2004年08月02日「惚れて通えば千里も一里」「最驚!ガッツ伝説」「風の盆恋歌」
1 「惚れて通えば千里も一里」
木村皓一著 ミキハウス 1575円
著者は子供服で有名なミキハウスの創業者。
ミキハウスというと、あの和歌山カレーヒ素殺人事件の犯人が好んで着ていたブランドとして注目されたこともありました。
最近だと、やっぱりオリンピックかな。
ここ、スポーツが盛んな会社なんです。というより、正確には社長さんがものすごく応援してるわけ。
たとえば、女子ソフトボール、愛ちゃんも所属してますけど卓球、水泳、柔道、アーチェリー、テニス、陸上、ヨット・・・いろいろです。
プロ野球をめぐる一連の大騒ぎでもおわかりの通り、いま、企業はスポーツビジネスからどんどん逃避しています。すなわち、スポーツチームを抱えておくコストと宣伝効果、営業効果とのパフォーマンスが合わないってことですね。
けど、そういう時だからこそわが社がやろうと考えるのがこの社長さん。
しかも、選手を宣伝には一切使わないの。選手は広告塔だなんて考えない。ほかの社員同様、一緒に働いてもらう。そうする中で、社員からも応援されるし、社員も身近で働く選手の活躍を目の当たりにして、「よし、頑張ろう」「よし、応援しよう」となっていくわけ。
1992年のバルセロナ大会からオリンピック選手を輩出。アテネでは15人近くが出場するとのこと。
では、この人、元々、スポーツ選手だったのかというととんでもない。幼児小児マヒにかかっちゃって、歩けなかったんですね。
それまではおんぶしてもらてたけど、小学生になるといよいよリハビリをしなくちゃならない。
けど、なにかと理由をつけてはサボりたがる。強制されても、なかなかやる気は起きませんものね。
そんな時、幼いながらも好きな子ができた。いつも著者を自転車の後ろに乗せてくれた女の子。
子どものほのかな恋心。人を好きになるのに、子どもも大人もありませんよね。真剣だったんです。
そんなある日、野球大会がありました。彼女も野球大会を見たがっていた。だから、一緒に見た。すると、マウンドでは同級生の男の子がエースとして投げている。彼女が見せる本当の笑顔。
「キラキラしていた」と感じます。ショックでした・・・この気持ち、よくわかるなぁ。わたしなんか、いつもそうだったもの。遠くから見ているだけ(でも、それで十分なんだけどね)。
この時、著者は真剣にリハビリに取り組もうと決心するわけ。やっぱり、このモチベーションはフロイトかな。
そうかもしれません。人が動くのは理屈より感情。感動かな。感じたら動く。感じなければ動かない。単純です。
自分の理想像をこの同級生に見たんでしょう。目標が明確になると、意識が変わります。
なんと、新聞配達をはじめちゃうわけ。
もちろん、断られます。だって、歩くのも苦労してるのに、配達なんか足手まといになるだけだもの。母親も大反対。
でも、父親が新聞配達所に頼み込んで雇ってもらうわけ。最初は少ない。けど、効率的な配達ルートを考えたりして、その後、部数を増やし、週刊誌を売るために病院に入院している患者をターゲットにしたり、なかなか商売人の小学生なわけ。
しかも、奇跡の回復。一年たつ頃には走っていた、といいます。
人間ってのは身勝手なものです。
「ああしたい、こうしたい」と心の中では考えるけれども、えてして本気では考えていません。本気にならないから進まないわけ。
夢があるから頑張れる。本気で取り組もうという夢。もう夢ではないね。これは計画です。
14歳でバルセロナ・オリンピックで金メダリストとなった水泳の岩崎恭子さん。彼女もミキハウスの社員です。
コーチングを勉強するかたわら、小学校などから講演依頼があると出かけてもらいます。
「小学生はいいですよ。みんな夢を持ってる。素晴らしい」
それがいったいいつの段階から夢が消えてしまうんだろうね。
金メダリストになるくらいだから、彼女は才能、素質があったんでしょうねぇ。けど、母親の水着姿を一度も見たことがない、という。水泳教室に通っているうち、普通の子どもが金色のメダルをとっちゃったんですね。
何かを成し遂げた人間が言う言葉は力がありますね。
大学を中退して、彼は証券会社に入ります。ずっとアルバイトしてたからね、その会社です。
日曜でも出社して仕事したそうです。
仕事はできる人のところに集まってきます。仕事の報酬は仕事だよ。きっちり仕事をするのが木村さん。典型的な職人タイプ。
職場でも周囲をよく見ていたそうです。自分の仕事をしながら、左の人、右の人がどんな仕事をしてるかを見ている。お客さんとのやりとりや声を聞いている。
「おまえがなんで知ってるんだ?」とびっくりされる。
お客さんから怒られているけど、なにか失敗したのかな、となると、あの伝票が回ってくるなと動きがわかる。次の段取りが読めるわけ。
普通の人は自分の仕事だけで精いっぱい。周囲でどんなことが、どう進んでいるのかがわからない。
ただ、そこに座っているだけで情報はいくらでもあるのにね。
著者の実家は元々「浪速ドレス」という婦人服製造販売の会社。いずれ、長男である著者を経営陣に迎えるつもりで父親はいたらしい。
それだけに弟と比べて、厳しく育てられた。
その意味が著者にはわからなかった。で、独立を考えるわけ。それが1971年のこと。実家は弟に任せよう、父親は弟には優しいし・・・。
ただ、婦人服を扱っている実家とバッティングしてはいけない。
そこで子供服。いよいよ、ミキハウスの誕生ですよ。
子供服といっても、当時の業界で扱っていたような服ではなく、もっとファッション性のあるものにしよう。しかも、ベビーと子どもの間のトドラーと呼ばれる一〜三歳児くらいのお客さんをターゲットにしよう。
最初のサンプルはいまも定番商品となってるデニム生地のハーレムパンツとニッカポッカ。これは奥さんのデザインです。
で、まずは九州に売りに行った。鹿児島から博多へと北上するわけ。すべて断られます。どんどん落ち込みます。
博多のホテルで考えました。どうして断られるんだろうか? 自分のセールス法が間違ってるんだろうか? いったいどんなセールスしてた?
