2008年08月14日夏休みの特別読書道場!「樅ノ木は残った」 山本周五郎著 新潮社 600円
北京五輪で、比較的の地味な選手たちが続々とメダリストに輝いてますね。200メートル男子バタフライ松田選手の銅メダル。「自分色のメダルです」という言葉は謙虚でとっても感動しました。フェンシングの銀メダルも快挙。「これで競技に関心を持ってもらえれば」と願う選手の気持ちもよくわかります。
ブームやトレンドを作るのに手っ取り早い方法は、ヒーロー、ヒロインを作ることなんですね。
これは昔からそうでした。バレーボールは「アタックナンバーワン」からでしたし、サッカーは「若き血のイレブン」という漫画からでした。荒川静香さんの金メダルから全国的に下火になっていたフィギュア・スケートもブームになりましたよね。
「スター」の有無。それがそのスポーツや業界を左右します。
さて、今回も山本周五郎作品。山本周五郎といえば、これですね。
悪役として、あえて汚名を残すことで仙台62万石の大藩を救ったヒーローの物語なのかもしれません。
「寛文事件」として有名な仙台の伊達騒動。藩がまっ二つに割れて、幼い藩主の毒殺事件まで発生した大事件でした。その中心に原田甲斐という人物がいました。
歴史では「逆臣」として片付けられ一族郎党は死罪となっています。
しかし、その甲斐を慕って、あえて法を破ってまで法要を続ける家臣、領民がいました。しかも、この法要は現代も続いているのです。
なぜか? たんなる逆臣にそこまでこだわるか? 山本周五郎は身を捨てて藩を浮かばせた甲斐に温かい眼差しを向けています。
寛文事件が起きたのは、徳川でいえば4代将軍家綱の時代ですね。この人の次があの犬公方綱吉です。
幕府は外様大名を信用しない。できる限り力を削ぎたい。できれば、潰したい。つまり、政策として「外様大名お取りつぶし」という野心がありました。
同時に、外様大名の家臣の中には藩が取りつぶされたとしても、自分の領地が安寧であれば良し。増えればさらに良し。こう考える者がいても不思議ではありません。
一所懸命、本領安堵が封建制度のよってたつところですからね。所詮、武士道などというものはこんなものです。無理もありません。
武士道というのは、「武士」がいなくなってから、ああだこうだとこねくり回されて作られた「理想」ですね。実態からかけ離れれば離れるほど美学としては完成される、という理念的なものに過ぎません。
そういう意味で、最後の武士は元々、百姓だった近藤勇だったのかもしれません。
刀? そんなものは道具だ。武士の魂? ちゃんちゃらおかしい。こう考えるのが戦国時代の「武士」です。美学云々といわれるようになったら平和呆けした証拠。ほとんど茶道や華道と変わりませんな。
さて、幕府と藩の重職の間で利益が合致したわけです。幕府側の大老酒井雅楽頭は62万石を潰したい。仙台藩の家老伊達兵部は3万石を30万石に増やしたい・・・。
このシナリオを阻止しようと、幕府相手に挑んだのが原田甲斐だったのです。
そもそも寛文事件とはどんなものだったのでしょうか。
3代藩主伊達綱宗が遊興放蕩三昧。1660年、幕府の命により21歳で強制隠居。そして2歳の嫡子亀千代(後の伊達綱村)が家督を相続します。
幼い綱村が藩主になると、古狸が後見役にしゃしゃり出るのは世の常ですね。これに所領の対立問題が絡んで藩はまっ二つに割れてしまうのです。
1671年(寛文11年)、このいざこざを解決するために、「おおそれながら」と幕府に訴え出る人間が出てきます。それが伊達兵部と対立する伊達安芸でした。幕府にとっては「お取りつぶし」の格好の理由になりますね。
安芸としては、兵部の無謀には我慢できない。これは出るところに出て白黒をはっきりさせねば領民が可哀想だ、という大義名分がありました。
