2006年01月20日「実録少年マガジン編集奮闘記」 宮原照夫著 講談社 3150円
著者は私が生まれる前年に講談社に入社した、というベテラン編集者。
少年マガジン編集長時代に様々なヒット商品を企画。その後、ヤングマガジン編集長や総務局長を歴任。コミックス代表取締役を経て、相談役。「マガジンの歴史」を知る1人として、今回、本をまとめたというわけ。
「少年マガジン」の創刊は昭和34年3月。前年に長嶋茂雄が巨人軍に入団してます。もち、小学館の「少年サンデー」も同時に創刊してますよ。
サンデーは手塚治虫を筆頭に赤塚不二夫の「おそまつくん」、「おばけのQ太郎」などの人気漫画を連載させてリード。マガジンはずっと後塵を拝していたわけ。
サンデーの特徴は、手塚治虫ライン、つまり、漫画の王道。平たく言えば、荒唐無稽、空想科学だったんです。それに対して、マガジンはどうすべきか?
キャラをくっきり鮮明にしなくちゃ。しかも差別化できる特徴でなければ・・・。
となると、社会派、時代を反映する漫画ということになる。
具体的に出てきたのは原作梶原一騎、漫画ちばてつやのゴールデンコンビによる「巨人の星」なのね。普通、企画は漫画家が考えるんだけど、マガジンはかなり細かい点まで編集部が練り上げる。
「巨人の星」もそう。
この漫画は著者が「ベープルース物語」を念頭において閃いたもの。様々な魔球が出てくるけれども、これも著者が考えた。
たとえば、第1の魔球はフォークボールとホップボールを足して2で割った魔球。第2、第3の魔球は白土三平の忍者漫画から思いついたもの。だって、「分身の魔球」「消える魔球」だもの。まんまじゃない?
マガジンといえば、やっぱ「あしたのジョー」でしょ。
これ、元々、タイトル案は「一発屋ジョー」「左のジョー」だったんだよね。で、主人公の矢吹丈の名前が悟だったの。
「われわれはあしたのジョーである」という声明文を出したのは、連合赤軍の田宮高麿。もし、これが「われわれは一発屋の悟です」では、よど号の乗っ取りなど計画したかどうか。
さて、「巨人の星」「愛と誠」「あしたのジョー」「無用ノ介」「天才バカボン」「ゲゲゲの鬼太郎」・・・強力ラインナップでマガジンは盤石の態勢を調えます。
少年マガジンが黒字転換するのは、この「巨人の星」の連載をスタートしてから。創刊から遅れること7年。といっても、60万部という発行部数。当時はとんでもない数字だったんだけど、今後、どんどんうなぎ登りに伸びていきます。
ピーク時には362万7千部の発行部数を誇った。平均337万7千部だからね。
マガジンの勢いを見て、創刊した漫画があります。
昭和43年創刊の「少年ジャンプ」ですね。マガジンでは「あしたのジョー」の連載がスタートした年です。
ジャンプの特徴は、新人、卵をどんどん発掘し育てたことにあります。
それがものすごいの。
たとえば、「男一匹ガキ大将」の本宮ひろし、「ハレンチ学園」の永井豪、「ド根性がえる」の吉沢やすみ、「トイレット博士」のとりいかずよし、ほかにも「東大一直線」「こちら葛飾区亀有公園前派出所」「すすめ!パイレーツ」・・・そして鳥山明の「Dr・スランプ」とゆでたまごの「筋肉マン」。ホントにすごいです。
私は漫画を買いません。というのも、大学時代、毎日食べに行ってた食堂にどっさりあるわけ。そこで食べながら読めばいいから、自分では買わないの。
で、いつも愛読してたのはこの「少年ジャンプ」と「少年チャンピオン」の二誌。マガジンは読まなかったなぁ。「あしたのジョー」にもあまり思い入れがなかったな。
チャンピオンには大好きな「ガキデカ」、それに手塚治虫の傑作「ブラックジャック」があったしね。
「少年ジャンプ」は部数をどんどん伸していきます。ピークは、平成6年。なんと650万部(実売635万部)という大記録。
それと反比例するかのように、あれだけ栄華を誇ったマガジンは混迷の時期を迎えるんですね。
ダッチロールしちゃうわけ。
やっぱり、漫画は漫画。いかに「あしたのジョー」「巨人の星」「愛と誠」などで大学生やビジネスマンを取り込んだとしても、やっぱり、いちばん大きいマーケットは小中学生なわけよ。
にもかかわらず、図解やグラビア、読み物などが乱立し、漫画がかすんでしまった。マーケットの読み違いって怖いね。
このため、ドカドカッと部数を落としていきます。ジャンプと比較したら、ダブルスコアどころじゃないもの。
ようやくマガジンも編集長を交代させて方向転換、というか、原点に戻ることを決意。
漫画の強化に乗り出します。
昭和61年には原作0、それが10年後には4本に増やした。「原作付き」という意味は、強いストーリーテラーを用意して臨むという編集部の決意なんですね。「金田一少年の事件簿」も原作付きだよ。
マガジンが首位に返り咲いたのは、平成10年。発行部数427万部。ジャンプは371万部。
少年マガジンの歴史を振り返ると、創刊から前半はサンデーとの戦い、そして中盤から現在まではジャンプとの戦いなわけ。
けど、「いい企画」「いい漫画」さえプロデュースできれば、順位はいくらでも変わります。この世界、まだまだ戦国時代が続いてるってわけさ。文句なく面白い! 400円高。
少年マガジン編集長時代に様々なヒット商品を企画。その後、ヤングマガジン編集長や総務局長を歴任。コミックス代表取締役を経て、相談役。「マガジンの歴史」を知る1人として、今回、本をまとめたというわけ。
「少年マガジン」の創刊は昭和34年3月。前年に長嶋茂雄が巨人軍に入団してます。もち、小学館の「少年サンデー」も同時に創刊してますよ。
サンデーは手塚治虫を筆頭に赤塚不二夫の「おそまつくん」、「おばけのQ太郎」などの人気漫画を連載させてリード。マガジンはずっと後塵を拝していたわけ。
サンデーの特徴は、手塚治虫ライン、つまり、漫画の王道。平たく言えば、荒唐無稽、空想科学だったんです。それに対して、マガジンはどうすべきか?
