2008年08月04日「官僚との死闘七〇〇日」 長谷川幸洋著 講談社 1785円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 日本の政治家のレベルが低いことは、もはや定評のあるところだが、「内閣」の政策を遂行する事務方連中=「霞ヶ関」がここまでインチキばかりしていたとは!
 政治家も嘗められたものですなぁ。

 サボタージュ、嫌がらせ、面従腹背はいうに及ばず、大臣の政策ペーパーの書き換え、大臣・記者に配布するペーパーとホームページの変更、大臣への情報操作、騙し、官邸と党幹部との分断工作、都合の悪い政府委員への妨害工作、スキャンダルのでっちあげ、マスコミ操作。
 なんといっても、経済官僚の経済学に関する致命的な無知。
 
 彼らは官僚ではなく、たぶん保身第一の「宦官」といったところがいちばん近いのではなかろうか。

 優秀な大学を出てはいるけれども、すべては「エゴ」のため。その頭脳を国民のために活用しようとは考えない。国交省、厚労省、社保庁の動きを見ればおわかりの通り、省益あって国益なく、省益のためなら内閣を吹っ飛ばしても平気な「疑似自爆テロ集団」ではないか。

 著者はその「宦官」の代表を実名で「告発」。いずれ財務省出身の事務方だ。名前を覚えておきたい。官房副長官の的場順三さん、同じく副長官補の坂篤郎さん。ほかに現役の財務省の役人がオンパレードだけど、とにかくこの2人の暗躍が際だっている。というのも、彼らは権力の中枢に巣くう「官邸内抵抗勢力」だったからだろうな。

 日本の不幸は、政治家が官僚にバカにされてること。なんの重量感もないことが本書を読めばよくわかる。みえみえの姑息な動きが大物政治家を巻き込んでいかに内閣の政策をゆがめ、ミスリードしてきたかが克明に描かれている。
 
 清朝でも「宦官」は姑息なおしゃべりだった。口車は宦官の得意技と決まっている。
 ところが、彼らの口車に乗って動く「政治家」も少なくないのだ。政治家になっても、出身官庁のほうを見て仕事をしている政治家たち=「過去官僚」と呼ばれる連中だ。

 著者は彼らも実名でどんなことをやってきたのか、具体的に紹介している。読んで驚いた、いや、唖然とした。

 たとえば、公務員制度改革や独立行政法人改革で苦労している渡辺喜美金融相兼行革相を、本来、内閣の中枢として支援すべき官房長官自らが、「宦官」の口車に乗って逆にことごとく足を引っ張ってきた。
 その官房長官が今回の改造内閣でも留任とは。
 
 「官邸内抵抗勢力」ど真ん中の彼に代わって、安部首相、福田首相、そして渡辺大臣を叱咤激励してきたのは中川秀直幹事長(当時)なのだ。

 福田さんが頼りにするのは官房長官の町村さんではなく中川さん。不仲と言われるにもかかわらず、今回も官房長官に据えた理由は、派閥に戻ってはいらぬ波風が立つから留任させたまで。町村派は、すでに実質的には中川派なのだ。

 首相と幹事長のみが応援団。一時は廃案にもなりかけた公務員制度改革だが、宦官とそのコントロール下にある与党政治家たちの反対を押し切って、野党が全面賛成に急遽回って成立。渡辺大臣が泣くはずである。

 官僚機構の中心ため財務省が狙うことはなにか? 美味しい仕組みの温存である。では、この美味しい仕組みを温存するために必要なことは何か? 増税である。税収増ではない。増税なのだ。

 やっぱりそういうことか・・・。税収が増えれば増税する必要はなくなる。だが、それでは財務省は困る。だから、経産省を巻き込んで使ってしまえ、と腹を合わせる。
 税収が増えれば、その分、赤字財政をカバーするチャンスにもかかわらず、財務省はそう考えない。なぜか?
 
 財務省主税局の幹部が種明かしをする。
 「財務省の主流は主計局です。主計局は国会議員を前に床柱を背に、そんなに予算が欲しければこれだけつけてあげますよ、ともったいぶって話す。こうするためには、財布はいつもいっぱいにしておきたいから常に増税のチャンスを伺っている」
 「それに対して、主税局は国会議員に平身低頭して、お金がないので予算が作れない。増税を認めてください、と頭を下げて回る立場です。そんなつらい仕事をするより、まず主計局が歳出をカットしたらどうだ?とわれわれは訴えているんです」
 「はっきりいって、世の中を悪くしてきてのは主計局ですよ」

 著者が本書を書く動機になったのは2つある。本人は1つとしか言ってないが、2つだ。

 1つは、著者が指摘するように「記者は山羊だ」という実感への反駁としてだ。著者自身、中日新聞の論説委員である。霞が関とマスコミとの不可分の関係を熟知している。
 新聞記者はみな各省が用意する記者クラブに所属するが、それは情報源を官僚に押さえられていることを意味する。官僚に嫌われたら「特オチ」も少なくない。こうなると、記事をとるために知らず知らずのうちに官僚におもねることになる。
 
