2017年09月25日亡くなった大切な友人=松藤民輔さんのこと。。。
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
忘れないうちに・・・今日から
「松藤民輔の部屋」で連載することになりました。毎週月曜日らしいよ。ぜひ読んでね。
そういえば、松藤さんから頼まれて、何年か前に短期連載したことあんだよね。この水曜木曜に通夜と葬儀がありましてね。いろいろ相談された結果こうなったつうことです。
通夜とか葬儀って、私、できるだけ会葬することにしてます。現世でのお別れですからね。来世で逢えるかどうかわかりません。それぞれ次元が違うから。つまり今生のお別れ。だから万難を排して弔わせて頂くわけ。
こういう時にしか逢えない人もいますからね。
「中島さん、お久しぶりです。さっきまで○○さん(上場企業トップ)と一緒でした」
「松藤さんの急逝に驚いてたでしょ?」
「えっ、彼、松藤さんと面識あるんですか?」
「独立する時、スポンサー探してたんで投資家やオーナー経営者を軒並み紹介したんだよね」
「ぜんぜん知りませんでした」
彼もオーナー経営者で忙しいから冠婚葬祭でしか会わんなあ。電話すればいつでも会えるけど、そもそも「電話しよう」と思わないからね。
弔辞は松藤さんの会社で役員を長らく務められた奥村眞吾先生。
見事でしたね。奥村先生の優しい感性で、ああ、そういう人だったなあ、とほっこり感じ入りました。
増上寺は涙雨ではなく快晴でした。
おもしろいもんですなあ。人のご縁というのは。計算できません。神様のはからいでしょうな。不可思議です。霊妙です。とてもとても人智も及ぶところではありませんな。
考えてみれば、奥村先生を紹介したのも私。「松藤民輔の部屋」をプロデュースしたのも私。講談社、朝日新聞、PHPの本、デビュー作をプロデュースしたのも私。
では、この私を松藤さんに紹介したのはだれ? 船井幸雄さんですよ。
「ちょっと売り出して欲しい人がいるんだけど」・・・困ると必ず電話してくるわけ。船井さんの会社ではだれもコンサルできない場合。まあムリでしょ。以来、30年くらいのつきあい。
「松藤民輔の部屋」でも触れたけど、10年前、知人の赤塚不二夫さんの葬儀に列席しまして、タモリさんが読んだ弔辞の一節にこんなのがありました。
「私もあなたの数多くの作品の一つです。」
痛切に同感しますね。ご縁てそういうものですよ。
というのも、学生時代、居合道やってましてね。「武士たるもの町人とはちがう」てなわけで、経済学、民法、商法・・・ありとあらゆるマネーに関する学問を下品なモノと見てたわけ。必修科目もすべて無視。
ところが、松藤さんという「天才家庭教師」の薫陶よろしく、尋常ならざるレベルの実践的つうより極めて実戦的な「投資インテリジェンス」を叩き込まれたわけ。正確には、真綿が水を吸い取る如く、すんなり学ぶことができたわけ。
いま、「ぴよこちゃん倶楽部」を主宰したり、それ以前に原原の「まくら」で政治経済から金融、投資のグローバル・インテリジェンスを解説してますけど、考えてみれば、こんな素養は私にはそもそもありえないんですよ。
「門前の小僧」ですな。
不可思議なもんですな。人とのご縁は霊妙なもんですな。身内の命日そして私の誕生日にも毎年必ず花を贈ってくれましてね。楽しみにしてました。1回ならまだしも「続ける」ってなかなかできませんよ。
「私もあなたの数多くの作品の一つです。」と胸を張って言えるようにならないかんですな。
「志半ば」とだれもが思うでしょ。けど、志を全うできるなんて奇跡でしょ。いつも夢見てる人にはね。次から次へと夢は広がるんですから。いつも立ち止まらない。常に「前のめり」で生きてきた。。。なんとも見事な生き様でしたな。合掌。
