2007年01月22日「それでもボクはやってない」
カテゴリー中島孝志の不良映画日記」
そのまんま東さんが宮崎県知事に当選しましたね。おめでとうございます。
お手並み、しばし拝見というとこですかな。
いい脚本、書いてます。
聞けば、主人公によって5人分書いてたらしいですね。つまり、本作の主人公は独身の若者でしょ。で、その他に役所広司さんを想定した50代のサラリーマン。で、また、若者。で、また中年サラリーマンというようにね。
こういうムダのおかげで、脚本に見えない膨らみが生まれてます。
いい脚本てのは多層構造になってます。まるで1つの城。コンセプトが明確。城郭もきちんと張り巡らされてるし、二の丸、三の丸もしっかりしてます。
ダメな脚本はまるでプレハブ小屋。ストーリーが薄っぺらで一本調子。物語を演じるんじゃなくて説明しちゃうのね。
周防監督は一流の脚本家ですな。
さてさて、法律ってのは万人を守るものではなく、知っている人だけを守るものなんですねぇ。
法廷が真実追及、追究、追求の場なんて、司法修習生のような話はやめましょう。ネタを材料に美味いかまずいか、ご主人様に判断してもらう場なんですね。
で、この場合のご主人様とは「裁判官」にほかなりません。
たしかに、周防正行監督が指摘されてるように、司法ドラマ、司法映画というと、検事と弁護士の戦いに見えますけど、主役は裁判官なんですね。
検事も弁護士も被告や原告、傍聴人のことなんて視野には入ってません。視線はすべて裁判官に注がれています。
なぜって、彼らにとって真のお客さんは裁判官だからです。この人の心証を害したら大変なことになる。証拠、資料も有利に働かなくなってしまう。だから、懸命なんです。
一方、アメリカはご存じのように陪審員制度ですから、自然と弁護士、検事ともに陪審員を視野に入れます。
「この人にむずかしいこと言ったってわかんねぇだろうな」という時は、きちんと言葉を置き換えますよ。でないと、あの弁護士(検事)、気にくわねぇなんて心証害しちゃいますもんね。
あっという間に引き込まれ、時が経つのを忘れちゃいました。
ネタバレになりますからストーリーには言及しません。
痴漢のえん罪ってたくさんあんでしょうな。だって、「ボクはやってない」と言い張ったって、被疑者(たいてい男)は不利ですよ。「男って嫌ねぇ」なんて思い込みがあるでしょ。
それに、なんといっても証拠がない。証拠たって、ボクはやってないという証拠ね。つまり、女性の側には立証義務がないんだもの。だから、えん罪を作ろうとか、狙った男を貶めてやろうと思ったらいくらでもできますよ。
きっといるだろうなぁ。そういう性悪女。
で、男性のほうも仕事があります。えん罪だってなんだってさっさと認めて罰金や説諭くらいで解放されたほうが楽。認めないと永遠に勾留されちゃうんだからね。これはまずいよ。
「朝に来て午後には帰るサラリーマン」
まるで川柳ですな。いま、女性専用車両ってあるでしょ? あれは女性のためのものじゃなくて、痴漢えん罪を防ぐ男性のためのものですよ、きっと。
こうなったら、スパッと分けたらどうかね?
参考までに、私は満員電車が大嫌い。サラリーマン時代も始発かほぼ始発で通勤してました。それほど嫌い。
けど、どうしても乗らなくちゃいけない時も出てきます。こんな時でも読書に集中してたら、「あなた痴漢したでしょ!」と言われたらバニクってしまうでしょうな。
「ボク、やってないよ」と言うしかないよね。
日本の電車事情を考えると、「痴漢えん罪保険」を売り出したらどうかね? あんのかな? ない? なかったら、そこそこいけるんとちゃう?
個人じゃなくて、会社が契約すんの。無理か、恥ずかしくて会社には内緒にしたいもんなぁ。
じゃ、個人で契約するか? ほかの保険とセットでどう?
