2018年06月30日「祝福 オラとニコデムの家」

カテゴリー中島孝志の不良映画日記」

 世界中の映画賞を総なめにしたドキュメンタリー。
 昨年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭で最高賞ロバート&フランシス・フラハティー賞(大賞)でしょ。ヨーロッパ映画賞も受賞してまんねん。


渋谷の「ユーロスペース」でやってます。周囲はラブホテルばっか。ま、「ついでに見る」つうアイデアもあるわな。

 オラというのは14歳の姉。ニコデムは自閉症の弟。舞台はワルシャワ郊外。なんたってドキュメンタリー。

 アンナ・ザメツカ監督は鏡写しの少女に自分の経験を重ねながら、あくまでも少女の日常を撮り続けています。でないと、ドキュメンタリーではありませんからね。

 オラの家族は弟のほかにアルコール依存症らしい父親。そして、いまは違う男と暮らしている母親&そのベイピー。


なんて美しい笑顔なんだろ。

 昔の日本人はきっとそうだったと思うけど、この少女も、学校に通いながら、弟の面倒、父親の面倒、そして、おそらく、同居はしたものの、この母親にベイビーを育てる能力があるとはとても思えませんので、赤ん坊と母親の面倒までみなくちゃならないんでしょう。

 現実はかなり悲惨ですよ。でも、この娘、なぜか明るいんですよ。たまにヒスを起こしますけどね。これはガス抜きでしょう。でないと爆発しちゃいます。

 どうして、この娘がめげないか。実は、弟の初聖体式(「赤い靴」の堅信礼みたいなもの)がうまくいけば、この壊れた家族がもう1度ひとつになれる、と信じてるからです。

 この世界。大人が子どもを慈しみ育てていると考えたら大間違いで、こんな大人がいるか子どもがまともに育たない、というケースが少なくありません。
 そういう意味では、『万引き家族』『だれも知らない』にも近いんですけど、絶対的に違うのは、子どもが絶望してないこと。だから救われる。

 監督は子どもの頃、おとぎ話が大好きだったそうです。とくに『ヘンゼルとグレーテル』。親が親として自分の役割を果たせない、という森の中で、オラとニコデムは自分たちで道を探さないといけない。どのくらい耐えられるでしょうか?

 母親が戻ってきて家族が再び一緒になること。この願いだけがヘンゼルとグレーテルの「エネルギー」なんですね。

 父親がいて、母親がいて、子どもがいる。これで「家族」というチームが成立するわけではありません。この家族には父親がいないほうがいい、母親がいないほうがいい、どちらもいないほうがいい、という家族もたくさんあります。けど、哀しいかな、子どものほうはというと、そんな父親や母親でもいて欲しい、と願う。
 だから、どんな理不尽な折檻を受けても、自分が悪いからだ、と信じ込んでしまう。

 こういう「森」から救ってやるには周囲の大人が気づいてやらんといかんわけ。ある意味、「関係ないね」という社会的無関心が子殺し、幼児虐待を生んでるわけでね。
 子どもが欲しいけどなかなか恵まれない家族はなんとも歯がゆい思いをされてるのでは。

 世の中は矛盾ばかり、不条理なことばかり。でも、そんな環境や条件をわざわざ選んだのは自分だ、ととらえたほうがいいかもしれませんな。