2019年02月04日「メリー・ポビンズ・リターンズ」
カテゴリー中島孝志の不良映画日記」
いい映画が軒並み封切りですな。
「ビクトリア女王」は必見です。「七人の会議」もおもしろそう。
でもでも、やっぱ「メリー・ポビンズ・リターンズ」は見なくちゃね。
けど、その前に・・・これ見てちょ。大好きな大好きなエマ・トンプソンつう英国女優が主役だから、というわけではないんですけど。
元々の「メリー・ボビンズ」は1964年の作品です。主役はジュリー・アンドリュースですよね。ディズニー映画でアカデミー主演女優賞にノミネート(後に受賞)されたのはいまだに彼女だけ。
さて、ジュリーが頭角を現したのはブロードウェイ公演ですわな。ご存じ「マイ・フェア・レディ(1956年)」。
以前、書いたと思うけど、映画版「マイ・フェア・レディ」で主演をつとめたのはオードリー・ヘップバーン。歌唱シーンは吹き替え。歌、そんなに巧くないもん。
この年のアカデミー賞なんすよ、ジュリーが獲得したのは。つまり、オードリー・ヘップバーンは取れなかったの。ま、下世話な言葉で言えば「リベンジ」てやつ? たぶん判官贔屓もあるとは思うけど、ミュージカル映画で吹き替えじゃ取れんわな。
さて、「メリー・ポビンズ」ね。「リターンズ」をご覧になる前にぜひ「ウォルト・ディズニーの約束」(2013年)を観て欲しいのよ。
だから、エマ・トンプソンつう英国女優のファンだから言うわけじゃありません。
「メリー・ポピンズ」を映画化するのにウォルト・ディズニーがどれだけ苦労したか。20年待たされただけじゃなくて、制作スタッフもイライラの連日。
なんたって、原作者のパメラ・トラヴァースは想像を絶するモンスター偏屈女だから。
「アニメはご法度。ミュージカルもダメ。脚本は原作者の承認を得ること」
ディズニーには異例の条件。けど、「メリー・ポピンズを映画化する」と娘と約束しちゃったディズニーは、泣く泣く承諾すんの。
いちいちダメ出しする。皮肉しかいわない。人の親切をそもそも感じない。
どうしてそんなに偏屈になったのか、彼女の幼少時代からブレイバックして描かれるんですけど、これがなんともいえないほどええんだわ。
「ヘレン・ゴフ」が本名なのに「トラヴァース」を名乗ってる。
どうして?
ファーストネームで呼びかけると、「トラヴァース夫人、と呼んで」と執拗になおさせます。
どうして?
人はどこかに傷を負ったトラウマがいまの自分を少なからずコントロールしてる部分が必ずあります。どこかにね。
私がカレーの福神漬け以外、漬け物がダメなのに、欧米と朝鮮の漬け物は大好きなのも、きっといつかのトラウマだと思うのよね。
「私を一人にしないで」
「約束する」
けど、大好きな父親は死んでしまいます。酒に殺された。似合わない銀行支店長の重責とストレスでね。
「そろそろお許しになられては?」
「父は欠点なんてありませんでした」
「いいえ、あなたですよ。ヘレン」
父を助けられなかった、という罪の意識。もしかしたら、母親に隠れてアルコール瓶を渡していたから、大好きな父親が死んだ?