基本的なことなんだけど、裁判官は人を裁いてるんじゃなくて、検事と弁護士の証拠比べでどちらが重いか軽いかを計ってるんだね。
だから、警察にでっち上げられたら終わり。だから、初動捜査の段階で、法律を知らない人は圧倒的に不利なんですよ。
わが子には裁判のカラクリをもっと教えた方がいいかもしれないな。
裁判官のイメージって、ひと言で言うと、人情の通じない人。吉本新喜劇なんか絶対見ない人。クラシック音楽しか聞かない。ロックンロール、レゲエなんて聞かない。つまり、浮世離れした人。法律オタクでモノを知らない人・・・なんだよなぁ。
事実、社会を裁判というフィルターでしか体感できないでしょ。性悪説にグッと傾いてしまうような気がすんだよね。
大岡裁きなんて粋なことは望まないけど、人が人を裁くむずかしさ。自分のことは自分で守るしかない。それと家族、友人、同志が大切だということがよく伝わってきましたね。
それにしても、日本の裁判制度、警察制度は、人権とはほど遠いな。にもかかわらず、変な人権屋が跋扈してるしね。いろんな矛盾を抱えてる国ですよ、ここは。
お手並み、しばし拝見というとこですかな。
いい脚本、書いてます。
聞けば、主人公によって5人分書いてたらしいですね。つまり、本作の主人公は独身の若者でしょ。で、その他に役所広司さんを想定した50代のサラリーマン。で、また、若者。で、また中年サラリーマンというようにね。
こういうムダのおかげで、脚本に見えない膨らみが生まれてます。
いい脚本てのは多層構造になってます。まるで1つの城。コンセプトが明確。城郭もきちんと張り巡らされてるし、二の丸、三の丸もしっかりしてます。
ダメな脚本はまるでプレハブ小屋。ストーリーが薄っぺらで一本調子。物語を演じるんじゃなくて説明しちゃうのね。
周防監督は一流の脚本家ですな。
さてさて、法律ってのは万人を守るものではなく、知っている人だけを守るものなんですねぇ。
法廷が真実追及、追究、追求の場なんて、司法修習生のような話はやめましょう。ネタを材料に美味いかまずいか、ご主人様に判断してもらう場なんですね。
で、この場合のご主人様とは「裁判官」にほかなりません。
たしかに、周防正行監督が指摘されてるように、司法ドラマ、司法映画というと、検事と弁護士の戦いに見えますけど、主役は裁判官なんですね。
検事も弁護士も被告や原告、傍聴人のことなんて視野には入ってません。視線はすべて裁判官に注がれています。
なぜって、彼らにとって真のお客さんは裁判官だからです。この人の心証を害したら大変なことになる。証拠、資料も有利に働かなくなってしまう。だから、懸命なんです。
一方、アメリカはご存じのように陪審員制度ですから、自然と弁護士、検事ともに陪審員を視野に入れます。
「この人にむずかしいこと言ったってわかんねぇだろうな」という時は、きちんと言葉を置き換えますよ。でないと、あの弁護士(検事)、気にくわねぇなんて心証害しちゃいますもんね。
あっという間に引き込まれ、時が経つのを忘れちゃいました。
ネタバレになりますからストーリーには言及しません。
痴漢のえん罪ってたくさんあんでしょうな。だって、「ボクはやってない」と言い張ったって、被疑者(たいてい男)は不利ですよ。「男って嫌ねぇ」なんて思い込みがあるでしょ。
それに、なんといっても証拠がない。証拠たって、ボクはやってないという証拠ね。つまり、女性の側には立証義務がないんだもの。だから、えん罪を作ろうとか、狙った男を貶めてやろうと思ったらいくらでもできますよ。
きっといるだろうなぁ。そういう性悪女。
で、男性のほうも仕事があります。えん罪だってなんだってさっさと認めて罰金や説諭くらいで解放されたほうが楽。認めないと永遠に勾留されちゃうんだからね。これはまずいよ。
「朝に来て午後には帰るサラリーマン」
まるで川柳ですな。いま、女性専用車両ってあるでしょ? あれは女性のためのものじゃなくて、痴漢えん罪を防ぐ男性のためのものですよ、きっと。
こうなったら、スパッと分けたらどうかね?
参考までに、私は満員電車が大嫌い。サラリーマン時代も始発かほぼ始発で通勤してました。それほど嫌い。
けど、どうしても乗らなくちゃいけない時も出てきます。こんな時でも読書に集中してたら、「あなた痴漢したでしょ!」と言われたらバニクってしまうでしょうな。
「ボク、やってないよ」と言うしかないよね。
日本の電車事情を考えると、「痴漢えん罪保険」を売り出したらどうかね? あんのかな? ない? なかったら、そこそこいけるんとちゃう?
個人じゃなくて、会社が契約すんの。無理か、恥ずかしくて会社には内緒にしたいもんなぁ。
じゃ、個人で契約するか? ほかの保険とセットでどう?
基本的なことなんだけど、裁判官は人を裁いてるんじゃなくて、検事と弁護士の証拠比べでどちらが重いか軽いかを計ってるんだね。
だから、警察にでっち上げられたら終わり。だから、初動捜査の段階で、法律を知らない人は圧倒的に不利なんですよ。
わが子には裁判のカラクリをもっと教えた方がいいかもしれないな。
裁判官のイメージって、ひと言で言うと、人情の通じない人。吉本新喜劇なんか絶対見ない人。クラシック音楽しか聞かない。ロックンロール、レゲエなんて聞かない。つまり、浮世離れした人。法律オタクでモノを知らない人・・・なんだよなぁ。
事実、社会を裁判というフィルターでしか体感できないでしょ。性悪説にグッと傾いてしまうような気がすんだよね。
大岡裁きなんて粋なことは望まないけど、人が人を裁くむずかしさ。自分のことは自分で守るしかない。それと家族、友人、同志が大切だということがよく伝わってきましたね。
それにしても、日本の裁判制度、警察制度は、人権とはほど遠いな。にもかかわらず、変な人権屋が跋扈してるしね。いろんな矛盾を抱えてる国ですよ、ここは。