2004年06月28日「ちょっとイイ人生の作り方」「腰痛は怒りである」「いま、会いにゆきます」
1 「ちょっとイイ人生の作り方」
玄侑宗久著 KTC中央出版 1470円
NHKの「課外授業」という番組を単行本化したものです。
これって、有名人が母校に出かけていって小学生を相手に課外授業するって趣向でしょ。だから、内容がわかりやすいんですよね。
たいてい、「将来への夢」とかね。そういうものを気づかせるような内容が多いですね。村田兆治さんの時もそうだったし、ほかの人のもそうなってました。
やはり、おじさん、おばさんが子どもたちを相手にする時、「夢」というテーマを追いかけてしまうんでしょうな。
これには二つの意味があると思いますよ。
一つは、そのものズバリ、現実を考えて自分の夢を規制してしまう「変な知恵」がついていないいまだからこそ、大切にして欲しいという願いがあること。もう一つは、話をする側が多かれ少なかれ、子どもの頃から描いていた「夢」を叶えた実現者である、ということ。
いずれにしても、子どもと話をする時、大人と子どもという垣根を払うには「夢」というテーマがいちばん無難ですな。
本書は『中陰の花』で芥川賞を受賞した坊さん兼作家によるものです。
そういえば、坊さん兼作家というのは多いですね。今東光さん、無着正恭さん、寺内大吉さん・・・掃いて捨てるほどいますね。そういえば、吉田兼好も鴨長明もそうですわな。
「身体のある状態にしてあげると、自然に、そういう気分になることがある。たとえば、怒ると、呼吸はどうなるか?」
荒れますわな。吸う息より吐く息の方が多くなります。心が荒れると、吸うのも吐くのも荒れてきます。リズムがエイトビートになっちゃうわけ。
座禅時などでは、吸うのも吐くのも長い(長息)ですものね。こうなると、心も穏やかになってきます。
心身一如という言葉があります。
心と身体は別々のものではなく、一体化している。コインの表裏のように互いに影響を及ぼしている、という考え方です。
この心身一如という時、たいてい、心が上位構造で、身体が下位構造だと理解されるケースが少なくありません。けど、心は身体の状態にものすごく強く影響を受けてしまってますね。
たとえば、身体がクタクタに疲れてる時、人から相談事などもちかけられても、きちんと答えられるわけがありません。精神もクタクタだからです。
もちろん、心が疲れている時、荒れている時、身体は元気かもしれませんが、心臓はクタクタですよ。
昔、インドにいった時、「「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」という言葉を同時に言ってごらん? オゥムになるでしょう?」と言われたことがあります。
変なインチキ宗教団体(いま、変名してるけど)がありますけど、あれもこの母音をすべて統一した音感からとったのかもしれませんな。言葉の源です。
この中でも「ア」という音は明るい気分になります。「イ」という音は暗くなったり、イライラしてきたりします。「ウ」という音は頭がすごく働く音なので、考え事もできますね。
静かに呼吸をすると、静かな気持ちになれるのです。
ほかにも、心身一如は体験してるはずです。
たとえば、眠る時は目は上にいっている。上にいかないと眠られない。
「早く寝ようと思っても眠れない時があるでしょう。眠れない時は目を閉じているんだけど、目線が下の方にいっているからいろいろ考えちゃう。眠りたければ、目線を水平よりも上にもっていって、左右に揺らしてやったらすぐ眠れます」とのこと。
世の中にはわからないことがたくさんありますが、実は自分自身のこともわからない。わからない自分を生きていくことはとても苦しいし、不安なことなのです。
われわれは自分の人生に何らかの物語を作っていきます。その物語は単純じゃないほうが面白い。
著者は子どもたちに「自分に起こった十大事件」をあげさせます。そして、その部分にニコニコマークと泣きマークを貼らせます。
楽しかったり、面白かった想い出はニコニコマーク、辛かったり、哀しかったそれは泣きマークというわけ。
ただし、これらのマークをつけた子どもたちに、この授業の中で伝えていることは、ものは考えようで、ニコニコマークも泣きマークに変わるし、泣きマークもニコニコマークに変わるということです。
「振り返った時に、幸せな十二年間だったな」と思ったら、ニコニコマークばかりを思い出す。
そういう生き方が楽しい、という提案というか、自分自身の再確認。自分に語りかけているのかもしれません。
150円高。
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2 「腰痛は怒りである」
長谷川淳史著 春秋社 1300円
なんとも不思議なタイトルですねえ。
腰痛が怒り?
