2008年08月03日「トキワ荘の青春」
カテゴリー中島孝志の不良映画日記」
赤塚不二夫さんがお亡くなりになりました。子供の頃から大ファンでした。
最初に出会ったのは「おそ松くん」。チビ太じゃないけど、おでん風呂に入る夢をよく見ましたよ(テヘヘ)。
爆発的に好きになったのは「天才バカボン」。やっぱねぇ。ギャグの塊だもの。ナンセンスほどセンスが求められるものってないよね。あれ、ナンセンスの塊。いまのお笑い芸人が束になってもかなわない天才ですな。
まさか、この赤塚さんに会えるとは、当時、小学生の私は思いもしませんでしたね。
ホテルオークラの副社長に橋本さん(ホテル観光協会会長・故人)という方がいらしてね。この方に20代から可愛がってもらってたのね。
26歳の時から道楽で経営者やビジネスパースンの勉強会を仕掛けてたのと、生意気だったからね。それも含めて、「昔のオレによく似てる」というわけでしょう(余談だけど、20代って尖ってるほうがいいと思うね)。
私の勉強会でもスピーチとか乾杯の音頭はいつも橋本さん。「人脈作り」に長けてて、この手の本はたくさん執筆されてました。
私のことはいつも「タカシちゃん」と呼んでましてね。ホテルでお客として会ったり、勉強会とか、ちょっとした公の前では「中島さん」と使い分けてましたね。
私の処女作の出版パーティをホテルオークラでできたのも橋本さんのおかげ。お金ないからとんでもない金額でやって貰ったのよ、実は。
橋本さんが最初から最後まできっちり仕切ってくれて、お開きの宣言とオークラからの御礼で締めてくれました。
この橋本さんが自宅で「毛蟹パーティ」をやるんですよ。別に毛蟹料理が出てくるわけじゃなくて、橋本さん、めちゃくちゃ毛深いのよ。ついたあだ名が「毛蟹」というわけ。
で、宴たけなわという時、「タカシちゃん、バカボン来たよ!」。
嬉しかったですねえ。予想してなかったもの。聞いてなかったもの。サプライズ。
「なんて恥ずかしがり屋なんだろう」というのが第1印象。みながカラオケ歌ってたら、「ボク、歌わない」「絶対歌わない」とかたくななのね。
小さな声で「みんなうまいから」「ボクの歌なんて聞いてくれない」だって。橋本さんがおだててなんとか歌ってくれました。「天才バカボン」の主題歌を本人が歌うだからバカ受けだよね。
さて、そんな赤塚さんの「ギリギリの時代」が描かれてるのがこの映画。
07年10月1日にこのサイトで紹介したけど、赤塚さんの訃報を聞いて、もう1度、映画(VHSビデオ)観てみたんです。おっぱ、これ、名作だわ。
昔、映画館で観たときはそんなにいいとは思わなかったのよ。セリフが少なくて、「ずいぶん、おとなしい映画だな。おいおい、こんな映画、ありなの?」と思ったもの。
やっぱ、とってもとっても静かな映画。1秒が3秒くらいに流れる時空間。
いきなり、服部良一メロディ。気づいてみたら、昭和30年に連れてかれてた。「Always三丁目の夕日」の少し前かな。日本も日本人も焼け跡で今日食べるものにも懸命。けど、明日は今日よりきっと良くなってるという、なんかわかんない確信があってさ。そんな時代。
こんなリズムと音楽はいまじゃ聞かないね。それが好きなんやねぇ、市川準という監督は。
オープニングもラストも「胸の振子」。これ、好きです。「私のいちばん好きな歌」でも紹介したと思う。
私が持ってるのは石原裕次郎のCD版「胸の振子」。服部良一作曲だから、ジャズにアレンジしてもいいし、シャンソン風に歌ってもいいと思う(参考までに、裕次郎はシャンソン風に歌ってます)。
