2018年06月29日通勤快読はこんな感じです。。。

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 今日の「通勤快読」でご紹介する本は「やっぱ志ん生だな!」(ビートたけし著・1,512円・フィルムアート社)です。

 ちょっとだけオープンにしてみましょ。

 今日は長くなりますよ。けど、おもしろいからあっという間。

 最初にいっておきますけど、「聴く!通勤快読」と「読む!通勤快読」は中身が違います。
 当たり前です。しゃべってるコンテンツと書いてるコンテンツが同じわけがありません。危ない話など残せませんから。しゃべっちまったもんはいちいち削除しませんが、文章にする時にはカットします。やばくて。やばい話も知りたい方はどうぞ「聴く!通勤快読」で楽しんでください。

 さて、「志ん生を今に蘇らすにはビートたけししかいない。噺家には絶対書けない志ん生。」(笑福亭鶴瓶)だとか。
 といっても、志ん生なんて知らない人ばかりでしょ。落語好きでも、生では聴いたこともない、という人ばかりでしょうね。
 
 私? 知りません。息子の志ん朝だってギリですもの。弟子筋、たとえば、亡くなった志ん五さんとか志ん駒さんからはかなり話を聴いてます。志ん駒さんからは幼なじみの蜷川幸雄さんの話まで聴いてます。
 
 そういえば、志ん五さんの独演会が時事通信社ビルであったのね。そのときのゲストが談志さん。まくらは放送禁止用語連発でしたよ。北朝鮮の話もしてました。あの後、亡くなられたわけでね。驚きました。

 志ん生が漏らした後の始末はたいてい志ん五さん、志ん駒さんがしてたらしいね。
 口だけは最後まで達者。さすが噺家ですよ。そうでなけりゃ。

 さて、たけしさんがもっとも敬愛する落語家が5代目古今亭志ん生。戦後の東京落語界を代表、「天衣無縫」とも言われた芸風で愛されました。

 なぜこんなにも人の心を掴んだのか。



 「志ん生さんに勝ってる落語家っていまだに見たことがないんだよ。芸人全般を見渡したって皆無なんじゃないか。本人の努力もあるんだろうけど、でもどこか突然変異のように現れて、困ったことにいまだに現代の人間に挑んでくるんだよ」

 イメージが落語でも漫才でもプレゼンでもいちばんのキモですよ。

 落語は下半身が消えてます、というよりあまり動きがありません。喬太郎さんの「母恋クラゲ」くらいでしょうか。「反対車」もそうかな。
 落語ですと、映画みたいに上半身だけのカットバックができるんです。頭を左右に振るだけで「八っつぁん」「ご隠居さん」っていう区別ができますから。

 「赤穂浪士は300人近くいた。討ち入りに参加したのは47人。250人くらいは逃げちゃった。落語はこの逃げちゃったほうのヤツらが主人公なんだ」

 これ、談志さんの言葉。



 ホントは漫才ではなく落語の世界に行くべきでした。けど、あの前座、二つ目、真打ちという階級社会は息苦しかったかも。結果、「第2の三平」は生まれなかったね。

 「あの程度の漫才であんないいクルマに乗れるんだったら、漫才やってみようかな」
 「オイラが漫才を始めた頃から、本場の大阪へ行くと、漫才でも靴で舞台に出られるようになった」

 そんな漫才にしても、東京の寄席は時代に置いてかれました。それを、「山のアナアナ」で爆笑をとった歌奴。のちの圓歌師匠。落語協会会長が落語ブームをつくります。談志、志ん朝が売れに売れて東京落語が盛り返してきたわけ。

 とくに立川流は寄席に頼らず、というよりも頼れない、だから落語家自身の魅力で客を集め、寄席に出られませんからホール落語で生きるしかない。いま、志の輔さんや談春さん、志らくさんの切符が取れない。

 参考までに、私、志らくさんの落語大嫌いですけど。

 談志さん行きつけのバー「美弥」にもよく行きました。談志さんのスポンサーの1人に連れてってもらったから。客筋がなかなかいいですよ。談志さんとか圓生の物真似なんか巧い客ばかりでしたね。

 「落語っていうのはネタがどうこうよりも、結局、『誰が話すか』のほうが重要なんだよ」
 たけしさんが談志さんと飲んだ帰りの車の中でこんなこと言ったのを、談春さんがしっかり覚えてるの。

 ここらへんで4割くらいかな。これ以上は有料メンバーに悪いんでやめときます。「通勤快読」てのは、たんなる書評ではありません。刺激されて浮かんだ連想とか妄想を天衣無縫に語ったものなんです。経済、投資の本でもそう。ぜひ1か月間だけでも聴いてみてね。。。

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