2004年03月08日「一風堂 五輪書」「エロ職人ヒビヤン日々涙滴」「巨乳バカ一代」
1 「一風堂 五輪書」
河原成美著 致知出版社 1400円
来週からメルマガを発行します。
どんなメニューにするかというと、わたしが最近会った人の中で「これは面白い!」と思った経営者の紹介、その人のビジネスの極意や裏話、それからこの「通勤快読」で紹介できなかったけど、毎週、読んでる中から、「これ、いいよ!」という本の紹介などです。
とにかく、ホームページと違ってクローズド情報だけに、「ここだけの話」に特化してお届けしたいと思います。
「内緒だよ」「あなたにしか教えない」というとびっきり高感度の情報をプレゼントしますから、お楽しみに。
ご存じ、博多ラーメン「一風堂」の店主の本です。
一風堂のラーメン、食べたことあります? 赤丸、白丸ってあるでしょ。あそこ!
横浜だと、東口通路にあります。いっつもお客が並んでますね。けど、わたしはここを通り過ぎて「げんこつ屋」に行っちゃいます。あるいは、吉村家(家系ラーメンの総本家)ですね。
豚骨とはいえ、一風堂のラーメンはさっばりしてます。
で、本書の内容ですが、「自分こそ人生の主人公」として生きる極意を説いたもの。
著者は元々、漫画家になろうとしていました。だから、高校もデザイン科。けど、そこには自分よりずっとセンスのある人間ばかり。すっかり自信を無くします。
いちばん上の兄はパイロット、2番目は小説家志望で新聞記者、3番目は芸大で彫刻の勉強。著者は目標を失い、次に芝居をやろうと決意し、演劇の道に進もうと考えます。
けど、これも長くは続かない。
大学を卒業して、地元のスーパーに就職したものの、ここでも充実感は得られなかった。
きっかけは26歳の時にやってきます。兄の友人がやめるレストランバーをそのまま引き継いだのです。
この時、芝居で生きていこうと決意していたので悩みます。けど、「再スタートを切るには絶好だ、これで失敗したら、ボクにはなにもない」と考え手がけます。
いま考えると、「この時、。はじめて仕事に自己実現を求めたんですね」
だから、目標をいくつか設定します。
「オープン3年目になる30歳で天神地区(福岡の中心)に店を移転する」
「33歳で2店目をオープンする」
「35歳で一生の仕事を見つける」
「とにかく、3年間は休まない」
この時、ラーメン店はまだ一生の仕事だとは考えていなかったようですね。
正月も休まないで営業しました。自分で決めたことですから、だれから強制されたものでもありません。だから、できるんです。
「絶対に店を成功させる」と決意すると、どれだけ売上が必要なのか。目標がどんどん具体的になってきます。
オープンから2年目、一定の利益を出せるようになってきました。しかし、まだこれが一生の仕事だとは考えていない。
だから、35歳の時に、一風堂とはまったく違うコンセプトのラーメン店「爽風亭」という店をオープン。ところが、これがいま一つのところで伸びない。
たくさんの理由がありましたが、もっとも根本的なポイントは「経営者が目標を失っていた」からですね。
そのまま37歳の時に、居酒屋までオープンします。
この時は「ラーメン屋」だけじゃなくて、「違う業態の店を十店は作るぞ」と考えていたそうです。明確な期限を設定していたわけでもなく、目標と呼べるほど明確なものでもなかったんですね。
だから、もちろん、失敗します。
著者が天職と巡り会うのは、45歳の時でした。
テレビ東京の「テレビチャンピオン・第2回ラーメン職人選手権」に出場したのです。
本当にできるだろうか、負けたら恥ずかしいという思いもあったけれども、しかし、一方では四軒しかなかった一風堂を全国の人に知ってもらうチャンスだとも考えていました。
結果は僅差で優勝できたんですが、この時、九州から北海道松前の会場までやってきた著者を地元の人がサポートしてくれたらしい。それに素直に感謝してる中に気づくんですね。
ラーメンを作ってるんじゃない、「ありがとう」を作ってるんだ。ラーメンこそ天職だったのか・・・。
いま、一風堂はレシピを公開しています。
普通、「秘伝の味」とかいって、そんなことはしないのが業界の常識ですが、レシピがしれたとて同じ味を出せるわけがない、と知ってるんですね。
