2019年06月16日古市古墳群で迷子になりました・・・。
カテゴリー中島孝志の「日本伝統文化研究会」」
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先月、名古屋原原の翌朝から大阪入り。で、百舌鳥古墳群をブラタカシしてきました。
今月は名古屋原原が来週なんで、「よし、古墳行こう。」となりまして、朝も早よから新大阪駅-天王寺駅-近鉄阿部野橋駅-古市駅。
近鉄古市駅でレンタサイクル。電動チャリは便利でんなー。
ただし今日の持ち時間は4-5時間。大阪原原で講義がありますからね(結局、ホテルにチェックインできずそのまま会場入りとなります)。
さーてと、まずは「応神天皇陵」なんでしょうけど、古市駅にいちばん近いのは南に位置する「安閑天皇陵」なのよね。
安閑天皇陵です。
第26代継体天皇の皇子ですね。聖徳太子とか推古天皇よりずっと古代ですよ。母は尾張目子媛(おわりのめのこひめ)。
出ましたね。母系の一族は尾張氏ですよ。名古屋、大阪、新潟、博多、出雲でも講義したでしょ。古代史の影に「尾張氏」ありですよ。
倭建命(やまとたけるのみこと)の妃もそうです。熱田神宮はこのファミリーが祭祀をしてた場所を倭建命亡き後、神社にしたんですからね。
壬申の乱(672年)だって、大海人皇子(=天武天皇)が天智天皇の皇子に勝てたのも、東海随一の軍事力を誇る尾張氏がバックにいたからです。
そうか、安閑天皇もそうだったんだー。
北陸出身の継体天皇の後を受けて66歳にして即位。わずか4年で崩御。
和風諡号は『古事記』では「広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)。『日本書紀』は「広国押武金日天皇」。漢風諡号「安閑天皇」はいつものように奈良時代、藤原朝臣恵美押勝仲麻呂が淡海三船(『懐風藻』の著者)に名付けさせたものです。
古市市の古墳も百舌鳥と一緒に来月、世界歴史遺産に承認されるらしいけどね。ぜんぜん観光客なんていません。つうか、受け入れ態勢がなーんもできてないと思うな。
幟みたいのはいくつか見かけたけど、どこになにがあるか、天皇陵、前方後円墳、球丘等々、外部から来る人はさっぱり。簡単なマップはあんだけど、駅と鉄道、道路しか描かれてないから、古墳といまいる場所の位置関係がわからん。
そうか、iPadをチャリに載せればいいのか。Googleマップだと少し走らないとどっちに進んでるかわからん。
あの応神天皇陵ですらどこにあるかわからん。つうか、いま、自分がどこにいるかわからん。私の名前と年齢はわかるけど。
けど、怪我の功名ってのがあんだねー。とにかく古墳は丘だ。高いとこだ。緑があるとこだ、ってんで出鱈目走ってたのよ。ケータイでGoogleマップつかえばいいと気づいたのが翌日でしたからね。
そしたら、立派な陵みっけ!
白鳥陵古墳? 白鳥といえば、もしかして・・・倭建命じゃね?
ビンゴ! 不敬罪で捕まるね。そうなんすよ。亡くなった命(尊)が白鳥となって表れたという伝説がありましてね。名古屋にも白鳥古墳があります。
天皇に即位することはありませんでした。
乱暴者で双子の兄をバラバラ殺人したことで父の景行天皇から厭われたと思う。熊襲や出雲、蝦夷の征伐を命じられるばかり。
以前、横須賀の走水神社をご紹介したと思うけど、あの走水にしても、その名の通り、とんでもなく流れが危ないとこで難破がたくさんあった。
命が東征した時も同様で、命の妻である弟橘媛(おとたちばなひめ)は人身御供になって海に消えた、とか。走水神社には命ともども祭神ですが、この神社には日露戦争に出征する東郷平八郎元帥以下、連合艦隊幹部が勝利を祈って参拝してますね。
かなり南に来てしまった。清寧天皇陵が近くにあるはず。あのこんもりした丘かなう・・・大阪府立大学羽曳野キャンパスでした。まいったな、どうしてGoogleマップに気づかなかったんだろ?
