2007年11月01日「Aの人生」 藤子不二雄A著 講談社 1580円
昨夕、安藤優子さんの「ニュース番組(フジテレビ)」に登場。「見たよ」「また出たの」とあちこちで反応がありました。
これね、放送3時間前に突然、ディレクターから電話があったのね。
「中島さん、NOVAの社長室見ました?」
「見たよ。凄いね」
「どう感じました?」
「公私混同だよね。でも、成り金経営者なんてあんなもんだよ」
「そうですか?」
「成り金経営者の三種の神器って知ってる?」
「いいえ」
「自家用ジェットか高級車、億ションか超デラックス社長室。それと若い愛人! 茶室にダブルベッドなんて可愛いもんよ」
「面白い指摘ですね」
「ところで、なんの用?」
「あのぅ、いまの話、テレビでしていただけません?」
「え〜ダメダメ! これから缶詰。いま仕事場なの!」
「じゃ、カメラ持って伺わせますから」
「仕事してるねぇ。じゃ1時間以内ならOK!」
凄いですね。20分で来ました。で、20分間フルにカメラ回して放送は30秒。ホント、働きマン!
さてさて、藤子不二雄Aさんの本です。といっても、藤子・F・不二雄さんと区別が付かない人が多いんじゃないかな。
私もそうでしたもんね。
ここでもご紹介した映画「トキワ荘の青春」でおわかりの通り、藤子不二雄というのはコンビ名なのね。冨山県高岡市で漫画巧い少年が2人。
漫画雑誌に投稿していつも賞を取る常連。天下の手塚治虫さんから上京しなさいとアドバイスされ、手塚邸に漫画を持ち込んだら、正直、「とんでもない少年が現れた。うかうかできないぞ」と天才の肝を冷やした、というほど才能に溢れる少年だったわけ。
けど、この本の著者のAさん(安孫子素雄)は伯父が冨山新聞の社長でね、そのまま入社。サラリーマン生活でも漫画を描いて紙面を一新したりしてけっこう楽しく過ごしてたわけ。
一方、Fさん(藤本弘)といえば、高校卒業後は漫画一本。なんとかプロになろうと懸命でね。Aさんは気楽に日曜日に手伝いに来る。Fさんは一緒に上京しようと説得する。
そんな毎日の中、とうとう、2人してトキワ荘にやってくるわけです。
40年間の長きにわたってコンビ名で漫画を描いてるんだけど、実はホントに2人で描いたのは「オバケのQ太郎」まで。あと個人個人なのよ。
たとえば、「ドラえもん」「パーマン」はFさん。「忍者ハットリくん」「怪物くん」「プロゴルファー猿」「笑ゥせぇるすまん」はAさんなんだよ。
コンビを解消して独立記念として描いたのがこの「笑ゥせぇるすまん」ね。なんと連載は「中央公論」ですよ。しかも、これ、巨泉の「ギミア・ブレイク」というテレビ番組の中で10分間放送されてたのね。
で、これまた祈念と言うことで映画製作にも乗り出しちゃった。それが「少年時代」。
私、このDVD持ってます。脚本が山田太一さん、監督は篠田正浩さん。映画の評価? 好き嫌いがあるからね、やっぱし。主題歌はさすがだよ。陽水だもん。これは名曲!
ところで、相方のFさんについてももちろん、いろいろ語っています。Aさんでなければ書けない友情に満ちあふれたお話がいっぱい。
不即不離でいるようで、必要以上に距離間を近づけなかったんだろうなあ。でないと、こんなに長く仲良く仕事はできないって。
「藤本くんは唯一無比の道を行った」
著者の世代の漫画家というのは、みな、児童漫画からスタートしたの。だんだん年をとると描けなくなります。大人になっちゃうからね。で、青年漫画を描き、成人漫画を描くようになるの。
けど、Fさんだけは(たぶん赤塚さんもそうだけど)40歳になっても50歳を過ぎても「ドラえもん」が描けたんだよ。
なぜか?
