2007年04月15日「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」
カテゴリー中島孝志の不良映画日記」
「オカン、見てろよ。いままでにないくらい笑える原稿書いちゃるけん!」
原作は出版早々、このプログで紹介しましたね。その頃の「通勤快読」は1回に3冊ずつ紹介してました(その時の内容を後で掲載しておきます)。
淡々とした静かな映画でしたね。ららぽーと横浜の素敵な映画館。いつもの通りレイトショーで1200円也。
映画で見るために、大泉洋さん、速水もこみちさんのテレビドラマは避けてきたんです。
それにしても、チョイ役によくこんだけすごい役者を動員しましたねぇ。小泉今日子、寺島進、渡辺美佐子、板尾創路、宮崎あおい、松田美由紀、柄本明、仲村トオル・・・でっせ。
それにしても、原作を読んだときにはそれほど悲壮感を感じませんでしたが、病院で抗ガン剤治療をするシーンは見ていられませんでしたね。
苦しそうで、苦しそうで。身内に闘病されている方がいれば人ごとではありませんよね。
さて、ボクはオカンがパートで稼いだお金で、学校も行かず、麻雀、酒、たばこ、女の日々。借金に借金を重ね、サラ金からも断られ、どん詰まりで気がつきます。
「なんのために東京に来たんだ?」
それから、がむしゃらに働きます。そして、オカンを東京に呼びよせます。15歳でオカンと別れ、15年過ぎて、また一緒に暮らす。
けど、病は確実にオカンの身体を蝕んでいたんですね。
オカンはなんのために生きていたんでしょうかね? いまなら、自己実現という女性も少なくないでしょうけど。
オカンはいくつになってもわが子の成長を生き甲斐にしてるんだと思います。それにボクは思いっきり甘えて、気づいたときには、オカンは小さくん小さく小さくなって、いつの間にか溶けて消えてるんですね。
この映画、素敵な映画です。ボクの演技もオカンもオトンも素敵でした。
いちばんよかったのは音楽じゃなかったかな。主題歌は福山雅治さんですけど、それとも、奇跡的にマッチしてます。
♪東京にもあったんだ♪って、そりゃありますよ。愛ってのは、宇宙だもの。
ボクはオカンの幸せを願う。オカンはボクの幸せを願う。
「願う」であって「祈る」じゃないんだよね。このちがい、わかります?

昔、関西テレビ制作ドラマで「母子星」ってのがあったのね。土曜か日曜にやってたんだけど、なぜか思い出してしまうんだ。
昔々の「通勤快読」で紹介した「東京タワー」の原稿を掲載しときます。
ーー著者は「水10!」でお馴染みのあのリリーさんね。後半出てくる変な怪物、あれ作った人。
「どうして、この人、ここにいるの?」と不思議な人もいるでしょうけど、まっ、作者なわけです。
サブタイトルが「オカンとボクと、時々、オトン」。
そう、これはいまは亡きオカンへのレクイエム? 挽歌? いやいや、ラブレターです。
そうだなぁ・・・。「伊豆の踊子」と「舞姫」「ぼっちゃん」を足して3で割ったような作品だなぁ。直木賞、あげたいです。、これも映画になると思うよ(ホントになったでしょ?)。
リリーさんの故郷って2つあるのよ。1つはオトンが暮らす小倉、もう一つはオカンが暮らしてた筑豊。
「ボクはオトンのことを家族と感じたことはなかった。物心がつき始めた頃には、もう一緒に暮らしてはいないのだから」
リリーさんはずっと母子家庭。といっても、オトンはいるの。ずっと別居生活なのね。
理由は?