さて、今日の「通勤快読」でご紹介する本は「逆さメガネで覗いたニッポン」(養老孟司著・691円・PHP)です。
「松藤民輔の部屋」で連載することになりました。毎週月曜日らしいよ。ぜひ読んでね。
そういえば、松藤さんから頼まれて、何年か前に短期連載したことあんだよね。この水曜木曜に通夜と葬儀がありましてね。いろいろ相談された結果こうなったつうことです。
通夜とか葬儀って、私、できるだけ会葬することにしてます。現世でのお別れですからね。来世で逢えるかどうかわかりません。それぞれ次元が違うから。つまり今生のお別れ。だから万難を排して弔わせて頂くわけ。
こういう時にしか逢えない人もいますからね。
「中島さん、お久しぶりです。さっきまで○○さん(上場企業トップ)と一緒でした」
「松藤さんの急逝に驚いてたでしょ?」
「えっ、彼、松藤さんと面識あるんですか?」
「独立する時、スポンサー探してたんで投資家やオーナー経営者を軒並み紹介したんだよね」
「ぜんぜん知りませんでした」
彼もオーナー経営者で忙しいから冠婚葬祭でしか会わんなあ。電話すればいつでも会えるけど、そもそも「電話しよう」と思わないからね。
弔辞は松藤さんの会社で役員を長らく務められた奥村眞吾先生。
見事でしたね。奥村先生の優しい感性で、ああ、そういう人だったなあ、とほっこり感じ入りました。
増上寺は涙雨ではなく快晴でした。
おもしろいもんですなあ。人のご縁というのは。計算できません。神様のはからいでしょうな。不可思議です。霊妙です。とてもとても人智も及ぶところではありませんな。
考えてみれば、奥村先生を紹介したのも私。「松藤民輔の部屋」をプロデュースしたのも私。講談社、朝日新聞、PHPの本、デビュー作をプロデュースしたのも私。
では、この私を松藤さんに紹介したのはだれ? 船井幸雄さんですよ。
「ちょっと売り出して欲しい人がいるんだけど」・・・困ると必ず電話してくるわけ。船井さんの会社ではだれもコンサルできない場合。まあムリでしょ。以来、30年くらいのつきあい。
「松藤民輔の部屋」でも触れたけど、10年前、知人の赤塚不二夫さんの葬儀に列席しまして、タモリさんが読んだ弔辞の一節にこんなのがありました。
「私もあなたの数多くの作品の一つです。」
痛切に同感しますね。ご縁てそういうものですよ。
というのも、学生時代、居合道やってましてね。「武士たるもの町人とはちがう」てなわけで、経済学、民法、商法・・・ありとあらゆるマネーに関する学問を下品なモノと見てたわけ。必修科目もすべて無視。
ところが、松藤さんという「天才家庭教師」の薫陶よろしく、尋常ならざるレベルの実践的つうより極めて実戦的な「投資インテリジェンス」を叩き込まれたわけ。正確には、真綿が水を吸い取る如く、すんなり学ぶことができたわけ。
いま、「ぴよこちゃん倶楽部」を主宰したり、それ以前に原原の「まくら」で政治経済から金融、投資のグローバル・インテリジェンスを解説してますけど、考えてみれば、こんな素養は私にはそもそもありえないんですよ。
「門前の小僧」ですな。
不可思議なもんですな。人とのご縁は霊妙なもんですな。身内の命日そして私の誕生日にも毎年必ず花を贈ってくれましてね。楽しみにしてました。1回ならまだしも「続ける」ってなかなかできませんよ。
「私もあなたの数多くの作品の一つです。」と胸を張って言えるようにならないかんですな。
「志半ば」とだれもが思うでしょ。けど、志を全うできるなんて奇跡でしょ。いつも夢見てる人にはね。次から次へと夢は広がるんですから。いつも立ち止まらない。常に「前のめり」で生きてきた。。。なんとも見事な生き様でしたな。合掌。
さて、今日の「通勤快読」でご紹介する本は「逆さメガネで覗いたニッポン」(養老孟司著・691円・PHP)です。