たしかに名曲。自慢じゃないけど、この曲だけでもCD3枚持ってまっせ。元々は霧島昇さんの歌。あの鼻声の歌手ですね。私ゃ小学生の頃からの懐メロファンだからね。この世代の歌手についてはめちゃ詳しいの。テレビチャンピオンに出たいくらい。3日くらい講演できるネタあります。
裕次郎、陽水、EPOもカバーしてますな(そういえば、雪村いずみさんも歌ってたけどこれはミスだね)。やっぱ、裕次郎か陽水? あるいは、アン・サリー?(これもCD持ってます)
どことなくアンニュイでけだるくてさ。平野愛子さんの「港の見える丘」「君待てども」のテイスト。だから、「お元気ですかぁ?」の陽水にはぴったしなんだなぁ。参考までに「港の見える丘」もBGMね。
手塚治虫さんがいうように、まさしく梁山泊。
トキワ荘ちゅうのんは西武池袋線の椎名町にあったアパートね。1952〜1982年にかけて実在したの。学童社という漫画系の出版社が漫画家の多くをこのアパートへ入居させてたわけ。漫画家が1カ所に集まってたら、こりゃ漫画取りに来るのも楽だもの。
あの手塚治虫も2年間住んでました。
で、憧れの手塚先生のそばで仕事がしたい漫画家がどんどん集まってきた。たとえば、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二夫(藤本弘+安孫子素雄)とかね。つげ義春やつのだじろうもよく顔を出してたのよ。
この中で世話役というか、みなのまとめ役として存在したのが寺田ヒロオ。演ずるのは、もっくん(本木雅弘)ね。この人が主役です。
それにしても、似てる役者、集めてきたなぁ。これじゃ、NHKのドキュメント番組と変わらないじゃん。安孫子素雄なんてくりくりくりそ。赤塚不二夫はバラケツ(瀬戸内少年野球団)じゃんか。若き日の阿部サダヲとか古田新太とかも出てます。
寺田ヒロオは電電公社でノンプロの投手として鳴らしたんだけど、漫画家になりたくて上京したわけ。
当時、まだ22歳。だけど、周囲は漫画オタクだから、漫画以外の世事には疎い。お金がなくなっては、彼のところに電車賃を借りに来たり飯を食べに来たり・・・。で、仲間が集まれば、漫画の話。つまみはキャベツ。
「いつかは手塚治虫になる!」という夢を抱いてるんだけど、芽が出ずに挫折する人、方向を変える人、しがみつく人・・・いろいろよ。
映画の主人公たる寺田にしてもそうだった。
不安と自信、また不安、そして焦り。空回り。絶望感。みなと一緒にいるのに猛烈な孤独感。おいてけぼりをくらったようなね。
才能を開花させるには、1人で考えてちゃいかんのだろうな。
アドバイスをもらう。売れてる人を観察する。動く。勉強する。人と会う。どんな仕事でもいいからやってみる・・・。
これ、私の持論なんだけど、個性ちゅうのは案外、本人にはわからんもんなのよ。岡目八目で他人のほうがよくわかってる。だから、たまに目利きに確かめなくちゃいかんのよ。
そんな目利き、近くにいない? なら、原理原則研究会にいらっしゃいな。私が見てあげるわな。
赤塚不二夫さんが売れなくてねぇ。売れて忙しい仲間の仕事の手伝いばかりしてるのよ。で、悩んで寺田さんのとこに相談するわけ。
「アイデアを1つに押し込んでる。ボクなら5つに分ける」
これ、的確なアドバイスです。寺田さんは赤塚さんにお金を貸して、たらふく食べてこいって。泣けちゃうよね。
飯が食えないと辛くなるんだよ。お腹いっぱいだと、あんなにあった悩みも少しは小さくなる。寺田ヒロオはこうやって、みなの悩みの聞き役だった・・・自分の悩みはどうすんだ?