その行為や良し。しかしマクロに見れば、部分にとらわれ大局観を見失っていますね。「外様大名お取りつぶし」という野心を抱いている幕府相手に、介入の格好の理由を与えるようなものではありませんか。
安芸にしても、本領が安堵されているのは仙台藩あってのこと。藩がなくなってはすべて失う、という判断をしなくてはいけません。領民を泣かせても大局観に就くべきでした。
正義漢がえてして自滅しやすいのはこういう原因があるような気がしますね。
さて、大老酒井雅楽頭は原田甲斐や伊達安芸ら関係者を召喚して評定(裁判)をします。場所は転々として最終的には酒井邸で行うことになります。
その理由は? 史実では原田甲斐はその場で伊達安芸に斬りかかって殺害。原田甲斐も殺されます。そして原田家はお取りつぶし、兵部派は一掃され。兵部は土佐に流されます。
そして、元々、お取りつぶしのターゲットだった仙台藩は生き残ります。
どんな歴史も勝ち残った人間たちのものです。正史とはそういうものです。しかし、山本周五郎の推理は、逆臣原田甲斐のサイドに立っています。
安芸、甲斐など評定に召還された重職を殺したのは、大老その人。なぜなら、甲斐は大老の陰謀を裏づける動かぬ証拠を持っていたからです。
甲斐を逆臣に仕立て上げ、幕府の権威を保つしかない。仙台藩お取りつぶしは延期するしかない。
甲斐は身を捨てて藩を守ったのです。
俳優座の役者、総出演ドラマですね。
私、中学1年の時にNHKのスタジオ見学をしたことがあるんですが、そのときの大河ドラマが「樅ノ木は残った」でした。スタジオにセットがあったんです。まぁ、大きな壁だなあという記憶しかありませんけどね。
平幹二郎、佐藤慶、北王子欣也、栗原小巻、吉永小百合・・・さすがNHK。オールスターキャスト。
「人間というものは一方から好かれれば、一方から憎まれる。好評と悪評は必ずついてまわるものだ、あらゆる人間に好かれ、少しも悪評がないというのは、そいつが奸けつで狡猾という証拠だ」
「石を投げられたら身体で受けよ。火を放たれたら自分の手でもみ消せ。刀で斬られたら傷の手当をせよ。殺されたら、耐え難きを忍んだ心を後の世の若者に伝えよ。人の世は短い。しかし、言い伝えは長く残る」
甲斐が大切にしていた樅ノ木は菩提寺で生き残ります。
ブームやトレンドを作るのに手っ取り早い方法は、ヒーロー、ヒロインを作ることなんですね。
これは昔からそうでした。バレーボールは「アタックナンバーワン」からでしたし、サッカーは「若き血のイレブン」という漫画からでした。荒川静香さんの金メダルから全国的に下火になっていたフィギュア・スケートもブームになりましたよね。
「スター」の有無。それがそのスポーツや業界を左右します。
さて、今回も山本周五郎作品。山本周五郎といえば、これですね。
悪役として、あえて汚名を残すことで仙台62万石の大藩を救ったヒーローの物語なのかもしれません。
「寛文事件」として有名な仙台の伊達騒動。藩がまっ二つに割れて、幼い藩主の毒殺事件まで発生した大事件でした。その中心に原田甲斐という人物がいました。
歴史では「逆臣」として片付けられ一族郎党は死罪となっています。
しかし、その甲斐を慕って、あえて法を破ってまで法要を続ける家臣、領民がいました。しかも、この法要は現代も続いているのです。
なぜか? たんなる逆臣にそこまでこだわるか? 山本周五郎は身を捨てて藩を浮かばせた甲斐に温かい眼差しを向けています。
寛文事件が起きたのは、徳川でいえば4代将軍家綱の時代ですね。この人の次があの犬公方綱吉です。
幕府は外様大名を信用しない。できる限り力を削ぎたい。できれば、潰したい。つまり、政策として「外様大名お取りつぶし」という野心がありました。
同時に、外様大名の家臣の中には藩が取りつぶされたとしても、自分の領地が安寧であれば良し。増えればさらに良し。こう考える者がいても不思議ではありません。
一所懸命、本領安堵が封建制度のよってたつところですからね。所詮、武士道などというものはこんなものです。無理もありません。
