2006年05月08日「道」 フェデリコ・フェリーニ監督

カテゴリー中島孝志の不良映画日記」

 好きだなぁ、この映画。学生時代も含めると、たぶん30回以上は見てると思うな。
 連休中に2冊の校正チェック、2冊の書き下ろし。だから、♪時間は大事だよ。アフラック!♪
 にもかかわらず、また見いちゃった。書斎には映画のDVDが山ほどあんだけど、忙しくなればなるほどこういうの引っ張り出しちゃうのよね。
 クビを絞めることがわかってんのにさ。

 道。いったいどこにつながってるのやら。イタリア語では「la strada」。そう、パナソニックのカーナビのブランド名よ。ここからとったんだろうな。
 
 「同行2人」という言葉をお遍路さんはよく言うよね。
 1人でも2人、3人旅なら4人。弘法大師がついてる道行(みちゆき)。だから「道行2人」でもあんのよ。
 
 さてと、主人公ザンパノ(アンソニー・クイン)は「鋼鉄の肺」で売ってる大道芸人。といっても、粗鉄の鎖を力任せに引きちぎる芸ね。
 粗野で愚かで暴力を奮うことでしか自己表現できない不器用な男。バイクに小さな小屋をつけて、村から村へと歩く貧しい旅芸人。

 ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)は、ザンパノに1万リラで買われた女。ザンパノの仕事の手伝いをする天真爛漫な女。
 ザンパノとの旅生活は辛いことばかり。だって、優しさの欠片もない男だもん。何の芸もできないから、バカにされ、穀潰し扱いされるんだけど、ほかに頼る人間はいない。嫌いだけど、ザンパノ、ザンパノと頼るしかない。
 それに男と女。一緒に旅を続けていると親愛の情が湧いてくるものさ。

 ザンパノは旅先で女と親しくなる。服をくれたり、食べ物をくれる女とすぐに寝る。
 それが嫌でジェルソミーナは1人で街を彷徨う。

 その夜、華麗な芸を披露する綱渡りの男と出会うのね。これがザンパノとは犬猿の仲の男。
 綱渡りはザンパノと会うと、なぜかからかいたくなる。で、いつも喧嘩する。

 「私なんかなんの役にも立たないの」と嘆くジェルソミーナ。
 「この世にあるものはすべて何かの役に立ってる。この小石だってそうさ。おまえに芸を教えてあげよう。
 けど、どうしてザンパノと暮らしてる? 逃げたくないのか?」
 「何度も逃げた。そのたびに殴られた」
 「どうして、ザンパノはおまえを捨てない? 俺だったら一発で捨てるのに・・・そうか、ザンパノはおまえに惚れてるんだ」
 「えっ、この私を?」

 綱渡り芸人はジェルソミーナにラッパを教えます。もの悲しいメロディだよ。
 仲のいい2人をやっかんだザンパノは、またまた喧嘩。警察まで来る大騒ぎで、2人ともサーカスから追い出されてしまうのね。
 ザンパノと別れてうちにおいで。食べさせてあげるよ」とみなに言われるジェルソミーナ。
 けど、警察署の前でザンパノを待つ。ここまで送ってくれたのは綱渡りの男だ。

 ザンパノとジェルソミーナは次の村に行く途中、修道女を乗せ、そのまま教会に泊まらせてもらいます。この時、ザンパノは銀製のキリスト像を盗んじゃうのね。
 最後まで反対するジェルソミーナ。自分たちの行為が恥ずかしくて、修道女には目を向けられない。

 「ここで暮らせるように頼んであげる」
 「ううん、できない」
 「いつも旅なの?」
 「そう、あなたは?」
 「2年おきに教会を移るわ」
 「なぜ?」
 「土地に愛着が湧いたら、神様に仕えられないもの」
 愛着は未練の別名だものね。

 次の村に急ぐ旅。途中でパンクで困ってる綱渡り芸人に会う。
 「手伝ってくれよ。いつか、手伝うからさ」
 ザンパノはいきなり綱渡りの顔面にパンチを2発お見舞。打ち所が悪くて、綱渡りは死んでしまう。

 「だれにも見られてない。心配するな。殺す気はなかったんだ」
 「彼の様子が変よ」と壊れたように繰り返すジェルソミーナ。

 「ここがいい」と雪の降る中、ジェルソミーナは旅を止める。
 「俺には生きる権利がある。メシ代を稼ぐにはこんなところにはいられないんだ」
 「あなた、わたしがいなければ独りぽっちよ」
 「たった2発で刑務所なんてまっぴらだ」
 「彼の様子が変よ」とまた泣き出す。
 ザンパノは壊れたジェルソミーナをここに捨てます。

 それから4〜5年の月日が過ぎた。
 初老になったザンパノは相変わらず「鋼鉄の肺」の芸で糊口を凌ぐ大道芸生活。
 海水浴場で稼ぐ合間に街を散歩。すると、どこからともなく、あのメロディが聞こえてくる。
 「いったいどこから?」
 耳を凝らすと、村娘が洗濯物を乾しながらハミングしている。
 「そのカンツォーネは?」
 「あぁ、あなた、サーカスの人ね。昔、ある女の人がよくラッパを吹いてたの」
 「その女は?」
 「死んだわ。高熱を出して弱ってたので、私の父が家に連れてきたの。ご機嫌のいい時はあの砂浜でラッパを吹いてた。昔、旅芸人をしてたとか」
 「・・・死んだのか」

 その夜、ザンパノはしたたかに酔っては喧嘩する。
 「俺は1人でたくさんだ」と呟きながら、ジェルソミーナが愛した砂浜にやってくる。
 そして、号泣するのさ・・・。

 なぜ泣いたんでしょうねぇ? 悪なら悪らしく、エゴを貫徹すれば良かったのに・・・。後悔の念? 罪悪感? 無くしたものの大きさ、尊さに気づいた?

 ジェルソミーナは、なんの見返りも要求しなかった。いつも殴られ、いつもバカにされ、いつもほかの女と大っぴらに浮気され、いつも物扱いされた。
 けど、いつも真心を込めて尽くした。ザンパノが困っている時はけっして見捨てなかった。
 純愛? 献身?

 そんなジェルソミーナに、自分はいったい何をしてやった? 何もしてやらなかった。してやろうと思えば、いくらでもできた。けど、ジェルソミーナのことなどいつも視野にはなかった。そして、利用するだけ利用して・・・捨てた。
 そうか、ザンパノの涙は懺悔の気持ちだったのか。

 いま、初老の入口に差し掛かり、ザンパノはこれからずっと孤独を噛みしめながら生きていかなくてはならない。
 人間、元気なうちは気づかない。持っている間は気づかない。恵まれている時は気づかない。けど、なくしてはじめてわかることってたくさんあります。
 ザンパノは・・・俺だな。