2006年09月03日「リプリー」

カテゴリー中島孝志の不良映画日記」

 これ、『太陽がいっぱい』のリメイク版。99年の作品なのね。
 もうそんなに経ったんだ。

 たいてい酷評でしたね、当時も今も。
 やっぱ、マット・デイモンとアラン・ドロンじゃ、美しさが違うからかなぁ?
 私ゃ、マットは好きだけどね。『ボーン・アイデンティティ』、それに『グッドウィル・ハンティング』じゃ、脚本まで手掛けてるしさ。10年後が楽しみな男だよね。才能がどう花開くかさ。
 けど、相手がアラン・ドロンだもの。「ダーパン、セレデゴン・ラ・モディアム」だもん。
 敵うわけないさぁ。おばぁもそう言ってるさぁ(沖縄弁でよろしく)。

 だれがやったって、アラン・ドロンのアンニュイさはなかなか醸し出せませんよ。
 鬱屈した青年心理そのものだもの、あの人。ジェイムス・ディーンとかブラッド・ピットさか、ヨン様とか、あとハマの舘ひろしさんとかね。
 顔の作り、陰影が違うんだもん、しょうがないよね。


ジミーちゃんにも見えるけど、基本的にいい顔してるよ。

 そんな表面的なことよりさ、この映画と『太陽がいっぱい』を比較すること自体、ずれてると思うんだよね。リメイクはリメイクなんだけど、別物なんだよね。
 
 というのも、筋がかなり違うのよ(前週のブログをご参照のこと)。

 トムという名前は一緒だよ。だけど、殺す相手の名前が違う。ディッキー・グリーンリーフっちゅうのよ(オリジナルはフィリップ)。アメリカ人だかんね。

 で、今回のほうがホモセクシュアルの関係がめちゃ色濃いんだな。特急の中でディッキーが寝てると、トムが胸にそっと頬を寄せたりさ。カミングアウトしたくて悩むところとかさ。
 つまり、ディッキーの恋人マルジュなんか眼中にないのよ。
 殺しの動機にしたって、金が欲しい、上流階級に入りたいってなわけじゃなくて、ディッキーに嫌われた、無碍にされた、こんなに思ってるのに冷たくする・・・つまり、嫉妬なのよ。もち、ホモだけど男女間の嫉妬だよ。

 また、ホモ関係になりそうな雰囲気のイタリア青年を船中で殺してしまいます。計3人殺してしまうわけ。
 これも違う。オリジナルでは(オリジナルという言い方もおかしいんだけど)2人しか殺してないからね。

 いちばん大きな違いはラストの展開ですね。
 「あなたが殺したんだ!」とマルジェに見破られてしまうんだけど、これも周囲は彼女の被害妄想としか認識しなくてセーフ。
 この作品では、どうやら逃げおおせそうなんだよ、トムは。

 つまり、前作ちゅうかオリジナルと合わせて見ると、裏表がわかるというか・・・こういう映画の鑑賞法もありかなって思ったんだよね。