「小倉のばあちゃんとオカンの折り合いがわるかったけん」
「?」
「あのばあちゃんはだれとも合わんのよ」
オトンは元々新聞社に勤務してたんだけど、長続きできない人なのね。で、ソープランド、宗教団体など、住民が嫌がる建物ばかり建てる建築事務所をやってます。
ということは、かぎりなくあっち系の仕事をしてるってわけ。
オカンはそんなオトンとずっと別居生活。で、実家に来たり、兄妹のところに居候したりして、リリーさんを懸命に育てます。
450ページもの大著だけど、半分は小倉、筑豊での子ども時代、青春時代を描いてます。
リリーさんはわたしより5つ若いんですが、地域差もあるのか。ずっと昔の子どもみたいなんだよねぇ。遊びも似てます。メンコ、ベーゴマ、指でこすると煙が出てくるヤツ、チクロ入りのジュース・・・。
「ボクが小学校にあがり、ランドセルを背負って下校する道すがら、いつも商店街や駅前で、筑豊のばあちゃんの姿を探しながら帰った。
夏には男みたいなシャツ一枚で、首から白いタオルを下げたばあちゃんを見つけては、こっそり後ろから近づく。近づいて荷台に座り、魚の生臭い匂いに揺られながら街の中を抜けていく。
家は急な坂道の頂上にあった。魚と氷を載せたリアカーは、平坦な道ならともかく、坂道では若い男が引いても、慣れない者は後ろ向きに引っ張られてしまう。坂の途中でばあちゃんは何度も休憩をとりながら、息を切らせて少しずつのぼった。遠くからでも見える急な坂道にいるばあちゃんを見つけると、ボクは急いで駆け寄って、後ろからリヤカーを押した。
後ろから力が加わると、ばあちゃんは振り向き、にやりと笑って、また前を向き直ってリヤカーを引く手に力が加わる。近所の人も、ボクの友だちも、坂道でばあちゃんとを見かけると、みんな、後ろから押して手伝った。
そんなばあちちゃんを見ていると、ボクは月々、思うことがあった。
なんで、ばあちゃんはひとりで住んでいるのだろう。九人の子どもと二十人近い孫。その孫の中で、ばあちゃんと暮らした経験があるのはボクしかいないそうだ」
リリーさんは、中学入学を機に筑豊から小倉に出て行きます。オトンのところから学校に通おうとしたわけです。
そこで、みなからお別れパーティとか餞別とかもらった。それなのに、これがパー。
結局、みんなと同じ中学に通い、野球部に入ります。
あとは大分の公立芸術専門高校に入学して、下宿生活。
そして、いよいよ大学(武蔵美)に入るために東京に出てきます。
「東京にいると、必要なものだけしか持っていない者は、貧しい者になる。東京では「必要以上」のものを持って、はじめて一般的な庶民であり、必要過剰な財を手にして初めて、豊かな者になる」
「オカンね、癌になったんよ」
「どこが悪いん・・・?」
「甲状腺の癌なんよ」
「それ、治るん?」
「心配せんでよか。命に別状はないんやけん」
「オカン・・・」
「なんね?」
「東京にくるね?」
「あぁ・・・?」
「東京で一緒に住もうか?」
オカンのことだから、断るだろう・・・と思った。
「本当に行ってもいいんかね?」
「あぁ、いいよ」
「そしたら、東京に行こうかね」
「うん・・・来たらいいよ」
意外な返事だった。しかし、オカンがそうすると言うのだから、よほど精神的にもせっぱ詰まっていたんだなと思った。
オカンは料理屋で働き、自分で店を開いたこともあり、料理がうまい。その料理と陽気なオカン目当てに、リリーさんがいない時もたくさんの来客がある。もちろん、ほとんど、リリーさんの仕事仲間。
いまや、高名になったバンドのリーダーなど、「好きな食べ物」という雑誌のアンケートに「リリーさんのオカンの料理」と答えていたほど。
楽しい日々が続きます。けど、病魔は少しずつオカンの身体を蝕んでいたのです。
東京タワーのそばの病院に入院します。
「あぁ、東京タワーか」
オカンは鏡に映る東京タワーを指でなぞりながら、きれいやねぇという微笑を浮かべた。
甲状腺癌はフランス帰りの名医のおかげで無事完治。
