2008年11月11日「小さな人生論」 藤尾秀昭編著 致知出版 1050円
20年以上前に購読してた雑誌に「致知」があります。当時から藤尾さんが編集長やってましてね。その後、チサングループのオーナーでもあった主宰者が逮捕されて、彼が社長兼編集長になったのかな。
当時、血気盛んで怖いもの知らず。「こんなインチキな人間が発行してる雑誌なんて読めるか!」と年契約中止。
そしたら、一読者に過ぎない私のとこに藤尾さんから丁寧な詫び状が届きました。
縁というのは不思議なものですな。ホテルオークラの副社長してた橋本さんから、「家でパーティするからおいで。マスコミの人たちばかりだから」とお誘い。行ってみると、藤尾さんがいたの。赤塚不二夫さんもいたなあ。
それが初対面。以来、たまに遭遇するとお話をさせてもらっていました。
「中島さん、本読んだよ。面白くて新幹線で読破しちゃった」
長髪をなびかせ、いつも明るい声でこの駆け出しを励ましてくれたものです。一見、小難しい顔してるんだけど温かい人でね。だから、財界の方々に人気があるんだと思う。
忘れちゃったのかもしれないけど、あの頃の非礼には一切触れず終い。
さて、「小さな人生論」というのはこの「致知」に連載されたものから佳品を抜粋したものなのね。
で、私の誕生日に本と下記の原稿をわざわざ送ってくれた人がいるのよ。「ああ、いいな。そう、この本で紹介されてるんだ。じゃ読んでみようかな・・・」というわけです。
ちと長いけど、手間は取らせませんので少しおつきあいくださいませ。
タイトルは「縁をを生かす」というもの。
その先生が五年生の担任になったとき、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
あるとき、少年の一年生からの記録が目にとまった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。ほかの子の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」。三年生後半の記録には「母親が死亡。希望を失い悲しんでいる」とあり、四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。
胸に激しい痛みが走った。だめだと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現われてきたのだ。目を開かれた瞬間であった。
放課後、少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強をしていかない? わからないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔を見せた。それから毎日、少年は自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手を挙げたとき、大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。後で開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
その一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で一人本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い! 今日は素敵なクリスマスだ」
六年生では少年の担任ではなくなったが、卒業の時、少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まであった中で一番素晴らしい先生でした」
それから六年。カードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」
十年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記されこう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任してくださった先生です」
そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と一行書き添えられていた。
縁とは不思議なものですな。霊妙なものですな。人智では計り知れない力があるものですな。この力に包まれたとき、人は自然と心を開くようになるのかもしれませんな。
この佳品を紹介してくれた人にも、そして藤尾さんにも感謝やね。ありがとうございます。
当時、血気盛んで怖いもの知らず。「こんなインチキな人間が発行してる雑誌なんて読めるか!」と年契約中止。
そしたら、一読者に過ぎない私のとこに藤尾さんから丁寧な詫び状が届きました。
縁というのは不思議なものですな。ホテルオークラの副社長してた橋本さんから、「家でパーティするからおいで。マスコミの人たちばかりだから」とお誘い。行ってみると、藤尾さんがいたの。赤塚不二夫さんもいたなあ。
それが初対面。以来、たまに遭遇するとお話をさせてもらっていました。
「中島さん、本読んだよ。面白くて新幹線で読破しちゃった」
長髪をなびかせ、いつも明るい声でこの駆け出しを励ましてくれたものです。一見、小難しい顔してるんだけど温かい人でね。だから、財界の方々に人気があるんだと思う。
忘れちゃったのかもしれないけど、あの頃の非礼には一切触れず終い。
さて、「小さな人生論」というのはこの「致知」に連載されたものから佳品を抜粋したものなのね。
で、私の誕生日に本と下記の原稿をわざわざ送ってくれた人がいるのよ。「ああ、いいな。そう、この本で紹介されてるんだ。じゃ読んでみようかな・・・」というわけです。
ちと長いけど、手間は取らせませんので少しおつきあいくださいませ。
タイトルは「縁をを生かす」というもの。
その先生が五年生の担任になったとき、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
あるとき、少年の一年生からの記録が目にとまった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。ほかの子の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」。三年生後半の記録には「母親が死亡。希望を失い悲しんでいる」とあり、四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。
胸に激しい痛みが走った。だめだと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現われてきたのだ。目を開かれた瞬間であった。
放課後、少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強をしていかない? わからないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔を見せた。それから毎日、少年は自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手を挙げたとき、大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。後で開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
その一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で一人本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い! 今日は素敵なクリスマスだ」
六年生では少年の担任ではなくなったが、卒業の時、少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まであった中で一番素晴らしい先生でした」
それから六年。カードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」
十年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記されこう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任してくださった先生です」
そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と一行書き添えられていた。
縁とは不思議なものですな。霊妙なものですな。人智では計り知れない力があるものですな。この力に包まれたとき、人は自然と心を開くようになるのかもしれませんな。
この佳品を紹介してくれた人にも、そして藤尾さんにも感謝やね。ありがとうございます。