2009年06月03日DVD「ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯」 

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 この人ほど運のない男はいないでしょうな。
 絵画、天文学、地球物理学、水力学、地質学、航空力学、治水工学、軍事工学、医学、解剖学・・・ありとあらゆる分野で「天才」を発揮しながら、あまりにも報われることのなかった人物ですからね。

 たとえば、この人の作品。どのくらい残ってる?

「モナ・リザ」「洗礼者聖ヨハネ」・・・20もないでしょ。同時期に活躍した後輩ミケランジェロやラファエロと比較したら問題になりませんよ。

 なにしろ、彼が評価されるのは死後400年経ってからですからね。

「最後の晩餐」(ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院)なんてひどいもんでね。スポンサーだったミラノ公ロドリーゴ・スフォルツァがダ・ヴインチに金を払えなくなって、損失補填のために教会の仕事を見つけてきてやったわけ。
 で、修道院の食堂の壁になにか描かせようかってんで「最後の晩餐」なのよ。食堂だから晩餐にすっかって、いかにもって感じだよなあ。
 
 この絵見てると、教会のほうもてんで評価してなかったんだという事実がわかります。
 中央下部にご注目あれ。これね、隣の厨房とつなげるために壁をぶちこわして扉をつけた跡なのよね。ゲージツよりも温かい食べ物のほうが大事だったんでしょう。戦争になると馬小屋にされたりしてね。
 修復はしたんだろうけど、よくまあこの状態で残りましたなあ。奇跡ですよ。

 15〜16世紀というと、ルネサンス華やかなりし時代ですけど、芸術家にはパトロンがいないと話になりません。
 後輩たちはバチカンという大スポンサーがいたけど、20歳以上うえのダ・ヴィンチにはあまりいなかった。というより、いても途中で死んだり、殺されたり、没落したりで、彼はイタリアからフランスを転々とせざるをえなかった。

 国王たって、しょせん戦国武将ですからね。戦に負けたら終わり。その点、教会をスポンサーにした連中は賢明ですな。

 しかし、だからこそ、ダ・ヴィンチは食べるためにいろんな才能を引き出すしかなかった、とも言えますな。
 当時、トルコと敵対していたベネツィアには潜水艦と潜水具を設計して提案してますからね。

 けどね、彼のどん欲な好奇心は次から次へとテーマを追求し、そのため、1つの仕事をやり遂げてから次に移るという段取りは無視。だから作品があまり残ってないのかもしれません。もちろん破壊されたということもあるでしょう。彼自身の墓すら残っちゃいないんですからね。

 ダ・ヴィンチがいちばん愛したのは「モナ・リザ」でした。貧しい生活の中でもこれだけは売らなかった。フランス王が頼んでも売らない。どこに行くにも自ら持って行く。モデルはだれなのかいまだにわからない。どこぞの人妻とも言われてるけどね。
 フィレンツェで描いてたくせに、背景はミラノ。ま、フランスで死んだあと、没収されて、いま、ルーヴルに残ってるわけですけどね。

 全3巻のDVD。トータル272分。ま、見応え十分だと思うよ。350円高。