「そうか、商品を見てくれ、買ってくれの一点張りで、自分勝手なことばかり言って、相手の話を聞いてなかった」
ホテルで懸命に練習です。自己紹介から何からね。
でも、また断られると思うと気が重い。少し遅れて行く始末。
「おまえ、遅いな」
「すみません。私は子ども服の企画、製造ができる人間です。このお店になにかお役に立てることはありませんか?」
「おまえみたいな」言い方をしてきたのは、いままでのセールスではじめてだ」
どっさり注文をくれたばかりか、この商圏ではもう売るな。オレが紹介してやるから、下関に行け。こんな具合で次から次へとお客がリレーしてくれた。
門前払いだったのが、コーヒーが振る舞われたり、ビールになり、ホテルもとってやる、とどんどん変わる。
商売のコツをつかむわけですね。自信満々で九州に乗り込み、こてんぱんにやられ、その中でつかんだ方法です。
彼が心がけたことは1つ。
地域ナンバーワンの店にしか行かないということ。ここがダメだから2番手ということはしなかった。
やっぱり、ファッションは文化の塊であり、なんといっても情報性がポイント。あの人はセンスがいい、あの店はセンスがいい。こういう付加価値のある店というのは、オーナーにこだわりがあります。
自分の商品にプライドがあればあるほど、そういうこだわった店主の店で売りたい、と考えていたんです。
また、そういう店とつき合うと、情報にも敏感になるし、マーケティングもできるんです。
いま、ミキハウスの直営店は全国に二百店舗あります。
原宿のラフォーレなどは一階は社員に立ち上げさせた別ブランド「Pink☆Lolly」に入らせ、ミキハウスは二階にあります。
この原宿店にしても、元々、半年だけという約束でオープンしたもの。しかも、たった6坪。
これが売れない。せいぜい月間100万円。
そこで自分で毎月一千万円買った。大家であるラフォーレ原宿店は10%の家賃ですから9百万円振り込んでくれる。
半年後、
「どうもお世話になりました」
「お客があまりいないのに、よく売れてますね」
当たり前ですね、自分で買ってるんだから。
「一階の右から3番目に12坪のスペースが空きます。あれ、やってくださいよ」
(今度は月いくら買えばいいんだろう?)
よし、おもちゃ箱をひっくり返したような店を作ってやる。それでダメならそれでもいいじゃないか。
コストをかけてきれいなショップを作った。すると、同じ商品なのに、これがバカ売れ。品切れ状態。
これが東京進出の直営店第一号。ここから快進撃がはじまります。
200円高。
購入はこちら
2 「最驚!ガッツ伝説」
ガッツ石松著 光文社 1000円
「OK牧場」とはなわのガッツ伝説でブレイク。
まっ、長嶋茂雄さんとはちょっとタイプが違うけど、もしかすると同じカテゴリーかもね。
その宇宙人的発想。
こういう人、好きだなぁ。ちょっとずれてる人。意識してずらそうとしても、面白くないし、そんなにずらせることはできませんもの。
この人の偉大なところは14敗もしてるのに、チャンピオンになったということでしょうな。
なぜなら、こんなに負けないんです。チャンピオンになろうって人は。もうエリートコース一直線で、せいぜい、若い頃に一敗しました、判定でってのが普通なんです。
どうして、こんなに負けるのか?
