2002年11月18日「昭和の劇」「歌声喫茶『灯』の青春」「本物の考える力生きる力勉強法」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「昭和の劇」
 笠原和夫著 太田出版 4286円

 笠原和夫さんって知ってますか?
 知らない。あっ、そう。
 じゃ、「仁義なき戦い」は?
 知ってる。そうでしょうね。では、「総長賭博」は? 早朝賭博じゃなくて、総長賭博ですよ。
 知ってる。さすが!
 じゃ、「二百三高地」は?
 知ってる。えらい!
 これら、すべて、この人の脚本なんです。

 「山守さん・・・弾はまだ残っとるがよう・・・」
 終戦直後からの友人でもあり、次の跡目を狙っていた若手筆頭の組長がだまし討ちに遭います(松方弘樹が演じてましたね)。殺させたのは、この山守というこすくてずるい親分(金子信雄さんの好演、快演)。
 その盛大な葬式の最中、「テッちゃん、こげなことしもうて、嬉しいかや? 嬉しくなかろうが。わしもそうじゃ・・・」とピストルで、この友人を殺した親分たちの供花を次々撃ち抜くんですね。
 で、ひと息ついた瞬間、「おまえはなんのつもりじゃあ?」とこの山守親分がしゃしゃり出てきます。
 その時、静かに吐いた一言。それがこれです。
 「弾はまだ残っとるがよう・・・」
 渋いねぇ。こんなの見たら、みんな、映画館から出てきたら、肩をいからせて広島弁になっちゃうのわかりますがな。
 
 まっ、こんなセリフを生み出した名脚本家を徹底的にインタビューし、その頭の中の美的センス、哲学を引っ張り出した好著。
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2 「歌声喫茶『灯』の青春」
 丸山明日果著 集英社新書 700円

 歌声喫茶って知ってますか?
 こう聞くと、回答は世代別にくっきり分かれてくると思います。
 たとえば、わたしの世代では知ってる人もいれば「なーに、それ?」という人もいるでしょう。ということは、30代はほとんど知らないでしょうね。
 ところが、これが50代となると「行ったことあるよ」、60代ともなると、「しょっちゅう行ってた」てな具合です。
 歌声喫茶というのは、喫茶店(お酒も出すけど)に歌唱指導の人のリードで、ロシア民謡やアメリカのフォーク、あるいは童謡などをお客がみんなで唄う店のことを言います。

 いまのように、カラオケ全盛時代から見ると、「えっ、みんなで合唱。没個性で、北朝鮮のマスゲームみてぇだな」と感じるかもしれませんが、これが1950年代、60年代にピークを迎え、たいへんな賑わいようだったのです。
 なんと、日本でいちばん最初にできたが1956年春ってんですから、わたしの生まれる前ですよ。それから、雨後の竹の子の如く、あちらこちらでできまして、最盛期には二百軒くらいあったようですね。
 実はわたし、この歌声喫茶「灯」に行ってました。

 あれは忘れもしない大学入学直後。
 最初にして最後の早慶戦に行った帰り、新宿に繰り出した中島青年は名物の噴水前で躊躇することなく、みんなと飛び込んでびしょびしょ。まだ細身のベルボトム・ジーンズがはけた時です。
 「おい、乾かそうぜ」と、そのまま、先輩に連れられて、西武新宿駅そばの店まで行った。そこが灯でした。
 へぇ、うまいなぁ、あのひげの人。ロシア民謡って、いい音楽だなぁ。
 とくに好きだったのが、「ボルガの舟歌」「囚人の歌」、そしてこの店の名前にもなった「灯」でした。すぐにレコードを買いに行き、しばらくはまってましたね。
 これで歌が上手ければ、通い詰めたと思いますよ。でも、生来の音痴。ホントに
ひげの歌唱指導をしてた人はうまかった。

 さて、著者はどうしてこの本を書こうと思ったか。だって、この人、舞台俳優ですよ。
 それはね、母親と別居して暮らす中、たまたま一枚の写真を見つけたわけ。大きな口を開けて、どうやら唄っているらしい。ぼけてはいるが、後ろにはたくさんの人がいる。どこかの会場か店のようです。
 で、母親に聞くと、「あれ、あんたに言ってなかったっけ?」
 実はこの母親こそが歌声喫茶を最初に作った人だったんですね。
 それから、著者は母親の記憶を頼りに、当時の歌声喫茶「灯」を支えていた人たちに軒並み、会いに行きます。その中には、早稲田のグリークラブから、そのままプロになったボニー・ジャックスのメンバーもいました。
 母親の歴史はそのまま歌声喫茶の歴史でもあり、またそれは一人の女性の半生をトレースする旅でもあります。
 「へぇ、母親って、こんな生き方、してきたんだ」と気づきます。
 それは意識するしないにかかわらず、現在の自分の生き方との対比になってきますね。著者はおおいに刺激を受け、いまの自分を振り返ることになります。
 自分探しの旅でもあったわけですね。
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3 「本物の考える力生きる力勉強法」
 マークス寿子著 三笠書房 1500円