いったい、何を怒ってるの?
怒ってるから、痛くなったりするのか?
どうやら、そうらしいです。
この本は、「Mind Over Back Pain」というジョン・サーノ博士(ニューヨーク大学医学部教授)の著作、とくにその理論である「TMS理論」がベースになってます。
TMSってのは、「Tentsion Myositis Syndrome(緊張性筋炎症候群)」に関する理論なんです。
アメリカでは、この30〜40年の間に、腰痛が急増しています。
就労者の欠勤理由の第1位、整形外科医などの専門医にかかる理由も第1位、医者にかかる理由としては風邪に継いで2位、手術の対象としても第3位。
まっ、とにかくトップランクの厄介な症状であることは事実ですわな。
毎日270万人が腰痛を理由に欠勤し、毎年5400万人が腰痛を発症させ、人口増加率の14倍の勢いで増えています。
ということは、医療費もうなぎ登りっていうこと。ざっと、日本の防衛費の3倍というのだから、いやはや・・・。
著者によると、「腰痛と老化現象はまったく関係がない」とのこと。
だって、腰痛患者は高齢者になればなるほど増えるはず。ところが、現実はそうなっていない。
腰痛を訴える世代は30代、40代が多いんですね。
厄介なのは、腰痛患者の85パーセント以上は、理学所見と画像所見、自覚症状とがそれぞれバラバラで一致しない。だから、明確な判断をくだすことができないのです。
当然、効果的な治療法がありません。
真の原因がわからなければ、処方などできるわけがありません。
この腰痛というものは、再発が多いから困ったものです。
「背骨や骨盤のズレが原因だ」とするのは、整体術、カイロプラティック、オステオパシーですね。いわゆる、「脊椎マニュピュレーション」です。
けど、人間の身体は元々、左右対称にはできていません。
サーノ博士は元々、小児科医です。
患者の病歴を調べていくと、筋骨格系疾患に苦しむ患者の多くは、緊張性頭痛、偏頭痛、胸焼け、胃酸過多、食道裂孔ヘルニア、十二指腸潰瘍、大腸炎、花粉症、喘息、前立腺炎、湿疹、蕁麻疹、ニキビ、めまい、耳鳴り、頻尿、膀胱炎、易感染症といった病気を経験していることに気づきました。
約9割の患者がこれらの病歴をもっているのです。
しかも、これらには共通点があるのです。
それは「心身症」ということです。要するに、筋骨格系疾患を抱える患者の大部分が、心理的緊張によって生じる病態を経験していたわけです。
サーノ博士が心身症を疑うようになって、次々と新しい発見をしました。
何気なく心理的要因を探りながら診察を続けていくと、早く治る患者となかなか治らない患者を、ほぼ正確に予測できるようになったのです。
結果、もっとも重要な治療的要素は、自分の身体に起きていることを、本人が正確に理解することだ、と確信するようになったのです。
長年、慢性腰痛に苦しんできた患者の場合、身体を動かすことも恐怖を感じてしまいます。これを「動作恐怖症」と呼びます。
「腰痛」は身体の問題ではないのに、あれもしてはダメ、これもしてはダメとあらゆる禁止事項で縛り付けられる」
こうした禁止事項は患者の注意点を身体に集中させ続けることになり、痛みが消えるどころか、かえって条件付けができてしまい、少しでもそれに反すると痛みを感じてしまうようになる。
これが怖いわけです。
TMSは、単独の病気が引き起こすと考えられていた筋骨格系のさまざまな症状を、一つの症候群としてまとめてしまったのです。
たとえば、肩こりと呼ばれる首や肩、背中の痛みをはじめ、腰痛、臀部痛、手足の痛みやシビレ、四十肩、五十肩の肩関節の痛み、手首、足首、肘、膝などの関節痛まで、すべては共通した原因による一つの症候群だ、理解しているのです。
意識レベルでの理解だけでは不十分。無意識レベルでしっかりと理解することが大切。それには4〜6週間はかかる。だから、サーノ博士は勉強会を展開していったのです。
150円高。
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3 「いま、会いにゆきます」