ところが、胃ガンが命取りになります。
69歳で亡くなります。
病室にはボクとオカンとオトン。ボクたち3人が同じ部屋の中で寝るなんて、何年ぶりだろう。オカンの最後の願いはボクたちがこうして同じ場所で眠ることだったのだろう。
葬式は自宅でやる。考えていたよりはるかに多くの人が弔問に訪れてくれる。
この忙しい時期に・・・その表情をひとつひとつ見ていると、それはボクの関係者ということだけでなく、訪れる人のほとんどが一度はオカンの飯を食べたことがあることに気づいた。
ボクだけの人間関係で人が集まってくれたような傲った気分になっていたけど、そうじゃない。ここにいる多くの人は、オカンが東京に来て作った、オカンの友だちなのだ。
以上。
原作は出版早々、このプログで紹介しましたね。その頃の「通勤快読」は1回に3冊ずつ紹介してました(その時の内容を後で掲載しておきます)。
淡々とした静かな映画でしたね。ららぽーと横浜の素敵な映画館。いつもの通りレイトショーで1200円也。
映画で見るために、大泉洋さん、速水もこみちさんのテレビドラマは避けてきたんです。
それにしても、チョイ役によくこんだけすごい役者を動員しましたねぇ。小泉今日子、寺島進、渡辺美佐子、板尾創路、宮崎あおい、松田美由紀、柄本明、仲村トオル・・・でっせ。
それにしても、原作を読んだときにはそれほど悲壮感を感じませんでしたが、病院で抗ガン剤治療をするシーンは見ていられませんでしたね。
苦しそうで、苦しそうで。身内に闘病されている方がいれば人ごとではありませんよね。
さて、ボクはオカンがパートで稼いだお金で、学校も行かず、麻雀、酒、たばこ、女の日々。借金に借金を重ね、サラ金からも断られ、どん詰まりで気がつきます。
「なんのために東京に来たんだ?」
それから、がむしゃらに働きます。そして、オカンを東京に呼びよせます。15歳でオカンと別れ、15年過ぎて、また一緒に暮らす。
けど、病は確実にオカンの身体を蝕んでいたんですね。
オカンはなんのために生きていたんでしょうかね? いまなら、自己実現という女性も少なくないでしょうけど。
オカンはいくつになってもわが子の成長を生き甲斐にしてるんだと思います。それにボクは思いっきり甘えて、気づいたときには、オカンは小さくん小さく小さくなって、いつの間にか溶けて消えてるんですね。
この映画、素敵な映画です。ボクの演技もオカンもオトンも素敵でした。
いちばんよかったのは音楽じゃなかったかな。主題歌は福山雅治さんですけど、それとも、奇跡的にマッチしてます。
♪東京にもあったんだ♪って、そりゃありますよ。愛ってのは、宇宙だもの。
ボクはオカンの幸せを願う。オカンはボクの幸せを願う。
「願う」であって「祈る」じゃないんだよね。このちがい、わかります?

昔、関西テレビ制作ドラマで「母子星」ってのがあったのね。土曜か日曜にやってたんだけど、なぜか思い出してしまうんだ。
昔々の「通勤快読」で紹介した「東京タワー」の原稿を掲載しときます。
ーー著者は「水10!」でお馴染みのあのリリーさんね。後半出てくる変な怪物、あれ作った人。
「どうして、この人、ここにいるの?」と不思議な人もいるでしょうけど、まっ、作者なわけです。
サブタイトルが「オカンとボクと、時々、オトン」。
そう、これはいまは亡きオカンへのレクイエム? 挽歌? いやいや、ラブレターです。
そうだなぁ・・・。「伊豆の踊子」と「舞姫」「ぼっちゃん」を足して3で割ったような作品だなぁ。直木賞、あげたいです。、これも映画になると思うよ(ホントになったでしょ?)。
リリーさんの故郷って2つあるのよ。1つはオトンが暮らす小倉、もう一つはオカンが暮らしてた筑豊。
「ボクはオトンのことを家族と感じたことはなかった。物心がつき始めた頃には、もう一緒に暮らしてはいないのだから」
リリーさんはずっと母子家庭。といっても、オトンはいるの。ずっと別居生活なのね。
理由は?