いろんな古墳は発見すんだけど、天皇陵はさっぱり。歩道橋を渡った時に気づきました・・・清寧天皇陵と仁賢天皇陵をかすってた。
ま、次回の課題にしましょ。
こんだけ迷子になるんですから、応神天皇陵を探さないと。ランドマークはここしかない。地元の人に聞いたらわかるよね。わかりませんでした。
これも神の御導きでしょうか。平素の行いのたまものでしょうか。
誉田八幡宮がありました。
あのね、応神天皇という名前は漢風諡号。『日本書紀』の和風諡号は「譽田天皇(ほむたのすめらみこと)」です。そしてこの地域は誉田(こんだ)というんです。
参拝し、社務所の神官さんにご挨拶。ついでに応神天皇陵の在処を聞くと「南です」の一言。隣なんですよ。大き過ぎてわかりませんでした。どこが拝所なのかわからん。とにかくでかい。
あまりに大きくてテニスコートにも書かれてましたがな。
タイムアップ。そろそろ本町に戻らんと講義に間に合わん。よし明日は早く来よう・・・これがとんでもないことになりますんや。
明日に続く・・・。
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先月、名古屋原原の翌朝から大阪入り。で、百舌鳥古墳群をブラタカシしてきました。
今月は名古屋原原が来週なんで、「よし、古墳行こう。」となりまして、朝も早よから新大阪駅-天王寺駅-近鉄阿部野橋駅-古市駅。
近鉄古市駅でレンタサイクル。電動チャリは便利でんなー。
ただし今日の持ち時間は4-5時間。大阪原原で講義がありますからね(結局、ホテルにチェックインできずそのまま会場入りとなります)。
さーてと、まずは「応神天皇陵」なんでしょうけど、古市駅にいちばん近いのは南に位置する「安閑天皇陵」なのよね。
安閑天皇陵です。
第26代継体天皇の皇子ですね。聖徳太子とか推古天皇よりずっと古代ですよ。母は尾張目子媛(おわりのめのこひめ)。
出ましたね。母系の一族は尾張氏ですよ。名古屋、大阪、新潟、博多、出雲でも講義したでしょ。古代史の影に「尾張氏」ありですよ。
倭建命(やまとたけるのみこと)の妃もそうです。熱田神宮はこのファミリーが祭祀をしてた場所を倭建命亡き後、神社にしたんですからね。
壬申の乱(672年)だって、大海人皇子(=天武天皇)が天智天皇の皇子に勝てたのも、東海随一の軍事力を誇る尾張氏がバックにいたからです。
そうか、安閑天皇もそうだったんだー。
北陸出身の継体天皇の後を受けて66歳にして即位。わずか4年で崩御。
和風諡号は『古事記』では「広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)。『日本書紀』は「広国押武金日天皇」。漢風諡号「安閑天皇」はいつものように奈良時代、藤原朝臣恵美押勝仲麻呂が淡海三船(『懐風藻』の著者)に名付けさせたものです。
古市市の古墳も百舌鳥と一緒に来月、世界歴史遺産に承認されるらしいけどね。ぜんぜん観光客なんていません。つうか、受け入れ態勢がなーんもできてないと思うな。
幟みたいのはいくつか見かけたけど、どこになにがあるか、天皇陵、前方後円墳、球丘等々、外部から来る人はさっぱり。簡単なマップはあんだけど、駅と鉄道、道路しか描かれてないから、古墳といまいる場所の位置関係がわからん。
そうか、iPadをチャリに載せればいいのか。Googleマップだと少し走らないとどっちに進んでるかわからん。
あの応神天皇陵ですらどこにあるかわからん。つうか、いま、自分がどこにいるかわからん。私の名前と年齢はわかるけど。
けど、怪我の功名ってのがあんだねー。とにかく古墳は丘だ。高いとこだ。緑があるとこだ、ってんで出鱈目走ってたのよ。ケータイでGoogleマップつかえばいいと気づいたのが翌日でしたからね。
そしたら、立派な陵みっけ!
白鳥陵古墳? 白鳥といえば、もしかして・・・倭建命じゃね?
ビンゴ! 不敬罪で捕まるね。そうなんすよ。亡くなった命(尊)が白鳥となって表れたという伝説がありましてね。名古屋にも白鳥古墳があります。
天皇に即位することはありませんでした。
乱暴者で双子の兄をバラバラ殺人したことで父の景行天皇から厭われたと思う。熊襲や出雲、蝦夷の征伐を命じられるばかり。
以前、横須賀の走水神社をご紹介したと思うけど、あの走水にしても、その名の通り、とんでもなく流れが危ないとこで難破がたくさんあった。
命が東征した時も同様で、命の妻である弟橘媛(おとたちばなひめ)は人身御供になって海に消えた、とか。走水神社には命ともども祭神ですが、この神社には日露戦争に出征する東郷平八郎元帥以下、連合艦隊幹部が勝利を祈って参拝してますね。
かなり南に来てしまった。清寧天皇陵が近くにあるはず。あのこんもりした丘かなう・・・大阪府立大学羽曳野キャンパスでした。まいったな、どうしてGoogleマップに気づかなかったんだろ?
いろんな古墳は発見すんだけど、天皇陵はさっぱり。歩道橋を渡った時に気づきました・・・清寧天皇陵と仁賢天皇陵をかすってた。
ま、次回の課題にしましょ。
こんだけ迷子になるんですから、応神天皇陵を探さないと。ランドマークはここしかない。地元の人に聞いたらわかるよね。わかりませんでした。
これも神の御導きでしょうか。平素の行いのたまものでしょうか。
誉田八幡宮がありました。
あのね、応神天皇という名前は漢風諡号。『日本書紀』の和風諡号は「譽田天皇(ほむたのすめらみこと)」です。そしてこの地域は誉田(こんだ)というんです。
参拝し、社務所の神官さんにご挨拶。ついでに応神天皇陵の在処を聞くと「南です」の一言。隣なんですよ。大き過ぎてわかりませんでした。どこが拝所なのかわからん。とにかくでかい。
あまりに大きくてテニスコートにも書かれてましたがな。
タイムアップ。そろそろ本町に戻らんと講義に間に合わん。よし明日は早く来よう・・・これがとんでもないことになりますんや。
明日に続く・・・。