 「なにかといえば、紙、紙、紙だ。紙(記事になるネタ)をくれと騒ぐ記者たちはまるで山羊だな。トイレじゃあるまいし」

 こう言ったのは、財務省の高橋洋一さんだ。東大数学科、経済学部出身の変わり種。竹中平蔵大臣の懐刀であり、安部内閣の陰のキーマン。財務省から蛇蝎のごとく嫌われて、「真昼のワンマンオフィス」に閉じこめられた男・・・というより、『さらば、財務省』の著者といったほうがわかりやすいか。
  
 そして、私が2つ目だと考えるのは、この高橋さんの弔い合戦というモチベーションだ。

 財務省が高橋さんを目の敵にするのは、財務省の嘘と欺瞞をデータと論理力で証明する人間だからである。財務省の隠し資金=「埋蔵金」問題をすっぱ抜いたのも彼だ。
 ひょんな縁で、著者は高橋さんと知り合う。財務官僚らしくないあけすけで素直、正直な性格に気が合う。政策通のアイデアマンであることに舌を巻いた。

 面白いことに、この「埋蔵金」を最後まで「ない」と言い張ったのは与謝野馨・経済財政大臣(当時)である。後に伊吹文明幹事長(当時)もしぶしぶ認め、「形勢不利」と態度を一転、与謝野さんのハシゴを外した財務省は、福田首相に埋蔵金取り崩しを指示された。
 にもかかわらず、与謝野さんは「埋蔵金はやっぱりない!」という報告書をとりまとめるしつこさだ。報告書はもちろん、財務省の手によるものだろうが、まとめた政治家は林芳正参院議員と後藤茂之衆院議員の2人。
 
 不必要な時期に不必要な騒ぎをわざわざ画策した財務省の狙いはなにか?
 中川秀直幹事長は行財政改革派で増税大反対。虎視眈々と増税を狙う財務省は、中川さんと与謝野さんを対立させて、福田内閣を弱体化させ、崩壊に導くというシナリオを描いた、と著者はみる。
 政権が崩壊したら審議中の法案も吹っ飛んでしまう。そうすれば、自分たちに都合の悪い法案は流産となるからだ。省益のためなら内閣など鴻毛よりも軽いと考えているのだろう。

 財務省も危険視するほどの「増税原理主義者」である与謝野さんを焚き付けて、「埋蔵金」騒ぎを再燃させた深謀遠慮に気づいた中川幹事長は黙ってやりすごす賢明な選択。
 「正直じいさんが掘れば、お金が出ることもありますよ」

 自民党内の抵抗勢力は小泉時代にあぶり出されたが、それは「郵政民営化反対!」といった狭いレベルのものだった。安部内閣、福田内閣にリレーされている「抵抗勢力」はそんなもんじゃない。「官僚機構」という、ゆりかごから墓場までリッチで美味しい権益構造なのだ。

 この仕組みを打破しよう、という禁断の木の実をとろうとして安部内閣は倒れた。なにしろ、安部さんが辞意を述べたのは、懐刀の高橋さんが新任の官房長官となった与謝野さんによって財務省からとばされた翌日なのだ。

 安部さんがOKし、中川幹事長が直接連絡し、渡辺金融相兼行革相のところで働くという人事にもかかわらず、財務省はその「指示」を無視して、財務省で飼い殺し。結果、高橋さんは財務省を辞職。著者も出版し、野党からもレクチャーを依頼されるなど、引っ張りだこの毎日だから、辞めて正解。

 注目すべきは、この国の総理と与党の幹事長という権力をもってしても、官僚機構という泥沼の中で仕事を進めることは難しい、という事実である。

 抜群の人気を誇った小泉内閣以後、安部、福田と日本の舵取りを担う内閣がいろんな政策を展開してきた。郵政民営化、道路公団改革、年金問題、社保庁改革、公務員制度改革いろんな改革は父として この国には「抵抗勢力」が厳然としてある。

 何度も言うが、本書にはその「財務省応援団=抵抗勢力」が実名で登場する。びっくり。いや、唖然とした。町村信孝さん(通産省出身)、伊吹文明(大蔵省出身)さんなど、福田改造内閣にずらり勢揃いである。

 あちらを立てればこちらが立たず。苦労して組閣したなとつくづく感じる。おそらく中川秀直さんには入閣を断られたはずだ。官邸と党に分かれて、賞味期限切れの官僚制度をぶち壊すなら、国民は拍手喝采だ。
 今回の改造で、だれが抵抗勢力か、だれが改革派なのかを旗幟鮮明とさせたらいい。そして、解散すればいい。民主党に政権をとらせてもいい。
 民主党とて、党内に官公労を抱えた「抵抗勢力」がある。逆ねじれ現象でにっちもさっちもいかなくなったら、自民党内改革派と民主党内改革派が大同連立すればいい。敵は本能寺ではなく霞が関にあり、だ。

 「戦場ルポのつもりで書いた」と著者はいうけれども、これは「檄文」である。憂国の書だな。この夏の必読。選挙前に読んでおきたい。400円高。