彼が漫画家として、人間として、純粋無垢の人生を送ってきたことの賜だからだよ。
「彼は年をとっても一切世俗的な人間の人生を送らなかった」
ずっと少年のままのキャラクターだったんだね。
一方、Aさんは年をとるにしたがって児童漫画を描くことが苦痛になってきたんだ。で、昭和43年に日本初の青年コミック「ビッグコミック」に「黒ィせぇるすまん」という読み切りを描いちゃう。
人間の持つマイナーな欲望を描いたら面白くて、もう後戻りができなくなっちゃった。
スタートは一緒だったんだけど、路線がはっきりと分かれてきたんだよ。
お互いが53歳の時でした。
Aさんだけど、いろんな人気漫画がアニメ化されてます。ただ1つを除いてね。
それは「魔太郎がくる!!」という漫画。
Aさんはいじめられっ子だったのよ。「チビで気が弱くて恥ずかしがり屋でおどおどしてて」だってさ。
昭和47年秋田書店の「少年チャンピオン」から連載を頼まれたとき、そうだ、いじめられっ子を主人公にしよう、と閃くわけ。
でも、いじめられっ子がいつもいじめられてばかりだったらつまんないでしょ。
そこで、主人公は魔界の少年。普段は弱々しい卑屈で暗い弱虫。実はすごい魔力を持っている・・・浦見魔太郎。
第1回目は、魔太郎がママと友愛学園に転校するところからスタート。さっそく、暮らすのガキ大将の餌食にされちゃう。でも、一切、抵抗しない。
ところが、夜、魔太郎が儀式をはじめるわけさ。「このうらみ、はらさで、おくべきか!」と呪文をかける。翌日、そのガキ大将の机は空いてるわけ。
こんな漫画が読者であるいじめられっ子の支持を受けるわけ。
そこで編集部と1つの企画を立てます。
「みんなのうらみ買います!」がそれ。わりと軽い気持ちで、誌上でうらみを募集しちゃった。
これが大変なことになるんだよ。何百通という投書があったの。しかも、それが封書でぎっしり。内容はというと、とてもシャレにならないリアルな訴えが詰まってるわけ。
「いかん! この企画はやめよう!」
原作者としては、火に油を注いでしまうことを危惧したわけよ。で、しばらくしてこの漫画は封印してしまいます。もちろん、アニメ化などしてません。
ここしばらく、漫画家の自伝とか映画とかをかなり読んでますね。ここで紹介するほどでもない本も実はたくさんあります。
「アイデアを形にする」ということでは漫画家は面白い研究対象なんだなぁ。250円高。
これね、放送3時間前に突然、ディレクターから電話があったのね。
「中島さん、NOVAの社長室見ました?」
「見たよ。凄いね」
「どう感じました?」
「公私混同だよね。でも、成り金経営者なんてあんなもんだよ」
「そうですか?」
「成り金経営者の三種の神器って知ってる?」
「いいえ」
「自家用ジェットか高級車、億ションか超デラックス社長室。それと若い愛人! 茶室にダブルベッドなんて可愛いもんよ」
「面白い指摘ですね」
「ところで、なんの用?」
「あのぅ、いまの話、テレビでしていただけません?」
「え〜ダメダメ! これから缶詰。いま仕事場なの!」
「じゃ、カメラ持って伺わせますから」
「仕事してるねぇ。じゃ1時間以内ならOK!」
凄いですね。20分で来ました。で、20分間フルにカメラ回して放送は30秒。ホント、働きマン!
さてさて、藤子不二雄Aさんの本です。といっても、藤子・F・不二雄さんと区別が付かない人が多いんじゃないかな。
私もそうでしたもんね。
ここでもご紹介した映画「トキワ荘の青春」でおわかりの通り、藤子不二雄というのはコンビ名なのね。冨山県高岡市で漫画巧い少年が2人。
漫画雑誌に投稿していつも賞を取る常連。天下の手塚治虫さんから上京しなさいとアドバイスされ、手塚邸に漫画を持ち込んだら、正直、「とんでもない少年が現れた。うかうかできないぞ」と天才の肝を冷やした、というほど才能に溢れる少年だったわけ。
けど、この本の著者のAさん(安孫子素雄)は伯父が冨山新聞の社長でね、そのまま入社。サラリーマン生活でも漫画を描いて紙面を一新したりしてけっこう楽しく過ごしてたわけ。
一方、Fさん(藤本弘)といえば、高校卒業後は漫画一本。なんとかプロになろうと懸命でね。Aさんは気楽に日曜日に手伝いに来る。Fさんは一緒に上京しようと説得する。
そんな毎日の中、とうとう、2人してトキワ荘にやってくるわけです。
40年間の長きにわたってコンビ名で漫画を描いてるんだけど、実はホントに2人で描いたのは「オバケのQ太郎」まで。あと個人個人なのよ。
たとえば、「ドラえもん」「パーマン」はFさん。「忍者ハットリくん」「怪物くん」「プロゴルファー猿」「笑ゥせぇるすまん」はAさんなんだよ。
コンビを解消して独立記念として描いたのがこの「笑ゥせぇるすまん」ね。なんと連載は「中央公論」ですよ。しかも、これ、巨泉の「ギミア・ブレイク」というテレビ番組の中で10分間放送されてたのね。
で、これまた祈念と言うことで映画製作にも乗り出しちゃった。それが「少年時代」。
私、このDVD持ってます。脚本が山田太一さん、監督は篠田正浩さん。映画の評価? 好き嫌いがあるからね、やっぱし。主題歌はさすがだよ。陽水だもん。これは名曲!
