2008年05月02日「在日」 姜 尚中著 集英社 500円
親本は講談社から出てましたな。これ、文庫です。
文庫っていいのよ。私ゃ大好きですね。値段も安いし、文庫だからって文字まで小さくなってるわけじゃないし、なにより親本をベースにして修正・加筆・おまけとかがあるわけ。お得なんです。
まっ、旬に読めないというデメリットはあるけどね。でもさ、旬といったって、読みたい時が読むべき時なんだな。だから、気にしない気にしない。
さて、どうして読みたくなったのか? NHKで「わたしがこどもだったとき」という帯番組やってるのね。いままで、ジミー大西、太田光・・・といった人たちが登場してるわけ。
で、姜さんのも放送されたのよ。これがなんとも切なくてね。読みたくなったわけ。でも、載ってなかったな。考えて見りゃ当たり前でさ。放送したの、つい最近なんだから。
小学校の時に初恋の女性(というか女の子)と出会った。勉強もスポーツも出来た姜さんだもの。
「遊びに行っていい?」
「・・・」
なぜ? 鉄男の家は廃品回収業。早い話が、くず屋。家も汚いし、家の周りも廃品の山。廃品の山ということは繁盛してる証明なんだけどね。
学校で廃品の話題が出るのも嫌だった。「鉄男の家じゃないか」と噂されたらしい。汚いポロを着てたどたどしい日本語で語りかける「おじさん」と一緒のところを友達に見られたくない・・・在日の劣等感を抱えていた子どもの姜さんには、「遊びにおいでよ」とはなかなか言えなかった。
自我の目覚めだよね。必要以上に意識するし、劣等感は逆に作用し、明るくはきはきとした姜さんを作っていったようだけど、写真を撮られることが嫌い、というところに複雑な気持ちがかいま見られますね。
その女の子の父親は自衛官らしく、その後、任地がかわったらしく転校。姜さんの淡い初恋もあえなく消えてしまうわけです。
姜さんは熊本生まれ。両親も韓国の人。戦前から日本で仕事してるんだけど、戦後、養豚やヤミのどぶろく作りで生計を立てていた。そのくらいしか働くすべはなかった。
ある時、税務署の一斉摘発で、姜さんの粗末な小屋めがけてトラックが押し寄せてきた。神経質で繊細な母親が阿鼻叫喚。官憲への怒りをあらわに投石し、膝から崩れ落ち、こぶしで胸を叩きながら泣き崩れていたことを、子供心にも覚えていた、といいます。
母親は日本語が読めない。だから、だまされたりバカにされたりした。
父親は少し日本語ができた。自動車免許を猛勉強の結果、2度目になんとか合格。その父親が本を読め、と姜さんに勧めたようですな。
住んでいたのは、熊本大学のキャンパスが一望できる立田山のふもと。猫の額ほどの土地に「永野商店」の看板をかかげた。
参考までに、この立田山は夏目漱石の『三四郎』にも登場します。いま、姜さんがNHKで「夏目漱石と作品」をシリーズで講義してますけど、漱石が一貫してテーマにしていた「自我の目覚め」だけではなく、こんな縁がベースにはあったんですな。
姜さんの恩師は藤原保信先生。この先生はよぉく覚えてます。私が最初に講義を受けたのもこの先生。その後、東洋経済新報社に立ち寄られたときには、会社のレストラン(というか飲み屋。昼から飲める)でご一緒したこともありました。
58歳という若さで亡くならるけど、話すのも歩くのも食べるのも早い。早稲田も新聞奨学生の二部学生として苦学され、その後、若くして教授になられた人でした。
この先生が研究上で袋小路にいた姜さんをドイツのエアランゲン大学に留学することを勧めたんですね。
本書は、姜さんにとって自伝のようなものでしょう。余命2〜3年といわれた母親を前に、生きているうちに遠い過去の記憶を拾い集め、書き留めておきたいと考えられてもなんら不思議ではありません。
NHKの番組の中で、初恋の人がいまどうしているか会ってみたいと話すと、スタッフが探してくれた。けど、彼女は19債の時に交通事故で亡くなっていたんですね。