それはガッツがないからです。もうダメだと思うと、試合を止めちゃう。放棄しちゃうんですね。
で、リングネームを変えた。鈴木石松からガッツ石松に。74年にメキシコのロドルフォ・ゴンザレスを8回KO。世界ライト級チャンプになります。
では、そんなガッツさんの名言(迷言か)をいくつか。
・「デーブ」の試写会を見て・・・あんなに豚が利口だとは思わなかった。勉強になったよ。
・ダウンタウンの番組で1分間シャドーに挑戦。
「ガッツさん、身体で3分間わかります?」
「ぜんぜんわからん」
「あんた、元ボクサーやろ?」
「わかんないから、ゴングが鳴るんだ」
たしかに・・・一理ありますね。
・世界タイトルマッチ戦で挑戦者の心境を聞かれて・・・
「いやぁ、怖いのが半分、怖ろしいのが半分でしょうね」
それじゃ、まるっきり怖いんじゃねえか。
・運転手に道を指示して・・・
「そこ、右に左折して」
無茶言うなっての。
・トーク番組で、オフの日の過ごし方を聞かれて・・・
「オフの日はあんまり、仕事してないね」
だから、オフって言うんだろうが。
150円高。
購入はこちら
3 「風の盆恋歌」
高橋治著 新潮社 1680円
メルマガで富山の「おわら風の盆」をご紹介しました。となれば、やっぱり、本のほうもね。
「・・・三十年近くも待ったのよ。・・・こんな日が来るなんて・・・。まさか、こんな年になるまで待たされて・・・あなたは、待ったの」
「待った」
「本当に」
「本当だ」
「・・・嬉しいわ・・・こんなこと・・・自分で・・・おかしいけど・・・綺麗な体を・・・してたのよ。・・・それをこんなに・・・惨めに・・・待たせて」
「いわなくていいんだ、そんなことは、・・・綺麗だよ、君は」
五十歳を目前にした2人の男女。
金沢の学生時代に、どちらも心惹かれたものの、それぞれに強く慕う恋人がいました。女の夫は医師であり、男の妻は弁護士。
2人は男(新聞記者)の赴任先であるパリで再会。
不倫?
いや、純愛。
なぜ、そういえる?
だって・・・。
年に一回、風の盆のある季節だけ、男は富山県婦負郡八尾にやってきます。
三十年という失われた時間を取り戻すため?
それとも、逢い引き?
ようやく四年目に女は来てくれた。お手伝いの婆さんは風の盆の踊り手として昔、ならした人。初日にもかかわらず、その婆さんにも自然と「奥さん」として扱われます。
男と女を取り巻く八尾の人間関係。男の踊り手として知られる清原、その娘のアンリ。
娘は妻子ある男性と恋仲になり、心中を図り、男だけが死んでしまう。以来、絶縁。八尾にも入れない。親子の一緒に踊る姿はほんに絶妙で妖艶で、めったに見られない。それがもう永遠に見られないとは。この踊りは止まった時の美しさが映えますね。
アンリの生き様は、女がしようと思ってもできなかったこと。これだけの勇気があれば、三十年間という時間はまったく違うものになっていたかも。
「・・・・あのな、死ねるか、俺と」
「いつでも、こんな命でよろしかったら、いますぐにでも」
「なぜ笑ったんだい」
「あなたらしくないことをおっしゃると思ったのよ」
「そうかな」
「そうよ、死ねますかと聞きたかったのは、私の方」
「なぜ」
「今はね、もうなんにも思い残すことがなくなったから」
「今日まで君は不幸だったのか」
「いいえ・・・あのね・・・幸せっていいことなの? 人間にとって、生きたって実感と、どっちが大事なの? 教えて、どっちが大事なの?」
翌年、風の盆の季節に来ると、「今年は母は来ません」と娘が伝えに来ます。
「母をたぶらかすのは止めてください。母は死にました。今年の5月に。そのことをお知らせに。ここ一、二年の過ち以外、母は幸せでした」
「・・・過ち」
男は死にます。再生不良性貧血で。
娘の尋常ならざる姿にピンと来た女は、嫌がるタクシーを飛ばして八尾に来ます。そこで見たものは、静かに眠っている男の姿。
「あなた、ごめんなさい。どうして待てなかったの? あなた、来られない年があってもいいって言ってくれたじゃない。娘を送り出したら、あとは好きなようにしていいって。そのかわり、今年だけは風の盆にはやらないって・・・」
かつて注文していた、夢うつつの「うつつ」という字が描かれた和服。残された薬をすべて飲み干すと、女は男の隣に身を添えます。
風の盆を愛した2人のために、絶縁の父娘は久方ぶりに菅笠を深くかぶって踊ります。いままでにないくらい冴えわたっていました。
「みなさん、お祭りでございます。おわらを愛した2人のためにどうか踊ってあげてください。今夜は命を燃やすお祭りでございます」
人に添うってことは、ある意味、酔っぱらう・・・ということではないですかね。冷静に考えてできるのは「駆け引き」だけ。駆け引きになった瞬間、純愛はたんなる不倫になってしまうのでは? 駆け引きがないから、2人の恋は純愛だったのでは?・・・まっ、経験のない私が言ってもしょうがないんだけどさ。
けど、自分の心にもっと正直に生きたいものだね。彼らのようにね・・・。
♪おわら恋歌、風の盆・・・か。
350円高。
購入はこちら