2017年07月17日祇園祭は今日が神幸祭ですな。。。
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
先週の博多原原。いつも金曜にやってます。来年からは土曜にしますけど。火曜東京、水曜名古屋、木曜大阪。で、金曜が博多。土曜が出雲・・・なんて殺人的なスケをこなしてたわけ。昔はね。
一昨年あたりから、これ、大変なんじゃね? てわけで、博多、出雲、新潟そして東京は連続しないようにしたわけ。つまり、名古屋と大阪だけなのよ。連チャンは。
さて、先週の博多は「祇園山笠」、翌朝は「追い山」。祭もピークなんで朝4時からテレビ中継。なんたって4時59分から神事が始まりますからね。
博多の祇園山笠てのは疫病退散の願いを込めて始まったもの。京の祇園祭と同じ。祇園御霊会(祇園会)ですわな。清和天皇の時代から始まりました。
日本の祭ってのはすべて神様に奉納するもので、その時、民の声として、五穀豊穣と無病息災はセットなわけですよ。鎮護国家なんてのは後の後。どちらかつうと仏教のほうです。
で、今日から京都の祇園祭は神幸祭です。祇園祭は7月1日ー31日まであります。元もとは水無月のイベントなのよね。けど、明治になってから太陽暦になりまして7月に換わっちゃった。
昔の京都の水無月ゆうたら、年間通じて最悪でしょ。暑いし、梅雨で湿気が多いんで腐りやすいし、河川の氾濫も多いし、気が滅入る。
京都だけじゃなくて、全国的に疫病シーズンなのよ。で、疫病が流行ったときだけ神頼みでやってたんだけど、100年後の970年(円融天皇の時代)から毎年やりまひょ、つうことになり、室町あたりから経済的に裕福になった町衆がみずから主催するようになりましたんや。
もち、安土桃山となると派手好みの秀吉が見逃すはずがありません。
さてさて、祇園祭ゆうくらいですからね、祇園社=八坂神社への奉納神事です。
八坂さんは四条通りに面してますけど、あれ、西門ですから。正式には南門です。もち、神霊を遷した3基の御輿は南門から出て四条寺町の御旅所へ集まります。高島屋の西にある「Otabi」が全面改装されて鎮座されるんでぜひご覧になるといい、と思いますね。つうか、ダメでしょ。せっかく祇園祭に行くならさ。
長刀鉾をはじめとした33基の山鉾巡行ですけど、平成26年から今日17日(前祭)と24日(後祭)と2回になりましたんや。これ、49年ぶりですからね。この間、前祭しかなかったわけ(前祭の宵山は14日ー16日。後祭の宵山は21日ー23日ですから)。
なんのために巡行するかつうと、疫病退散の願い事ですからね。神幸祭直前、神様を遷した御輿が巡幸する道を山鉾が浄め祓うためです。だから山鉾は四条通を巡行する時だけが神事といえば神事。四条河原町から新町御池までは見物人たちへのサービスみたいなもん。
で、神幸祭は3基の神輿が氏子町内を巡幸して四条御旅所にとどまるまで。
還幸祭=後祭ではこの逆ルート。昔は三条通から寺町通を通って四条通に入ってましたけど、観光客の激増。それに寺町通は狭いアーケードなんで鉾がぶつかっちゃう。ま、いつか本式ルートに戻ると思いますけどね。
還幸祭の直前にあるのが花傘巡行です。花街のきれいどころをはじめ、子供神輿とか祇園ばやし、稚児など1000人の行列です。
で、還幸祭は3基の神輿が御旅所を出て氏子町内をまわって八坂さんに還るまで。
大昔、洛内に4年住んでまして(御所内町)、近いんで祇園祭にも行きました。京都人の見せびらかし=屏風祭もミモノですけど、あまりの暑さにクタクタのヘロヘロ。以来、このシーズンはうろちょろしないようにしてます。