キャラをくっきり鮮明にしなくちゃ。しかも差別化できる特徴でなければ・・・。
となると、社会派、時代を反映する漫画ということになる。
具体的に出てきたのは原作梶原一騎、漫画ちばてつやのゴールデンコンビによる「巨人の星」なのね。普通、企画は漫画家が考えるんだけど、マガジンはかなり細かい点まで編集部が練り上げる。
「巨人の星」もそう。
この漫画は著者が「ベープルース物語」を念頭において閃いたもの。様々な魔球が出てくるけれども、これも著者が考えた。
たとえば、第1の魔球はフォークボールとホップボールを足して2で割った魔球。第2、第3の魔球は白土三平の忍者漫画から思いついたもの。だって、「分身の魔球」「消える魔球」だもの。まんまじゃない?
マガジンといえば、やっぱ「あしたのジョー」でしょ。
これ、元々、タイトル案は「一発屋ジョー」「左のジョー」だったんだよね。で、主人公の矢吹丈の名前が悟だったの。
「われわれはあしたのジョーである」という声明文を出したのは、連合赤軍の田宮高麿。もし、これが「われわれは一発屋の悟です」では、よど号の乗っ取りなど計画したかどうか。
さて、「巨人の星」「愛と誠」「あしたのジョー」「無用ノ介」「天才バカボン」「ゲゲゲの鬼太郎」・・・強力ラインナップでマガジンは盤石の態勢を調えます。
少年マガジンが黒字転換するのは、この「巨人の星」の連載をスタートしてから。創刊から遅れること7年。といっても、60万部という発行部数。当時はとんでもない数字だったんだけど、今後、どんどんうなぎ登りに伸びていきます。
ピーク時には362万7千部の発行部数を誇った。平均337万7千部だからね。
マガジンの勢いを見て、創刊した漫画があります。
昭和43年創刊の「少年ジャンプ」ですね。マガジンでは「あしたのジョー」の連載がスタートした年です。
ジャンプの特徴は、新人、卵をどんどん発掘し育てたことにあります。
それがものすごいの。
たとえば、「男一匹ガキ大将」の本宮ひろし、「ハレンチ学園」の永井豪、「ド根性がえる」の吉沢やすみ、「トイレット博士」のとりいかずよし、ほかにも「東大一直線」「こちら葛飾区亀有公園前派出所」「すすめ!パイレーツ」・・・そして鳥山明の「Dr・スランプ」とゆでたまごの「筋肉マン」。ホントにすごいです。
私は漫画を買いません。というのも、大学時代、毎日食べに行ってた食堂にどっさりあるわけ。そこで食べながら読めばいいから、自分では買わないの。
で、いつも愛読してたのはこの「少年ジャンプ」と「少年チャンピオン」の二誌。マガジンは読まなかったなぁ。「あしたのジョー」にもあまり思い入れがなかったな。
チャンピオンには大好きな「ガキデカ」、それに手塚治虫の傑作「ブラックジャック」があったしね。
「少年ジャンプ」は部数をどんどん伸していきます。ピークは、平成6年。なんと650万部(実売635万部)という大記録。
それと反比例するかのように、あれだけ栄華を誇ったマガジンは混迷の時期を迎えるんですね。
ダッチロールしちゃうわけ。
やっぱり、漫画は漫画。いかに「あしたのジョー」「巨人の星」「愛と誠」などで大学生やビジネスマンを取り込んだとしても、やっぱり、いちばん大きいマーケットは小中学生なわけよ。
にもかかわらず、図解やグラビア、読み物などが乱立し、漫画がかすんでしまった。マーケットの読み違いって怖いね。
このため、ドカドカッと部数を落としていきます。ジャンプと比較したら、ダブルスコアどころじゃないもの。
ようやくマガジンも編集長を交代させて方向転換、というか、原点に戻ることを決意。
漫画の強化に乗り出します。
昭和61年には原作0、それが10年後には4本に増やした。「原作付き」という意味は、強いストーリーテラーを用意して臨むという編集部の決意なんですね。「金田一少年の事件簿」も原作付きだよ。
マガジンが首位に返り咲いたのは、平成10年。発行部数427万部。ジャンプは371万部。
少年マガジンの歴史を振り返ると、創刊から前半はサンデーとの戦い、そして中盤から現在まではジャンプとの戦いなわけ。
けど、「いい企画」「いい漫画」さえプロデュースできれば、順位はいくらでも変わります。この世界、まだまだ戦国時代が続いてるってわけさ。文句なく面白い! 400円高。