 著者はロンドン郊外のマーデンハウス。そう、ロンドンから90キロくらい離れてますな。
 その敷地内には大きな母屋、使用人用のコテッジ、馬小屋、小さなチャペル、広い庭、果樹園、牧場など、とにかく視界を遮るものは何もないところに住んでます。教会が二つ、パブが三つ、食料品店が一軒、郵便局は週三日開くだけ。そんなイギリスのホントの村ですね。
 で、日本とイギリスを行ったり来たり。

 「本当の意味の勉強とは 自分の人生の幅を広げると同時に、さまざまなものの見方、考え方を知り、自らもそれを経験することで、一つの問題を解決するための道筋を見いだすことが目的です」だとか。
 そういえば、正しい答えは一つじゃありませんものね。
 これでは、ものの見方が一面的、固定的、直線的でしょ。そううではなくて、多角的、柔軟的、飛躍的にしなければね。
 たとえば、この世の中には東大しかない、という人には「料理界の東大」も「漫才界の東大」も見えないでしょうね。世界は広いんです。いきなり、雅子妃殿下のように、いきなりハーバード大学に行く人もいます。コロンビア大学にいきなり行ったミュージシャンもいましたよね。

 さて、日本の生活保護の話。
 これは福祉課の職員が担当ですが、本当は巡回して「大丈夫? 困ってない?」と声を掛けるべきですね。ところが、この国の公務員は暇だけはたくさんあるにもかかわらず、そんな意識がありません。だから、書類を何枚も書かなければ認めないんです。
 書ける人がはたして、どれだけいるでしょうかね。お年寄り、知能障害、それに近い人。保護すべき人だから、「生活保護を申請したい」と思うんです。この日本で、いまどき、餓死する人もいるでしょ。それはこんな制度があること自体を知らないからですね。
 「知らない本人が悪い」とは言えないと思いますよ。
 たいていの人はこの段階で諦めるんです。そこを役所で突いたところ、「えっ、わたしが考えるんですか?」だって。
 バカ者! そんなこと、担当者なんだから、自分で考えろ!

 イギリスの子供は掛け算が不得意な子供が少なくありません。
 「3×3は?」
 すぐには出てこないんです。
 日本では九九は暗記ものです。でも、システムを理解できているかどうかはわかりません。
 イギリスでは、「3×123は?」というと、延々と足していくらしいですね。気が遠くなりすが、これを子供もおもしろがってやるそうです。
 いまや、日本はゆとり教育ですからね。
 「円周率は3でいい」という時代です。でもね、地球を一周してもまだ尽きないところに円周率の不思議さがあるんです。そこに、不思議さを感じてほしい。
 「えっ?」「どうして?」「なんで?」という部分が魅力なんですね。

 子供は簡単だから覚えるものではありません。
 好奇心、面白みをそこに感じたら、放っておいても覚えようとするものです。
 「えっ、よくそんな難しい言葉、知ってるね?」
 「簡単だよ」
 それがわたしでもわからない、書けない難しい字なの。
 でも、難なくやってしまいます。好奇心というのは、そういうものです。簡単だから、興味を引くものではありません。
 これは大人のバカな役人の発想ですね。

 「簡単」という意味を深く考えようよ。
 簡単でいいのか?
 簡単にするって、そんなにいいことなのか?
 わたしはゆとりとは簡単なことを教えるという意味ではない、と思います。ゆとりとは子供の学習意欲を促進するソフトウェアを開発することですよね。
 好奇心、興味、関心、できれば共感、共鳴、感動を引き出すことだ、と思うんです。
 たとえば、花の名前をよく知ってる子供がいますよ。そんな子供は花博士です。同様にクラスの中には虫博士、野球博士もたくさんいるでしょう。
 「ボクは○○博士です」
 「わたしは○○博士です」
 そんなニックネームをつけてあげたいな。大臣病に罹ってる政治家の諸兄みなさん、こういうラベル、レッテルが欲しいわけでしょ。子供も同じ。バッヂですね。

 91年、湾岸戦争当時、サダム・フセインがクウェートに攻め込んだ時のことです。
 イラク国内にいる英米人が抑留されました。イギリス人だけでも百人の一般市民がホテルに軟禁されたんです。
 当時、フセイン政府は「私たちは市民であるあなた方の安全を考えているから釈放しない」と宣言しました。そして、イギリス市民が安全に暮らしている証拠を示そうと、テレビ放送までしたんです。これは世界に流れました。
 金ぴかの洋服のフセインがニコニコしながら現れ、軟禁されたイギリス人親子をカメラの前に連れ出す。
 「ちょっと、君、きなさい」と一人の男の子を呼び出す。九歳か十歳くらいの少年です。
 「食事はちゃんとできてるだろう? ここにいて幸せだろう。みんなに言っておやり。ここにいて、楽しいだろう?」
 「楽しくない」
 「おじさんたちがこうやって、君を守っているのはとてもいいことだと思わないか?」
 「思わない。早く帰して欲しい。ここにいるのは嫌だ」
 両親はハラハラしていたに違いありません。あとでどんな目に遭うかわからないもの。
 イギリス人はみな、「あの子、よく頑張ったね」と誉めたそうですが、さすがに日本人から見ればものすごい子供です。でも、イギリスではアピールすべきはアピールする。自分の意見を述べることは、子供の時からの常識です。
 日本人だから、「あれはすごいね!」と感じますが、こんなことは当たり前、という子供たちを作りたいものです。
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