2017年02月18日天神さんの梅祭り。

カテゴリー中島孝志の「日本伝統文化研究会」」

 原原では、大阪と名古屋の新メンバー募集が始まりましたけど、嬉しいことが1つ。なんと大学時代の先輩が名古屋原原に入会することになりましたんや。自衛隊の体験入隊、少年の船協会指導員(やるき元気井脇の井脇のぶ子さん主宰)も一緒だった先輩でね。ホント、30年超ぶりでやんすよ。おもしろいでんなあ。縁でんなあ。。。

 もう1つ。大阪では「古稀ですがぜひ勉強したい」という方がいらっしゃいました。とんでもない。勉強に年齢は関係ありません。熱烈歓迎です。しかも大阪原原には古稀超メンバーは5人いらっしゃいます。若いけど動かない。不惑だけど迷ってばかりいる人よりも若いのではないでしょうか。

 青春とは心の若さである
 信念と希望にあふれ
 勇気に満ちて
 日に新たな活動を
 続けるかぎり
 青春は永遠にその人のものである

 幸之助さんが宇野収さん(東洋紡社長・会長歴任)からサムエル・ウルマンの詩を紹介されたとき、「ぼくも同じや」とインスパイアされてつくった詩がこれなのよ。年齢とか性別とか会社とかすべての枠を取っ払ってるのが原原の特長なんですよ。

 こだわらない、とらわれない、かたよらない・・・無為自然。あるがまま。これ、私のスタンスでおまんねん。
 
 変わらなくても満足してるならあえて参加する必要はないけどね。よりよく変わりたいと願うなら仲間に入ってください。いままでと同じことしてたら変われませんよ。つうか、それで変われたらおかしいでしょ。1年後、「ぜんぜん変わらないけど」という方がいれば、「全額」ご返金申し上げますのでご安心ください。

 さあて、いま、全国的に梅祭りっす。こんだけ温っかいと桜の狂い咲きもありそうですな。
 梅の原産地は中国。古代には日本に伝わってましたんや。昔は日本でも桜ではなく梅がメインだったらしいっすよ。万葉集では萩がいちばん詠まれてるようですけど。。。

 で、梅といえば、天神さん。天満宮では毎月25日に「縁日」があります。

 とくに2月25日は道真の命日ですから「梅花祭」。6月25日は「御誕辰祭」。では1月と12月の25日はなんつうか知っとー? 正解は原原でお話します。


湯島天神も湯島天満宮が正式名称っす。


梅がバラ科サクラ属だとは知りませんでした。

東風ふかば におひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

 太宰府に左遷の日、道真が歌を詠むと、梅が太宰府まで飛んでいったつう伝説がありましてね。北野天満宮には1500本もの梅の木がありますから、3トンくらい梅ができちゃうんで、12月頃になりますと干したのを参拝客に分けてくれるんす。。。これ、「飛梅(とびうめ)」つうネーミングでブランドになっとるんよね。

 けどさ、よく考えたら、北野に残っとるんは飛ばなかった梅でないかい。「飛梅」でええんか。。。あまり突っ込んだらあかんやろなあ。


北野と太宰府の梅は迫力がちゃいまんな。

「春の訪れ」を知らせる「梅の使節」。首相表敬など、いまや立派な使命を担っとりますんや。

 太宰府ええとこですよ。去年は3回参拝させて頂きました。女性の宮司さんに特別参拝させてもらいました。


天神さんの系図。

 宇多天皇に重用されて右大臣に上り詰めるんだけど、後継の醍醐天皇に左大臣時平があることないこと讒訴するわけよ。「天皇位を娘婿に奪わせようと画策してます」とかね。
 策略は藤原氏の専売特許ですから、人物を見ればわかるでしょうけどね。異母弟がライバルだから疑心暗鬼に駆られたんでしょうな。金兄弟と同じ構図かな。

 藤原氏はさすが策士の家系ですな。まんまと罠にはまって左遷されちゃうわけ。

 天神さんはなんたって「天満大自在天神」ですからね。天皇のご子息が次々と夭逝します。時平のみならず、藤原氏も疫病で死んじゃうし、清涼殿には雷が落ちて火事になっちゃうし・・・。

 「触らぬ神に祟りなし」なんだけど、怨霊は怖いんで、死後に官位を次々とあげるわ、地方に飛ばした子孫を都に呼び戻して復位させるわ、ご機嫌取りに懸命。

 で、北野天満宮をつくっちゃう。

 強烈な怨霊ほど味方にしたら頼もしいのはありません。少し落ち着いてくると、道真は元もと文章博士の家系でお勉強が得意。学問を志す人たちが御利益に預かろうってんで参拝、崇拝の対象になっていくのもわかりますわな。


文子(あやこ)天満宮。拝殿本殿に詣る観光客はたくさんいましたけどね。。。

 どうしてこの地に天満宮ができたのか? 「われを右近馬場に祀れ!」と道真の乳母(多治比文子)が夢でお告げを聞くんですね。
 醍醐天皇は慌てて神社を建てます。それがいまの場所なわけ。


元もと神社がありました。それが地主神社。

 だから一の鳥居の真北に位置してるわけ。天満宮は後からできたんだもん。だからいったん左に折れてから真北に進んで三光門をくぐって拝殿本殿に参拝するようになってるわけ。


星かけの三光門にある三日月。



 ところで、北野だけでなく、このあたりは「野」が付く地名が少なくありません。すぐお隣は平野神社でしょ。紫野、内野(聚楽第の後ね)、蓮台野とか、船岡山の北で低い場所なんでしょう。化野とか鳥辺野と同じでしょう。

 紫野には淳和天皇の離宮「雲林亭」がありました。紫式部(紫野に住んでたんでこう呼ばれたわけ)の墓があります。いま寺になってる「雲林院」は大徳寺。大徳寺には原原メンバーは何度も参拝してると思うけど、大燈国師つながりで今度は妙心寺に参拝しまひょ。

 6月の沙羅双樹の頃がいいかなあ。。。

 北野天満宮から平野神社、そして大報恩寺(千本釈迦堂)は散歩コース。めちゃ近いわけ。大報恩寺も何回も参拝しましたよね。で、今回は迎賓館、梨木神社の東にある廬山寺(紫式部邸跡なのよ)まで足を伸ばしてきました。隣がただいま話題の京都府立医大でね。ざわざわしとりましたなあ。。。