武士道というのは、「武士」がいなくなってから、ああだこうだとこねくり回されて作られた「理想」ですね。実態からかけ離れれば離れるほど美学としては完成される、という理念的なものに過ぎません。
そういう意味で、最後の武士は元々、百姓だった近藤勇だったのかもしれません。
刀? そんなものは道具だ。武士の魂? ちゃんちゃらおかしい。こう考えるのが戦国時代の「武士」です。美学云々といわれるようになったら平和呆けした証拠。ほとんど茶道や華道と変わりませんな。
さて、幕府と藩の重職の間で利益が合致したわけです。幕府側の大老酒井雅楽頭は62万石を潰したい。仙台藩の家老伊達兵部は3万石を30万石に増やしたい・・・。
このシナリオを阻止しようと、幕府相手に挑んだのが原田甲斐だったのです。
そもそも寛文事件とはどんなものだったのでしょうか。
3代藩主伊達綱宗が遊興放蕩三昧。1660年、幕府の命により21歳で強制隠居。そして2歳の嫡子亀千代(後の伊達綱村)が家督を相続します。
幼い綱村が藩主になると、古狸が後見役にしゃしゃり出るのは世の常ですね。これに所領の対立問題が絡んで藩はまっ二つに割れてしまうのです。
1671年(寛文11年)、このいざこざを解決するために、「おおそれながら」と幕府に訴え出る人間が出てきます。それが伊達兵部と対立する伊達安芸でした。幕府にとっては「お取りつぶし」の格好の理由になりますね。
安芸としては、兵部の無謀には我慢できない。これは出るところに出て白黒をはっきりさせねば領民が可哀想だ、という大義名分がありました。
その行為や良し。しかしマクロに見れば、部分にとらわれ大局観を見失っていますね。「外様大名お取りつぶし」という野心を抱いている幕府相手に、介入の格好の理由を与えるようなものではありませんか。
安芸にしても、本領が安堵されているのは仙台藩あってのこと。藩がなくなってはすべて失う、という判断をしなくてはいけません。領民を泣かせても大局観に就くべきでした。
正義漢がえてして自滅しやすいのはこういう原因があるような気がしますね。
さて、大老酒井雅楽頭は原田甲斐や伊達安芸ら関係者を召喚して評定(裁判)をします。場所は転々として最終的には酒井邸で行うことになります。
その理由は? 史実では原田甲斐はその場で伊達安芸に斬りかかって殺害。原田甲斐も殺されます。そして原田家はお取りつぶし、兵部派は一掃され。兵部は土佐に流されます。
そして、元々、お取りつぶしのターゲットだった仙台藩は生き残ります。
どんな歴史も勝ち残った人間たちのものです。正史とはそういうものです。しかし、山本周五郎の推理は、逆臣原田甲斐のサイドに立っています。
安芸、甲斐など評定に召還された重職を殺したのは、大老その人。なぜなら、甲斐は大老の陰謀を裏づける動かぬ証拠を持っていたからです。
甲斐を逆臣に仕立て上げ、幕府の権威を保つしかない。仙台藩お取りつぶしは延期するしかない。
甲斐は身を捨てて藩を守ったのです。
俳優座の役者、総出演ドラマですね。
私、中学1年の時にNHKのスタジオ見学をしたことがあるんですが、そのときの大河ドラマが「樅ノ木は残った」でした。スタジオにセットがあったんです。まぁ、大きな壁だなあという記憶しかありませんけどね。
平幹二郎、佐藤慶、北王子欣也、栗原小巻、吉永小百合・・・さすがNHK。オールスターキャスト。
「人間というものは一方から好かれれば、一方から憎まれる。好評と悪評は必ずついてまわるものだ、あらゆる人間に好かれ、少しも悪評がないというのは、そいつが奸けつで狡猾という証拠だ」
「石を投げられたら身体で受けよ。火を放たれたら自分の手でもみ消せ。刀で斬られたら傷の手当をせよ。殺されたら、耐え難きを忍んだ心を後の世の若者に伝えよ。人の世は短い。しかし、言い伝えは長く残る」
甲斐が大切にしていた樅ノ木は菩提寺で生き残ります。