ところで、相方のFさんについてももちろん、いろいろ語っています。Aさんでなければ書けない友情に満ちあふれたお話がいっぱい。
不即不離でいるようで、必要以上に距離間を近づけなかったんだろうなあ。でないと、こんなに長く仲良く仕事はできないって。
「藤本くんは唯一無比の道を行った」
著者の世代の漫画家というのは、みな、児童漫画からスタートしたの。だんだん年をとると描けなくなります。大人になっちゃうからね。で、青年漫画を描き、成人漫画を描くようになるの。
けど、Fさんだけは(たぶん赤塚さんもそうだけど)40歳になっても50歳を過ぎても「ドラえもん」が描けたんだよ。
なぜか?
彼が漫画家として、人間として、純粋無垢の人生を送ってきたことの賜だからだよ。
「彼は年をとっても一切世俗的な人間の人生を送らなかった」
ずっと少年のままのキャラクターだったんだね。
一方、Aさんは年をとるにしたがって児童漫画を描くことが苦痛になってきたんだ。で、昭和43年に日本初の青年コミック「ビッグコミック」に「黒ィせぇるすまん」という読み切りを描いちゃう。
人間の持つマイナーな欲望を描いたら面白くて、もう後戻りができなくなっちゃった。
スタートは一緒だったんだけど、路線がはっきりと分かれてきたんだよ。
お互いが53歳の時でした。
Aさんだけど、いろんな人気漫画がアニメ化されてます。ただ1つを除いてね。
それは「魔太郎がくる!!」という漫画。
Aさんはいじめられっ子だったのよ。「チビで気が弱くて恥ずかしがり屋でおどおどしてて」だってさ。
昭和47年秋田書店の「少年チャンピオン」から連載を頼まれたとき、そうだ、いじめられっ子を主人公にしよう、と閃くわけ。
でも、いじめられっ子がいつもいじめられてばかりだったらつまんないでしょ。
そこで、主人公は魔界の少年。普段は弱々しい卑屈で暗い弱虫。実はすごい魔力を持っている・・・浦見魔太郎。
第1回目は、魔太郎がママと友愛学園に転校するところからスタート。さっそく、暮らすのガキ大将の餌食にされちゃう。でも、一切、抵抗しない。
ところが、夜、魔太郎が儀式をはじめるわけさ。「このうらみ、はらさで、おくべきか!」と呪文をかける。翌日、そのガキ大将の机は空いてるわけ。
こんな漫画が読者であるいじめられっ子の支持を受けるわけ。
そこで編集部と1つの企画を立てます。
「みんなのうらみ買います!」がそれ。わりと軽い気持ちで、誌上でうらみを募集しちゃった。
これが大変なことになるんだよ。何百通という投書があったの。しかも、それが封書でぎっしり。内容はというと、とてもシャレにならないリアルな訴えが詰まってるわけ。
「いかん! この企画はやめよう!」
原作者としては、火に油を注いでしまうことを危惧したわけよ。で、しばらくしてこの漫画は封印してしまいます。もちろん、アニメ化などしてません。
ここしばらく、漫画家の自伝とか映画とかをかなり読んでますね。ここで紹介するほどでもない本も実はたくさんあります。
「アイデアを形にする」ということでは漫画家は面白い研究対象なんだなぁ。250円高。