いま、一風堂は国内25店舗、海外では上海に進出。
日清食品の総帥安藤百福さんに「あなたがインスタントラーメンではなく、ラーメン屋を開いていたとしたら、どんなラーメンを作っていただろうか?」と提案し、「麺翁 百福亭」をオープン。
著者の自伝的一冊。
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2 「エロ職人ヒビヤン日々涙滴」
本橋信宏著 バジリコ 1600円
著者は「裏本時代」などのフーゾク物を得意とするライター。一世を風靡したAV監督、俳優?の村西とおるさんをモチーフに何冊か執筆してます。
どれも面白いんだ、これが。
元々、黒木香というAV女優についての執筆を依頼されたらしいんだけど、「書いておかないといけない人がいる」というので先に出したのが本書。
けど、ズバリ言って、あの脇毛女優、「SMぽいの好き」で大ブレイクしテレビに出まくっていた黒木香さんより、今回のテーマのほうがドンピシャで正解だと思いますよ。
ヒビヤンとは、日比野正明という人のニックネーム。
岐阜県の進学校を卒業後、「トヨタとボーナスが同じ」という募集広告に釣られて内装卸問屋に入社。名古屋本社から東京支社へ。
「日本一きつい」と言われた佐川急便のドライバーから、「うちよりきつい会社がある」と、ヒビヤンの仕事ぶりを見てもらしたとか。朝7時から深夜まで、オーダーが入るたびに走って数十キロもの重さのカーテン素材をトラックに積み込む仕事をしてたんです。
けど、ある日、机上にあった賃金表を見てがっくり。高卒だと昇進、昇給がめっちゃ遅いの。大卒とはスタートラインまで違うから、朝から晩まで働いてもものすごい差があるばかり。これで白けちゃった。
楽しみと言えば、たまの休日の日曜にプレイボーイに載るグラビア写真を見るくらい。
「こんな娘と仕事ができたらなぁ」
町を歩いてると、カメラマンがいる。カメラマンになれば、グラビア写真が撮れる。そうすれば、あんなかわい子ちゃんと仕事ができる。
で、会社を辞めます。
あるカメラマンの弟子になるんですが、なんと、そのカメラマンは戦争カメラマン。もっとも大変で、もっとも金にならないカメラマンですね。
いっもどこかずれて損ばかりしている。それがヒビヤン。
芸人をしてる友人に町で出会うと、彼から「ビデオ会社がスタッフを募集している」と聞いて、応募します。
なんとそこはアダルトビデオの制作会社。
即、採用。
ヒビヤンにしてみれば、まっ、ちょっと覗いてみるかという軽い気持ち。
それがまさか翌日から不眠不休となるとは、まったく想像もしてなかった・・・。
前の会社もつきかったが、まだ休めた。ところが、このクリスタル映像という会社では休めなかった。
どのくらいきついか。それは六年間の仕事内容がすべてを物語っています。
編集作業をして仕上げた作品本数1500、監督本数150、男優として絡んだ本数20人,村西とおる監督から殴られた回数無数、平均睡眠時間3時間、休日ゼロ。
「週刊プレイボーイのグラビアに登場するような水着の女の子とつき合いたい」といい目的で業界に飛び込んできたのに、まさか自分が人前で真っ裸になって絡むとは夢にも思っていなかったはず。
あまりにも忙しいので、お金を使う暇すらなかった。
卑弥呼というAV女優に惚れ、彼女に毛皮を買い、指一本触れられない純情な男。金払いがめちゃくちゃの村西監督が落ち目になった時、貸してくれと言われて、数千万円も貸して結局、取りっぱぐれてしまうお人好し。
自分が辞められるように後輩を指導するものの、いつも後輩に先を越されてて辞められてしまう。
だから、村西監督の会社が潰れるまでつき合ってしまったヒビヤン。
運命というのはわからないものです。ひょんな拍子でどう転ぶかわかりませんねぇ。
業界の嫌われ者だった村西監督の下で長年、仕事をしてたおかげで、他社からのオファーがまったく無し。
その時、テリー伊藤さんのレストランで雇われ店長をしていた男がAVを扱うことになり、そこで監督をします。これが高橋がなりさんとの出会い。
人が人を呼び、縁が縁を呼び、運命が運命を呼んでいく。
200円高。購入はこちら
3 「巨乳バカ一代」
野田善治著 日本文芸社 1470円
著者の名前は知らなくとも、イエローキャブと言えば、超有名!
えっ、わかんない?