市川拓司著 小学館 1575円
「きっとぼくらはこうやって、何度でも恋に落ちるんだ。出会えば、きっとまた惹かれてしまう」
主人公と妻との会話です。
なんというか、羨ましい限りですなぁ。わたしなんか、「今度、結婚する時はあなたと正反対の人と決めてるの。生まれ変わっても、あなたとだけは絶対に結婚しない!」といっつも言われてますもの(まっ、その気持ち、わからないことないけどね)。
「また、この雨の季節になったら、二人がどんなふうに暮らしているのか、きっと確かめに戻ってくるから」
彼女(澪)は約束を守って、6月の雨の日に会いに来てくれたってわけ。
息子の佑司といつものように、ぼく(秋穂)は工場跡地でバネやネジを拾って遊んでいた。その時、佑司が見つけたのが澪。
郵便受けの後ろに立っていたのです。ただし、記憶を失って・・・。
「3人が一緒にいられるなら、妻が幽霊なことぐらいたいした問題じゃない」
6歳の男の子を抱えた29歳のシングルファザーの秋穂。ものすごく記憶力が悪い。とくに短期記憶は致命傷。どうも海馬の部分に不都合があり、普通の人がやっていけることができない。
年に10回は風邪を引いて高熱を出したり、体内センサーは常人の数十倍もデリケート。温度、湿度、気圧の変化にも敏感。だから、気圧計付きの腕時計がはずせないほど。
心気症で、電車には乗れない。乗っても、各駅停車だけ。動悸が激しくなる。だから、いつも窓際に立って、車の数を数えたり、変な呪文を繰り返す。そうしないと、頭が爆発してしまいそうなんですね。
「こんなぼくとつき合うより・・・」
未来のある澪のために、一度は身をひく。
けど、そんな男でも一緒にいたいという澪は、バイクで旅に出ている秋穂のあとを追いかけてきます。
「大丈夫、いますぐ会いにゆきます」
タイトルは女性側からのメッセージなんですね。
澪が死んだ理由? 妊娠中からさまざまな不具合を生じていました。体力が落ち、出産の際にわけのわからない注射を何本も打たれ、30時間もかけてようやく、佑司という男の子が生まれます。
けど、産後の肥立ちが悪く、これが原因で死にます。このことが実は佑司のトラウマになります。
たった6日間の出来事。かつて、不器用な二人が6年かけて辿り着いたことをこの6日間でトレースします。
「ぼくらが出会った時、二人は15歳で、世界はまだ昨日と今日と明日しかなかった」
「きみはおそろしく細い女の子だった」
「ぼくは眼鏡をかけてて、ものすごく痩せてて、面白みのない模範的生徒も実は好みだったんだけどね」
「同じだよ。ぼくはちょっと変わり者だったし、人嫌いだっていう噂が立っていたからね。きみもそんな男の子が恋愛をするなんて考えていなかった」
高校の卒業式から、ふとはじまった恋でした。
澪が死んでから、もう一度、二人は恋を追体験するのです。
「それはまるで恋のようだった。というか、ぼくのささやかな経験に照らし合わせてみても、これはまさしく恋だった」
そして、生きている間に、相手のことでわからなかったこと、疑問だったことを確認して、ホッとしたり、反省したり・・・。子どもの佑司のことを話し合ったり・・・。
お互いに前よりどんどん相手のことを好きになっていきます。
恋=
∫独占欲×嫉妬(もっと相手と会いたい+もっと相手を知りたい+もっと相手としたい)
これが恋愛方程式だと思ってたんですけどね。
精神的部分から肉体的部分へと、そしてもう一度、心の部分で結びつく。深くコミュニケーションをする中でどんどん惹かれ合うんですな。
記憶力が致命的とはいえ、
「杏色のワンピース、バレッタで留めた長い髪、モヘアのセーター。ポケットの中で触れあった指と指。そして、ニットの耳当て。
すばらしい。
これだけあれば一生困ることもない。
きっと人生なんて、あっという間に終わっていくだろうから、思い返す記憶なんてそんなにたくさんはいらない。
たったひとつの恋、ただひとりの恋人、そしてデート3回分の挿話。
それで充分」
たしかに・・・。
350円高。
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