。嫉妬の世界ですからねえ。
中村仲蔵。総スカンであります。
当時の芝居は、座頭と立作者がすべてを差配します。大師匠の座頭はいいとして、ほかは嫉妬、焼き餅で中村仲蔵憎しの一色、名代になって初めての舞台は「仮名手本忠臣蔵」。彼に割り当てられた役は五段目に登場する斧定九郎(おの・さだくろう)ひと役。
嫌がらせですな。
五段目てのは当時、弁当幕と呼ばれてました。芝居は朝から一日中行われてたわけで、五段目は昼時だから、お客は弁当を食べ始めるのよ。芝居なんか観ない。となりゃ、その程度の役者しか出てこない。
斧定九郎もその程度の役。
役をもらった仲蔵は嬉しかったね。嫌がらせとはわかっていてもね。奥さんと手に手をとって喜んだ。師匠にも報告した。師匠てえのは力のない田舎芝居出身で檜舞台なんて踏んだことがない。
さて、どんな演出をするか・・・。従来通りにやれば問題なし。それじゃ何の意味もない。たとえ弁当幕だろうと「さすが仲蔵! 栄屋だ!」と言われる芝居を観せたい。
願掛けの帰りにものすごい夕立ち。食べたくもないそば屋に入って雨宿り。
「許せ」と入ってきた二本差しの浪人。髪は床代がないから伸ばしっぱなし。夏なのに冬物の袷を裏をはがして着てる。スッカラカン。顔は真っ白。これが苦み走ったいい男。「酒をくれ」と一気に飲み干す。
傘があるから濡れた、とこぼす。広げてみれば破れて使えない。
「バカにされたものよ。元をただせば直参旗本。落ちぶれるってえのはこういうことか」
一部始終を見てた仲蔵。これだ! これが斧定九郎だぜ!
元は旗本53000石。落ちぶれ果てて山賊にまで堕落。名門に育ちながらも運命に翻弄されて落ちていく人物なのよ。にもかかわらず、それまでは弁当幕で適当に山賊の格好で登場してたってわけ。
仲蔵は。芝居の初日、髪をざんばら髪にして、袷の裏を引きはがして、頭から水をかぶって登場。まさにあのときの直参旗本。
「なにか舞台に雨でも降ってるようですよ」
「ホント。水が飛びましたね」
芝居を見ずに弁当を楽しんでいる観客が、雨かなと見上げると、そこにはだれも見たことのない定九郎。
芝居小屋は水をうったように静かなまま。「うまい!」「名人!」「栄屋!」という声は一度もかからない。観客はなにも言わない。
しくじった。。。がっくりくる中村仲蔵。今日限り、上方に逃げよう。いや、もう死んじまおう。。。
ところが、話はまったくちがう方向へと走り出します。。。
さて、今日のメルマガでご紹介する本は「伊勢神宮とは何か」(植島啓司著・集英社・1,512円)です。
なんと原原メンバー2人と鉢合わせ。あんたも好きねえ。。。
普通、こういう落語会では前座がいて、何人か弟子とか知り合いの噺家を呼んで、中入りをはさんで2席。。。というのがパターンなんですけどね。
今回は二部構成。メインディッシュは「中村仲蔵(75分たっぷり)」。で、この大ネタをかけるために第一部(75分)に映像で「仮名手本忠臣蔵」を通しで解説する、という趣向。
たしかに、落語ファン=歌舞伎・文楽ファンではないわな。だから、「仮名手本〜」の内容を知らない人も少なくありません。元々、「仮名手本〜」は文楽の世界のもの。あまりの人気に、歌舞伎、講談が引っ張ってきましてね。2月と8月つう暑くて客が入らない時にかけても大入り満員札止め、という演し物。
この解説はさすがに赤坂ACTシアターでなけりゃできませんわな。
思わずガッテン!しちゃいました。ガッテンガッテンガッテン。
初代中村仲が蔵演じた斧定九郎っす。。。
噺を知らない方のために少し解説しておきましょう。
江戸時代、芝居が好きで好きでしょうがない男が1人。念願叶って歌舞伎界に入門。ところがこの世界、血縁がものを言う。