「小倉のばあちゃんとオカンの折り合いがわるかったけん」
「?」
「あのばあちゃんはだれとも合わんのよ」
オトンは元々新聞社に勤務してたんだけど、長続きできない人なのね。で、ソープランド、宗教団体など、住民が嫌がる建物ばかり建てる建築事務所をやってます。
ということは、かぎりなくあっち系の仕事をしてるってわけ。
オカンはそんなオトンとずっと別居生活。で、実家に来たり、兄妹のところに居候したりして、リリーさんを懸命に育てます。
450ページもの大著だけど、半分は小倉、筑豊での子ども時代、青春時代を描いてます。
リリーさんはわたしより5つ若いんですが、地域差もあるのか。ずっと昔の子どもみたいなんだよねぇ。遊びも似てます。メンコ、ベーゴマ、指でこすると煙が出てくるヤツ、チクロ入りのジュース・・・。
「ボクが小学校にあがり、ランドセルを背負って下校する道すがら、いつも商店街や駅前で、筑豊のばあちゃんの姿を探しながら帰った。
夏には男みたいなシャツ一枚で、首から白いタオルを下げたばあちゃんを見つけては、こっそり後ろから近づく。近づいて荷台に座り、魚の生臭い匂いに揺られながら街の中を抜けていく。
家は急な坂道の頂上にあった。魚と氷を載せたリアカーは、平坦な道ならともかく、坂道では若い男が引いても、慣れない者は後ろ向きに引っ張られてしまう。坂の途中でばあちゃんは何度も休憩をとりながら、息を切らせて少しずつのぼった。遠くからでも見える急な坂道にいるばあちゃんを見つけると、ボクは急いで駆け寄って、後ろからリヤカーを押した。
後ろから力が加わると、ばあちゃんは振り向き、にやりと笑って、また前を向き直ってリヤカーを引く手に力が加わる。近所の人も、ボクの友だちも、坂道でばあちゃんとを見かけると、みんな、後ろから押して手伝った。
そんなばあちちゃんを見ていると、ボクは月々、思うことがあった。
なんで、ばあちゃんはひとりで住んでいるのだろう。九人の子どもと二十人近い孫。その孫の中で、ばあちゃんと暮らした経験があるのはボクしかいないそうだ」
リリーさんは、中学入学を機に筑豊から小倉に出て行きます。オトンのところから学校に通おうとしたわけです。
そこで、みなからお別れパーティとか餞別とかもらった。それなのに、これがパー。
結局、みんなと同じ中学に通い、野球部に入ります。
あとは大分の公立芸術専門高校に入学して、下宿生活。
そして、いよいよ大学(武蔵美)に入るために東京に出てきます。
「東京にいると、必要なものだけしか持っていない者は、貧しい者になる。東京では「必要以上」のものを持って、はじめて一般的な庶民であり、必要過剰な財を手にして初めて、豊かな者になる」
「オカンね、癌になったんよ」
「どこが悪いん・・・?」
「甲状腺の癌なんよ」
「それ、治るん?」
「心配せんでよか。命に別状はないんやけん」
「オカン・・・」
「なんね?」
「東京にくるね?」
「あぁ・・・?」
「東京で一緒に住もうか?」
オカンのことだから、断るだろう・・・と思った。
「本当に行ってもいいんかね?」
「あぁ、いいよ」
「そしたら、東京に行こうかね」
「うん・・・来たらいいよ」
意外な返事だった。しかし、オカンがそうすると言うのだから、よほど精神的にもせっぱ詰まっていたんだなと思った。
オカンは料理屋で働き、自分で店を開いたこともあり、料理がうまい。その料理と陽気なオカン目当てに、リリーさんがいない時もたくさんの来客がある。もちろん、ほとんど、リリーさんの仕事仲間。
いまや、高名になったバンドのリーダーなど、「好きな食べ物」という雑誌のアンケートに「リリーさんのオカンの料理」と答えていたほど。
楽しい日々が続きます。けど、病魔は少しずつオカンの身体を蝕んでいたのです。
東京タワーのそばの病院に入院します。
「あぁ、東京タワーか」
オカンは鏡に映る東京タワーを指でなぞりながら、きれいやねぇという微笑を浮かべた。
甲状腺癌はフランス帰りの名医のおかげで無事完治。
ところが、胃ガンが命取りになります。
69歳で亡くなります。
病室にはボクとオカンとオトン。ボクたち3人が同じ部屋の中で寝るなんて、何年ぶりだろう。オカンの最後の願いはボクたちがこうして同じ場所で眠ることだったのだろう。
葬式は自宅でやる。考えていたよりはるかに多くの人が弔問に訪れてくれる。
この忙しい時期に・・・その表情をひとつひとつ見ていると、それはボクの関係者ということだけでなく、訪れる人のほとんどが一度はオカンの飯を食べたことがあることに気づいた。
ボクだけの人間関係で人が集まってくれたような傲った気分になっていたけど、そうじゃない。ここにいる多くの人は、オカンが東京に来て作った、オカンの友だちなのだ。
以上。