2007年06月28日労働組合の存在意義ってなんだろう?
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
私、労組から講演頼まれること、多いんですよ。たとえば、富士通とかホンダ技研、証券会社の連合とかね、そういえば、昔、富士ゼロックスでもやったな。
みな、組織率はユニオンショップだから高いわけよ。けど、実際の行動率というか参画率では、かなり危機的ですな。組合員はやはりリーダーの行動をしかと見てるし、どんなイベント、教育、情報を提供できるか、人事や労務ではとてもできないメニューを提案できるかどうかが重要なのよね。
しかも、大切なことは「労組」という枠の中で考えてちゃいけないってこと。この枠を自らどれだけ創造的破壊できるかどうか。
そこをよ〜く見てますよ。
もう労組なんていらないんじゃないの? そんな声が聞こえてきそうだけど、今回、たまたま3つのケースが鉢合わせして、労組の意義が根本から問い直されているような気がします。
1つは「介護保険ドロボー!」とマスコミから叩かれているコムスンと、「ピンハネ疑惑(行政処分されるんじゃないかなぁ)」のグッドウィルの労組ね。
傍観すると、がりがり亡者(ゴメンね!)の経営側に対抗するには労組はやっぱ必要なんだな・・・と思った人、少なくないと思いますよ。
「万国の労働者!団結せよ(知ってるでしょ? 知らない? 『共産党宣言』の有名なフレーズですよ)」なんて言葉、完全に死語だと思ってたかんね。まだ、通用する会社(労組)があったんですなぁ。
日本もまだまだ、こんなもんかぁ。
私が勤務した会社なんて、労組なんてまったくない出版社(当たり前かも。労務対策の専門家ばかり集まった会社だったらしい)、と当時の国労と一緒にストやるほど伝統ある出版社(歴代の社長はすべて労組委員長)だったからね。
やはり、労組がしっかりしている会社は健全的ですよ。ただし、「労組がしっかりしている」という絶対条件が前提ですからね。
労組が突出して経営をおかしくしたのは、かつての日産自動車だけではありませんからね。
2つめはそれに関して・・・社保庁がボーナス返上? ホント? うっそー! 公務員ですよ、公務員。公務員と言えば、「休まず、遅れず、働かず」「でも、もらうものはすべてもらう」という体質でしょうが。
これ、立ち消えになると思う。
かつて、金融機関でもこんな話、ありましたね。住専等々でこげついた資金を貸し出した歴代会長、頭取に賠償させろって話ね。
あれ、どうなりました?
まっ、今回も「お布施」程度でしょう。事務次官は泣く泣く供出させられたけどね、ほとんどの職員は応じないと思うよ。「なんで、俺たちがとられなきゃならないの?」って、ヘタすっと被害者意識だもん。
国民注視の下でもタイムレコーダー、がちゃりと押して時間内にさっさと帰っちゃう人たちだもん。
この人たちの労組って存在意義なんてあんのかね。もういいんじゃない? 「45分パソコンしたら15分休憩」なんて、サボタージュばかり要求する労組なんて。
国民の意識=企業内労組とは意識も実態もかけ離れすぎてるもん。労組まで親方日の丸なんだよね。
最後の1つは、ミートなんとかっていう苫小牧のの食肉加工業者。とうとう従業員を全員解雇してしまいました。
内部告発がきっかけで崩壊するわけだけど、こんな工場に労組なんてなかったんだろうね。だから、経営側が勝手気ままなことができんだよ。
昔、連合の山岸章さんと会ったら、「私は松下幸之助さんをいちばん尊敬してます」って言うのよ。
松下さんは経営側のリーダーじゃん? 不思議に感じましたよ。
「労組は労組のことを真剣に考える。経営者は会社のことを真剣に考える。でも、これでは平行線のまま。だから、お互いとことん主張し、話し合って、一歩ずつ歩み寄れば、おのずと成果が生み出されるって教わった」というわけよ。
この2人のリーダーにあったのは、人間信頼の哲学と、社会との整合性だと思うのよね。「いま、この要求をしても社会が許すだろうか?」という第三者の目ね。
どうだろ? いまの労組にいちばん欠けているのはこれかもしれないよ。
マンネリを排し、組合員を尊重する、組合員を信頼する。そこまではいい。けど、社会との整合性が失われたとき、労組は周囲から浮きます。その存在意義を失われてしまいます。
組合は組合員のための組織であることは自明の理。だけど、社会との整合性(バランス)を失ったら、自己増殖のためだけに機能する怪物になるだけじゃないかな。
小さな器で考えない。「社会」という大きな公器で考える。この時、正しい判断ができるんだと思う・・・どうだろね?
