2011年10月26日「出雲パワスポツアー」レポ1

カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」

 今回のツアーメンバーは12名。毎年3月開催の「京都花見舞妓ツアー」よりも多いじゃありませんか。
 今回を契機に毎年10月は出雲に参詣することになりました。

 やっぱり女子旅は半端ないですな。出雲縁結び空港も超満員。いずれご紹介しますけど、美味しいと評判の出雲蕎麦屋も長蛇の列。やっぱ「縁結び命」なんかなあ。

 さて、ご存じ、出雲はこの旧暦10月は神無月ではなく「神在月」です。日本中から神様が集まってくるわけですね。神様たちの食事の場所も寝室も会議の場所もすべて用意されてます。


三の鳥居「松の参道の鳥居」。

四の鳥居「銅の鳥居」。毛利輝元の寄進。向こう側に見えるのは御仮殿。

御仮殿を斜めから。御本殿はこの向こう側にあり、ただいま遷宮のためご修理中。その様子を特別に拝察したわけです。

ムスビの御神像。大国主大神が若い頃、日本海の向こうから「幸魂奇魂」が現れて神となる。

 天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、出雲を支配していた大国主命に国譲り、出雲王朝の支配権を譲渡するように迫ります。大国主の長男、建御名方命(たけみなかたのみこと)は国譲りに反対。
 決着をつけるために、武甕槌命と力比べ=相撲をしたけど負けちゃった。

 大国主は平和的に国譲りを行った。譲るということは アマテラス以前、この出雲王朝は大国主の国だったわけです。

 刃向った建御名方命は敗北しましたが、どこの国でも敗北者は皆殺しか奴隷にされちゃうけど、建御名方命は諏訪に逃れ、その地で王国を築きます。そして諏訪以外には出遊しないと約束。諏訪大社の起源ですね。

「神在月」ですけど、すべての神様が出雲に出向かれるわけではありません。免除されている神様もいらっしゃいます。たとえば、この武御名方命(たけみなかたのみこと)がそうですね。また玉置(たまい)の神も出雲に出向かず 熊野を護っておられます。

 けど、どうなんだろ? やっぱ中つ国(出雲)の人々は皆殺しにされた。その霊を鎮めるために大社がつくられた。だから、出雲大社は神宮はじめ、普通の神社とすべてが真逆に作られている。。。梅原猛先生でなくともそう考えたくなりますわな。


 さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『一万年の天皇』(上田篤著・文藝春秋)です。超長いので2回に分けます。今回は前半です。詳細はこちらからどうぞ。