中心を避けていきなり大原つう手はありますな。名古屋原原の後に行くかなあ。いやいや、あの暑さを忘れたらいかん。クタクタのヘロヘロ必定やーー。溶けてまうでー。やっぱ海パンだわなあ。
一昨年あたりから、これ、大変なんじゃね? てわけで、博多、出雲、新潟そして東京は連続しないようにしたわけ。つまり、名古屋と大阪だけなのよ。連チャンは。
さて、先週の博多は「祇園山笠」、翌朝は「追い山」。祭もピークなんで朝4時からテレビ中継。なんたって4時59分から神事が始まりますからね。
博多の祇園山笠てのは疫病退散の願いを込めて始まったもの。京の祇園祭と同じ。祇園御霊会(祇園会)ですわな。清和天皇の時代から始まりました。
日本の祭ってのはすべて神様に奉納するもので、その時、民の声として、五穀豊穣と無病息災はセットなわけですよ。鎮護国家なんてのは後の後。どちらかつうと仏教のほうです。
で、今日から京都の祇園祭は神幸祭です。祇園祭は7月1日ー31日まであります。元もとは水無月のイベントなのよね。けど、明治になってから太陽暦になりまして7月に換わっちゃった。
昔の京都の水無月ゆうたら、年間通じて最悪でしょ。暑いし、梅雨で湿気が多いんで腐りやすいし、河川の氾濫も多いし、気が滅入る。
京都だけじゃなくて、全国的に疫病シーズンなのよ。で、疫病が流行ったときだけ神頼みでやってたんだけど、100年後の970年(円融天皇の時代)から毎年やりまひょ、つうことになり、室町あたりから経済的に裕福になった町衆がみずから主催するようになりましたんや。
もち、安土桃山となると派手好みの秀吉が見逃すはずがありません。
さてさて、祇園祭ゆうくらいですからね、祇園社=八坂神社への奉納神事です。
八坂さんは四条通りに面してますけど、あれ、西門ですから。正式には南門です。もち、神霊を遷した3基の御輿は南門から出て四条寺町の御旅所へ集まります。高島屋の西にある「Otabi」が全面改装されて鎮座されるんでぜひご覧になるといい、と思いますね。つうか、ダメでしょ。せっかく祇園祭に行くならさ。
長刀鉾をはじめとした33基の山鉾巡行ですけど、平成26年から今日17日(前祭)と24日(後祭)と2回になりましたんや。これ、49年ぶりですからね。この間、前祭しかなかったわけ(前祭の宵山は14日ー16日。後祭の宵山は21日ー23日ですから)。
なんのために巡行するかつうと、疫病退散の願い事ですからね。神幸祭直前、神様を遷した御輿が巡幸する道を山鉾が浄め祓うためです。だから山鉾は四条通を巡行する時だけが神事といえば神事。四条河原町から新町御池までは見物人たちへのサービスみたいなもん。
で、神幸祭は3基の神輿が氏子町内を巡幸して四条御旅所にとどまるまで。
還幸祭=後祭ではこの逆ルート。昔は三条通から寺町通を通って四条通に入ってましたけど、観光客の激増。それに寺町通は狭いアーケードなんで鉾がぶつかっちゃう。ま、いつか本式ルートに戻ると思いますけどね。
還幸祭の直前にあるのが花傘巡行です。花街のきれいどころをはじめ、子供神輿とか祇園ばやし、稚児など1000人の行列です。
で、還幸祭は3基の神輿が御旅所を出て氏子町内をまわって八坂さんに還るまで。
大昔、洛内に4年住んでまして(御所内町)、近いんで祇園祭にも行きました。京都人の見せびらかし=屏風祭もミモノですけど、あまりの暑さにクタクタのヘロヘロ。以来、このシーズンはうろちょろしないようにしてます。
中心を避けていきなり大原つう手はありますな。名古屋原原の後に行くかなあ。いやいや、あの暑さを忘れたらいかん。クタクタのヘロヘロ必定やーー。溶けてまうでー。やっぱ海パンだわなあ。