みな、組織率はユニオンショップだから高いわけよ。けど、実際の行動率というか参画率では、かなり危機的ですな。組合員はやはりリーダーの行動をしかと見てるし、どんなイベント、教育、情報を提供できるか、人事や労務ではとてもできないメニューを提案できるかどうかが重要なのよね。
しかも、大切なことは「労組」という枠の中で考えてちゃいけないってこと。この枠を自らどれだけ創造的破壊できるかどうか。
そこをよ〜く見てますよ。
もう労組なんていらないんじゃないの? そんな声が聞こえてきそうだけど、今回、たまたま3つのケースが鉢合わせして、労組の意義が根本から問い直されているような気がします。
1つは「介護保険ドロボー!」とマスコミから叩かれているコムスンと、「ピンハネ疑惑(行政処分されるんじゃないかなぁ)」のグッドウィルの労組ね。
傍観すると、がりがり亡者(ゴメンね!)の経営側に対抗するには労組はやっぱ必要なんだな・・・と思った人、少なくないと思いますよ。
「万国の労働者!団結せよ(知ってるでしょ? 知らない? 『共産党宣言』の有名なフレーズですよ)」なんて言葉、完全に死語だと思ってたかんね。まだ、通用する会社(労組)があったんですなぁ。
日本もまだまだ、こんなもんかぁ。
私が勤務した会社なんて、労組なんてまったくない出版社(当たり前かも。労務対策の専門家ばかり集まった会社だったらしい)、と当時の国労と一緒にストやるほど伝統ある出版社(歴代の社長はすべて労組委員長)だったからね。
やはり、労組がしっかりしている会社は健全的ですよ。ただし、「労組がしっかりしている」という絶対条件が前提ですからね。
労組が突出して経営をおかしくしたのは、かつての日産自動車だけではありませんからね。
2つめはそれに関して・・・社保庁がボーナス返上? ホント? うっそー! 公務員ですよ、公務員。公務員と言えば、「休まず、遅れず、働かず」「でも、もらうものはすべてもらう」という体質でしょうが。
これ、立ち消えになると思う。
かつて、金融機関でもこんな話、ありましたね。住専等々でこげついた資金を貸し出した歴代会長、頭取に賠償させろって話ね。
あれ、どうなりました?
まっ、今回も「お布施」程度でしょう。事務次官は泣く泣く供出させられたけどね、ほとんどの職員は応じないと思うよ。「なんで、俺たちがとられなきゃならないの?」って、ヘタすっと被害者意識だもん。
国民注視の下でもタイムレコーダー、がちゃりと押して時間内にさっさと帰っちゃう人たちだもん。
この人たちの労組って存在意義なんてあんのかね。もういいんじゃない? 「45分パソコンしたら15分休憩」なんて、サボタージュばかり要求する労組なんて。
国民の意識=企業内労組とは意識も実態もかけ離れすぎてるもん。労組まで親方日の丸なんだよね。
最後の1つは、ミートなんとかっていう苫小牧のの食肉加工業者。とうとう従業員を全員解雇してしまいました。
内部告発がきっかけで崩壊するわけだけど、こんな工場に労組なんてなかったんだろうね。だから、経営側が勝手気ままなことができんだよ。
昔、連合の山岸章さんと会ったら、「私は松下幸之助さんをいちばん尊敬してます」って言うのよ。
松下さんは経営側のリーダーじゃん? 不思議に感じましたよ。
「労組は労組のことを真剣に考える。経営者は会社のことを真剣に考える。でも、これでは平行線のまま。だから、お互いとことん主張し、話し合って、一歩ずつ歩み寄れば、おのずと成果が生み出されるって教わった」というわけよ。
この2人のリーダーにあったのは、人間信頼の哲学と、社会との整合性だと思うのよね。「いま、この要求をしても社会が許すだろうか?」という第三者の目ね。
どうだろ? いまの労組にいちばん欠けているのはこれかもしれないよ。
マンネリを排し、組合員を尊重する、組合員を信頼する。そこまではいい。けど、社会との整合性が失われたとき、労組は周囲から浮きます。その存在意義を失われてしまいます。
組合は組合員のための組織であることは自明の理。だけど、社会との整合性(バランス)を失ったら、自己増殖のためだけに機能する怪物になるだけじゃないかな。
小さな器で考えない。「社会」という大きな公器で考える。この時、正しい判断ができるんだと思う・・・どうだろね?