「寺さん、古いんだよ。たかが漫画だよ、漫画」
一本気でね、漫画の中に勇気とか元気とか努力とか、そういうものを吹き込みたいと意識してるのが寺田ヒロオなのね。でも、これ、ある意味、自縄自縛になりますな。
石森が売れます。どんどん売れる。藤子不二夫も売れます。赤塚は相変わらず売れない。
前に、赤塚不二夫さんの本を紹介したよね? もうやめようと荷物をまとめてたら、つげ義春さんからアドバイスされて思いとどまったって。
「オレなんか、漫画で家族食わせてるんだ。おまえ、昔みたいに1社1社回ってみろよ」
つげさんから励まされて、赤塚さんはその気になるんだよ。
担当編集者が石森さんの漫画を見て笑ってると、「赤塚は、こういうの描かせたらボクよりずっと巧いよ」
「ホント? 赤塚君、こういうの描けるんだ」
それが縁で好きなギャグを描かせてもらう。一発で読者を惹きつけちゃう。以来、ヒット街道をばく進します。昨日までやめようとしてた人間が今日から「スター」になってた。
絶望的なピンチの時って、もしかするとものすごいチャンスに遭遇する直前なのかもしれませんな。天中殺が開けた、みたいにね。けど、そんな縁は自ら動かないと遭遇できんわな。
縁に恵まれなくて筆を折ってトキワ荘をそっと出て行く人間もたくさんいたんだよ・・・寺田ヒロオもその1人でした。
で、ラストにまた「胸の振子」・・・切ないねえ。
胸の振子
♪柳にツバメは あなたにわたし
胸の振子が 鳴る鳴る
朝から今日も
何も言わずに ふたりきりで
空を眺めりゃ 何か燃えて
柳にツバメは あなたにわたし
胸の振子が 鳴る鳴る
朝から今日も♪
この時、寺田ヒロオはまだ20代そこそこですよ。普通なら、これから夢を見る世代。切なすぎて、哀しすぎて、たまらなくなりますね。
けっ、他人に同情なんかされたくないね。また違う夢を見るだけのことよ。こちとら若いんだぜ。ざけんな、って。
夢を食べて生きる貘たちの映画。赤塚さんも夢、たくさん食べてたんだろうなぁ。
ご冥福をお祈りします。合掌。
最初に出会ったのは「おそ松くん」。チビ太じゃないけど、おでん風呂に入る夢をよく見ましたよ(テヘヘ)。
爆発的に好きになったのは「天才バカボン」。やっぱねぇ。ギャグの塊だもの。ナンセンスほどセンスが求められるものってないよね。あれ、ナンセンスの塊。いまのお笑い芸人が束になってもかなわない天才ですな。
まさか、この赤塚さんに会えるとは、当時、小学生の私は思いもしませんでしたね。
ホテルオークラの副社長に橋本さん(ホテル観光協会会長・故人)という方がいらしてね。この方に20代から可愛がってもらってたのね。
26歳の時から道楽で経営者やビジネスパースンの勉強会を仕掛けてたのと、生意気だったからね。それも含めて、「昔のオレによく似てる」というわけでしょう(余談だけど、20代って尖ってるほうがいいと思うね)。
私の勉強会でもスピーチとか乾杯の音頭はいつも橋本さん。「人脈作り」に長けてて、この手の本はたくさん執筆されてました。
私のことはいつも「タカシちゃん」と呼んでましてね。ホテルでお客として会ったり、勉強会とか、ちょっとした公の前では「中島さん」と使い分けてましたね。
私の処女作の出版パーティをホテルオークラでできたのも橋本さんのおかげ。お金ないからとんでもない金額でやって貰ったのよ、実は。
橋本さんが最初から最後まできっちり仕切ってくれて、お開きの宣言とオークラからの御礼で締めてくれました。
この橋本さんが自宅で「毛蟹パーティ」をやるんですよ。別に毛蟹料理が出てくるわけじゃなくて、橋本さん、めちゃくちゃ毛深いのよ。ついたあだ名が「毛蟹」というわけ。