噺家に前座、二つめ、真打ち・・・大看板とあるように、この世界も序列ははっきりしてます。噺家の世界とちがうとこは「血筋」が絶対、というとこ。
噺家はどんなにエリートに生まれてもバカはバカ。ヘタはヘタ。当代の噺家、たとえば三平と喜久蔵を見てください。話になりません。
歌舞伎の世界は、生まれたときからどっぷり浸かってると所作そのものを自然と体得します。なんたってスパルタ教育。有無を言わさずたたき込みますからね。親子では師匠と弟子です。星一徹VS星飛雄馬ですよ。
中村仲蔵。熱意と努力は尋常じゃあない。感心した師匠が弟子にしてくれた。といっても血筋ですから。どこの馬の骨かわからないヤツに大した役など回ってこない。いい役は血統書付きのエリートが演じるの。
くすぶりでも芝居が好きで芝居のまねごとができるだけでも嬉しいわけよ。もちろん人一倍精進もした。
大師匠が相中から名代にまで引き上げてくれた。これは異例というより異常なほどの大抜擢です。
幸之助さん曰く、「左遷は本人さえ納得してればええ。抜擢は周囲を納得させなあかん」。。。嫉妬の世界ですからねえ。
中村仲蔵。総スカンであります。
当時の芝居は、座頭と立作者がすべてを差配します。大師匠の座頭はいいとして、ほかは嫉妬、焼き餅で中村仲蔵憎しの一色、名代になって初めての舞台は「仮名手本忠臣蔵」。彼に割り当てられた役は五段目に登場する斧定九郎(おの・さだくろう)ひと役。
嫌がらせですな。
五段目てのは当時、弁当幕と呼ばれてました。芝居は朝から一日中行われてたわけで、五段目は昼時だから、お客は弁当を食べ始めるのよ。芝居なんか観ない。となりゃ、その程度の役者しか出てこない。
斧定九郎もその程度の役。
役をもらった仲蔵は嬉しかったね。嫌がらせとはわかっていてもね。奥さんと手に手をとって喜んだ。師匠にも報告した。師匠てえのは力のない田舎芝居出身で檜舞台なんて踏んだことがない。
さて、どんな演出をするか・・・。従来通りにやれば問題なし。それじゃ何の意味もない。たとえ弁当幕だろうと「さすが仲蔵! 栄屋だ!」と言われる芝居を観せたい。
願掛けの帰りにものすごい夕立ち。食べたくもないそば屋に入って雨宿り。
「許せ」と入ってきた二本差しの浪人。髪は床代がないから伸ばしっぱなし。夏なのに冬物の袷を裏をはがして着てる。スッカラカン。顔は真っ白。これが苦み走ったいい男。「酒をくれ」と一気に飲み干す。
傘があるから濡れた、とこぼす。広げてみれば破れて使えない。
「バカにされたものよ。元をただせば直参旗本。落ちぶれるってえのはこういうことか」
一部始終を見てた仲蔵。これだ! これが斧定九郎だぜ!
元は旗本53000石。落ちぶれ果てて山賊にまで堕落。名門に育ちながらも運命に翻弄されて落ちていく人物なのよ。にもかかわらず、それまでは弁当幕で適当に山賊の格好で登場してたってわけ。
仲蔵は。芝居の初日、髪をざんばら髪にして、袷の裏を引きはがして、頭から水をかぶって登場。まさにあのときの直参旗本。
「なにか舞台に雨でも降ってるようですよ」
「ホント。水が飛びましたね」
芝居を見ずに弁当を楽しんでいる観客が、雨かなと見上げると、そこにはだれも見たことのない定九郎。
芝居小屋は水をうったように静かなまま。「うまい!」「名人!」「栄屋!」という声は一度もかからない。観客はなにも言わない。
しくじった。。。がっくりくる中村仲蔵。今日限り、上方に逃げよう。いや、もう死んじまおう。。。
ところが、話はまったくちがう方向へと走り出します。。。
さて、今日のメルマガでご紹介する本は「伊勢神宮とは何か」(植島啓司著・集英社・1,512円)です。