「メリー・ポビンズは幻の世界です」
「いいえ、私の娘にとっては現実です」
人生は夢と幻。通貨も幻。「信用」が支えてるだけ。けど、目に見えたりさわれたり、存在するモノだけが「現実」で、目に見えない世界のモノは「夢幻」と考えるのは少々浅はかかもしれませんね。
「生まれ生まれ生まれ生まれて・・・死に死に死に死んで・・・」と空海さんもおっしゃってますしね。「夢幻」というのはイマジネーションなんすよね。「ある」と思えば「そこに現れるし」。「ない」と思えば「消えてしまう」んすよ。それほどイマジネーションは絶対なんです。
「念ずれば花開く」とどこかの偉い先生もおっしゃってましたよね。
「メリー・ポビンズ」は彼女の経験つうか人生の反映なんすよ。
「リターンズ」は「メリー・ポビンズ」の20年後のお話つうことでね。お時間があればどうぞ。。。
蛇足ですけど、「ウォルト・ディズニーの約束」のラストシーン、なかなかですよ。こういうのがアメリカ映画(英国と豪州もジョイント製作だけど)のいいとこ。
「ビクトリア女王」は必見です。「七人の会議」もおもしろそう。
でもでも、やっぱ「メリー・ポビンズ・リターンズ」は見なくちゃね。
けど、その前に・・・これ見てちょ。大好きな大好きなエマ・トンプソンつう英国女優が主役だから、というわけではないんですけど。
元々の「メリー・ボビンズ」は1964年の作品です。主役はジュリー・アンドリュースですよね。ディズニー映画でアカデミー主演女優賞にノミネート(後に受賞)されたのはいまだに彼女だけ。
さて、ジュリーが頭角を現したのはブロードウェイ公演ですわな。ご存じ「マイ・フェア・レディ(1956年)」。
以前、書いたと思うけど、映画版「マイ・フェア・レディ」で主演をつとめたのはオードリー・ヘップバーン。歌唱シーンは吹き替え。歌、そんなに巧くないもん。
この年のアカデミー賞なんすよ、ジュリーが獲得したのは。つまり、オードリー・ヘップバーンは取れなかったの。ま、下世話な言葉で言えば「リベンジ」てやつ? たぶん判官贔屓もあるとは思うけど、ミュージカル映画で吹き替えじゃ取れんわな。
さて、「メリー・ポビンズ」ね。「リターンズ」をご覧になる前にぜひ「ウォルト・ディズニーの約束」(2013年)を観て欲しいのよ。
だから、エマ・トンプソンつう英国女優のファンだから言うわけじゃありません。
「メリー・ポピンズ」を映画化するのにウォルト・ディズニーがどれだけ苦労したか。20年待たされただけじゃなくて、制作スタッフもイライラの連日。
なんたって、原作者のパメラ・トラヴァースは想像を絶するモンスター偏屈女だから。
「アニメはご法度。ミュージカルもダメ。脚本は原作者の承認を得ること」
ディズニーには異例の条件。けど、「メリー・ポピンズを映画化する」と娘と約束しちゃったディズニーは、泣く泣く承諾すんの。
いちいちダメ出しする。皮肉しかいわない。人の親切をそもそも感じない。
どうしてそんなに偏屈になったのか、彼女の幼少時代からブレイバックして描かれるんですけど、これがなんともいえないほどええんだわ。
「ヘレン・ゴフ」が本名なのに「トラヴァース」を名乗ってる。
どうして?
ファーストネームで呼びかけると、「トラヴァース夫人、と呼んで」と執拗になおさせます。
どうして?
人はどこかに傷を負ったトラウマがいまの自分を少なからずコントロールしてる部分が必ずあります。どこかにね。
私がカレーの福神漬け以外、漬け物がダメなのに、欧米と朝鮮の漬け物は大好きなのも、きっといつかのトラウマだと思うのよね。
「私を一人にしないで」
「約束する」
けど、大好きな父親は死んでしまいます。酒に殺された。似合わない銀行支店長の重責とストレスでね。
「そろそろお許しになられては?」
「父は欠点なんてありませんでした」
「いいえ、あなたですよ。ヘレン」
父を助けられなかった、という罪の意識。もしかしたら、母親に隠れてアルコール瓶を渡していたから、大好きな父親が死んだ?
「メリー・ポビンズは幻の世界です」
「いいえ、私の娘にとっては現実です」
人生は夢と幻。通貨も幻。「信用」が支えてるだけ。けど、目に見えたりさわれたり、存在するモノだけが「現実」で、目に見えない世界のモノは「夢幻」と考えるのは少々浅はかかもしれませんね。
「生まれ生まれ生まれ生まれて・・・死に死に死に死んで・・・」と空海さんもおっしゃってますしね。「夢幻」というのはイマジネーションなんすよね。「ある」と思えば「そこに現れるし」。「ない」と思えば「消えてしまう」んすよ。それほどイマジネーションは絶対なんです。
「念ずれば花開く」とどこかの偉い先生もおっしゃってましたよね。
「メリー・ポビンズ」は彼女の経験つうか人生の反映なんすよ。
「リターンズ」は「メリー・ポビンズ」の20年後のお話つうことでね。お時間があればどうぞ。。。
蛇足ですけど、「ウォルト・ディズニーの約束」のラストシーン、なかなかですよ。こういうのがアメリカ映画(英国と豪州もジョイント製作だけど)のいいとこ。