で、宴たけなわという時、「タカシちゃん、バカボン来たよ!」。
嬉しかったですねえ。予想してなかったもの。聞いてなかったもの。サプライズ。
「なんて恥ずかしがり屋なんだろう」というのが第1印象。みながカラオケ歌ってたら、「ボク、歌わない」「絶対歌わない」とかたくななのね。
小さな声で「みんなうまいから」「ボクの歌なんて聞いてくれない」だって。橋本さんがおだててなんとか歌ってくれました。「天才バカボン」の主題歌を本人が歌うだからバカ受けだよね。
さて、そんな赤塚さんの「ギリギリの時代」が描かれてるのがこの映画。
07年10月1日にこのサイトで紹介したけど、赤塚さんの訃報を聞いて、もう1度、映画(VHSビデオ)観てみたんです。おっぱ、これ、名作だわ。
昔、映画館で観たときはそんなにいいとは思わなかったのよ。セリフが少なくて、「ずいぶん、おとなしい映画だな。おいおい、こんな映画、ありなの?」と思ったもの。
やっぱ、とってもとっても静かな映画。1秒が3秒くらいに流れる時空間。
いきなり、服部良一メロディ。気づいてみたら、昭和30年に連れてかれてた。「Always三丁目の夕日」の少し前かな。日本も日本人も焼け跡で今日食べるものにも懸命。けど、明日は今日よりきっと良くなってるという、なんかわかんない確信があってさ。そんな時代。
こんなリズムと音楽はいまじゃ聞かないね。それが好きなんやねぇ、市川準という監督は。
オープニングもラストも「胸の振子」。これ、好きです。「私のいちばん好きな歌」でも紹介したと思う。
私が持ってるのは石原裕次郎のCD版「胸の振子」。服部良一作曲だから、ジャズにアレンジしてもいいし、シャンソン風に歌ってもいいと思う(参考までに、裕次郎はシャンソン風に歌ってます)。
たしかに名曲。自慢じゃないけど、この曲だけでもCD3枚持ってまっせ。元々は霧島昇さんの歌。あの鼻声の歌手ですね。私ゃ小学生の頃からの懐メロファンだからね。この世代の歌手についてはめちゃ詳しいの。テレビチャンピオンに出たいくらい。3日くらい講演できるネタあります。
裕次郎、陽水、EPOもカバーしてますな(そういえば、雪村いずみさんも歌ってたけどこれはミスだね)。やっぱ、裕次郎か陽水? あるいは、アン・サリー?(これもCD持ってます)
どことなくアンニュイでけだるくてさ。平野愛子さんの「港の見える丘」「君待てども」のテイスト。だから、「お元気ですかぁ?」の陽水にはぴったしなんだなぁ。参考までに「港の見える丘」もBGMね。
手塚治虫さんがいうように、まさしく梁山泊。
トキワ荘ちゅうのんは西武池袋線の椎名町にあったアパートね。1952〜1982年にかけて実在したの。学童社という漫画系の出版社が漫画家の多くをこのアパートへ入居させてたわけ。漫画家が1カ所に集まってたら、こりゃ漫画取りに来るのも楽だもの。
あの手塚治虫も2年間住んでました。
で、憧れの手塚先生のそばで仕事がしたい漫画家がどんどん集まってきた。たとえば、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二夫(藤本弘+安孫子素雄)とかね。つげ義春やつのだじろうもよく顔を出してたのよ。
この中で世話役というか、みなのまとめ役として存在したのが寺田ヒロオ。演ずるのは、もっくん(本木雅弘)ね。この人が主役です。
それにしても、似てる役者、集めてきたなぁ。これじゃ、NHKのドキュメント番組と変わらないじゃん。安孫子素雄なんてくりくりくりそ。赤塚不二夫はバラケツ(瀬戸内少年野球団)じゃんか。若き日の阿部サダヲとか古田新太とかも出てます。
寺田ヒロオは電電公社でノンプロの投手として鳴らしたんだけど、漫画家になりたくて上京したわけ。