本書にはひと言も書かれていないけど・・・。300円高。
文庫っていいのよ。私ゃ大好きですね。値段も安いし、文庫だからって文字まで小さくなってるわけじゃないし、なにより親本をベースにして修正・加筆・おまけとかがあるわけ。お得なんです。
まっ、旬に読めないというデメリットはあるけどね。でもさ、旬といったって、読みたい時が読むべき時なんだな。だから、気にしない気にしない。
さて、どうして読みたくなったのか? NHKで「わたしがこどもだったとき」という帯番組やってるのね。いままで、ジミー大西、太田光・・・といった人たちが登場してるわけ。
で、姜さんのも放送されたのよ。これがなんとも切なくてね。読みたくなったわけ。でも、載ってなかったな。考えて見りゃ当たり前でさ。放送したの、つい最近なんだから。
小学校の時に初恋の女性(というか女の子)と出会った。勉強もスポーツも出来た姜さんだもの。
「遊びに行っていい?」
「・・・」
なぜ? 鉄男の家は廃品回収業。早い話が、くず屋。家も汚いし、家の周りも廃品の山。廃品の山ということは繁盛してる証明なんだけどね。
学校で廃品の話題が出るのも嫌だった。「鉄男の家じゃないか」と噂されたらしい。汚いポロを着てたどたどしい日本語で語りかける「おじさん」と一緒のところを友達に見られたくない・・・在日の劣等感を抱えていた子どもの姜さんには、「遊びにおいでよ」とはなかなか言えなかった。
自我の目覚めだよね。必要以上に意識するし、劣等感は逆に作用し、明るくはきはきとした姜さんを作っていったようだけど、写真を撮られることが嫌い、というところに複雑な気持ちがかいま見られますね。
その女の子の父親は自衛官らしく、その後、任地がかわったらしく転校。姜さんの淡い初恋もあえなく消えてしまうわけです。
姜さんは熊本生まれ。両親も韓国の人。戦前から日本で仕事してるんだけど、戦後、養豚やヤミのどぶろく作りで生計を立てていた。そのくらいしか働くすべはなかった。
ある時、税務署の一斉摘発で、姜さんの粗末な小屋めがけてトラックが押し寄せてきた。神経質で繊細な母親が阿鼻叫喚。官憲への怒りをあらわに投石し、膝から崩れ落ち、こぶしで胸を叩きながら泣き崩れていたことを、子供心にも覚えていた、といいます。
母親は日本語が読めない。だから、だまされたりバカにされたりした。
父親は少し日本語ができた。自動車免許を猛勉強の結果、2度目になんとか合格。その父親が本を読め、と姜さんに勧めたようですな。
住んでいたのは、熊本大学のキャンパスが一望できる立田山のふもと。猫の額ほどの土地に「永野商店」の看板をかかげた。
参考までに、この立田山は夏目漱石の『三四郎』にも登場します。いま、姜さんがNHKで「夏目漱石と作品」をシリーズで講義してますけど、漱石が一貫してテーマにしていた「自我の目覚め」だけではなく、こんな縁がベースにはあったんですな。
姜さんの恩師は藤原保信先生。この先生はよぉく覚えてます。私が最初に講義を受けたのもこの先生。その後、東洋経済新報社に立ち寄られたときには、会社のレストラン(というか飲み屋。昼から飲める)でご一緒したこともありました。
58歳という若さで亡くならるけど、話すのも歩くのも食べるのも早い。早稲田も新聞奨学生の二部学生として苦学され、その後、若くして教授になられた人でした。
この先生が研究上で袋小路にいた姜さんをドイツのエアランゲン大学に留学することを勧めたんですね。
本書は、姜さんにとって自伝のようなものでしょう。余命2〜3年といわれた母親を前に、生きているうちに遠い過去の記憶を拾い集め、書き留めておきたいと考えられてもなんら不思議ではありません。
NHKの番組の中で、初恋の人がいまどうしているか会ってみたいと話すと、スタッフが探してくれた。けど、彼女は19債の時に交通事故で亡くなっていたんですね。
本書にはひと言も書かれていないけど・・・。300円高。