当時、まだ22歳。だけど、周囲は漫画オタクだから、漫画以外の世事には疎い。お金がなくなっては、彼のところに電車賃を借りに来たり飯を食べに来たり・・・。で、仲間が集まれば、漫画の話。つまみはキャベツ。
「いつかは手塚治虫になる!」という夢を抱いてるんだけど、芽が出ずに挫折する人、方向を変える人、しがみつく人・・・いろいろよ。
映画の主人公たる寺田にしてもそうだった。
不安と自信、また不安、そして焦り。空回り。絶望感。みなと一緒にいるのに猛烈な孤独感。おいてけぼりをくらったようなね。
才能を開花させるには、1人で考えてちゃいかんのだろうな。
アドバイスをもらう。売れてる人を観察する。動く。勉強する。人と会う。どんな仕事でもいいからやってみる・・・。
これ、私の持論なんだけど、個性ちゅうのは案外、本人にはわからんもんなのよ。岡目八目で他人のほうがよくわかってる。だから、たまに目利きに確かめなくちゃいかんのよ。
そんな目利き、近くにいない? なら、原理原則研究会にいらっしゃいな。私が見てあげるわな。
赤塚不二夫さんが売れなくてねぇ。売れて忙しい仲間の仕事の手伝いばかりしてるのよ。で、悩んで寺田さんのとこに相談するわけ。
「アイデアを1つに押し込んでる。ボクなら5つに分ける」
これ、的確なアドバイスです。寺田さんは赤塚さんにお金を貸して、たらふく食べてこいって。泣けちゃうよね。
飯が食えないと辛くなるんだよ。お腹いっぱいだと、あんなにあった悩みも少しは小さくなる。寺田ヒロオはこうやって、みなの悩みの聞き役だった・・・自分の悩みはどうすんだ?
「寺さん、古いんだよ。たかが漫画だよ、漫画」
一本気でね、漫画の中に勇気とか元気とか努力とか、そういうものを吹き込みたいと意識してるのが寺田ヒロオなのね。でも、これ、ある意味、自縄自縛になりますな。
石森が売れます。どんどん売れる。藤子不二夫も売れます。赤塚は相変わらず売れない。
前に、赤塚不二夫さんの本を紹介したよね? もうやめようと荷物をまとめてたら、つげ義春さんからアドバイスされて思いとどまったって。
「オレなんか、漫画で家族食わせてるんだ。おまえ、昔みたいに1社1社回ってみろよ」
つげさんから励まされて、赤塚さんはその気になるんだよ。
担当編集者が石森さんの漫画を見て笑ってると、「赤塚は、こういうの描かせたらボクよりずっと巧いよ」
「ホント? 赤塚君、こういうの描けるんだ」
それが縁で好きなギャグを描かせてもらう。一発で読者を惹きつけちゃう。以来、ヒット街道をばく進します。昨日までやめようとしてた人間が今日から「スター」になってた。
絶望的なピンチの時って、もしかするとものすごいチャンスに遭遇する直前なのかもしれませんな。天中殺が開けた、みたいにね。けど、そんな縁は自ら動かないと遭遇できんわな。
縁に恵まれなくて筆を折ってトキワ荘をそっと出て行く人間もたくさんいたんだよ・・・寺田ヒロオもその1人でした。
で、ラストにまた「胸の振子」・・・切ないねえ。
胸の振子
♪柳にツバメは あなたにわたし
胸の振子が 鳴る鳴る
朝から今日も
何も言わずに ふたりきりで
空を眺めりゃ 何か燃えて
柳にツバメは あなたにわたし
胸の振子が 鳴る鳴る
朝から今日も♪
この時、寺田ヒロオはまだ20代そこそこですよ。普通なら、これから夢を見る世代。切なすぎて、哀しすぎて、たまらなくなりますね。
けっ、他人に同情なんかされたくないね。また違う夢を見るだけのことよ。こちとら若いんだぜ。ざけんな、って。
夢を食べて生きる貘たちの映画。赤塚さんも夢、たくさん食べてたんだろうなぁ。
ご冥福をお祈りします。合掌。