困ったなぁ。小池栄子とかMEGUMIとか、巨乳が所属している芸能プロの社長さんです(プロミスのCMの井上和香ちゃんは違うプロダクションだよ)。
いま、テレビを見ると、巨乳タレントがたくさん出てますね。歌手ともいえず、女優ともいえず、おもにバラエティを中心に活躍するタレントですね。
もう、バラエティ番組にはオカマと並んで必需品というべき存在価値があります。
けど、ここまで来るのは大変だったと思いますよ。
まず、最初にCMの依頼がまったくありませんでした。
最初にCMに出たのはいまは亡き堀江しのぶでしょうね。まだスポンサーサイドに偏見があった時代ですよ。それを最初に打ち破ったのが野田さんであり、堀江しのぶなわけ。
まっ、アグネス・ラムという別格の存在もありますけどね。
堀江しのぶは元々、クラリオンガールに応募してたんだけど、落ちちゃったのね。
当時、著者は審査員してた黒沢久男さんに「いい子、いませんか?」「落ちちゃった子にいいのがたくさんいるよ」ってな具合で、「タレントやらないか」と誘ったのがきっかけ。
履歴書の顔写真しか見てないから、巨乳だなんてまったく知らなかった。で、水着写真撮ってる時に見て、びっくり。
巨乳タレントって、巨乳としてしか売り物がないんだけど、本人たちはこのセールスポイントに劣等感を抱いているのがほとんどなんですね。
堀江しのぶも水着の依頼しかなくて悩んでたみたい。本人は歌手やりたい、女優やりたいという夢がありましたからね。
野田さん自身、「十年後の自分をどうするかを考えろ!」と常に叱咤激励する毎日。これはスタッフにも同様で、「1年後、3年後、5年後にどんなタレントにしたいのかを考えろ」とマネジャーにも怒鳴ってたそうです。
これ、意味、わかりますか?
巨乳タレントというのはグラビアの仕事がありますから、一年くらいはあっちこっちから話があるんです。なにしろ、マンガも含めると日本には二百くらいはグラビア誌がありますからね。
で、お呼びがかかってるうちに、このグラビア誌をジャンプ台にして自分の羽ばたき方を考えないとダメなわけよ。一年経ったら、また巨乳タレントががんがん出てくるから、一年間の賞味期限の中に、どれだけセルフプロデュースができるかどうか。
そこが問題なわけ。
もちろん、マネジャーも「この子は水着だけじゃなくて、トークもいけます」とか言って、プロデューサーやディレクターを口説くわけ。すると、山田まりあみたいに、若いのにおばさんみたいに説教好きなキャラとか、MEGUMIのように頭の回転が早いタレントが出てくる。すると、「トリビアの泉」にレギュラーで採用されたりするわけですよ。
どんな世界でも、自分をよく見つめ、何が売りなのか、特長なのかをしっかりつかんでないと、とてもセルフプロモーションなどはできませんね。就職しかり、転職しかり、セールスしかり・・・。
水着になってる間に、芝居の勉強したり、歌のレッスンで鍛えていた人間だけが、そのチャンスをつかめるわけです。
イエローキャブが大きくなる前は、アイドルのプロデュースには一つの方程式がありました。
たとえば、大手芸能プロに所属して、レコード(いまならCD)を出す。次に雑誌に露出してファンを増やす。テレビ、ラジオに登場して全国区の人気をさらう。
ところが、イエローキャブみたいな弱小プロにはこのすき間に入り込むことができなかった。しかたないから、タレントをつれてテレビ局や出版社を回って売り込む。けど、こういう地道なやり方をしていると、現場と一緒になってタレントを作っていく醍醐味があります。
なぜ、タレントを裸にしないのか?
それは儲からないから。一回か二回くらいヌードになったって、新人のギャラなどたかがしれてるからパフォーマンスがあわない。
その点、ギリギリの悩殺ポーズをグラビアで披露したほうが効果的なわけ。
野田さんの方針というのが面白い。
「乳首とお尻の割れ目からスタートして、そこからどんどん着せていく仕事」だって。これは明快です。
いま、イエローキャブには一カ月に百〜百五十人くらいの応募があるらしいですね。
採用の基準は、まず巨乳であること。これが基本。次に顔、最後が頭。
で、履歴書を見る。この時、いかにもスタジオで撮ったようなきれいな写真の子はすべて落とす。業界に下手に馴染んでる子はいらないわけ。
どんな子が最優先されるかというと、「ちょっとだけスキののある子」。たとえば、グラビアを見てるだけでホッとする子とか、お願いすればできそうな子。
高嶺の花じゃないってことかな。
いわば、イモからスタートした子には、成長する過程を見せることで応援もしてもらえたりするわけです。
「あの子、最近、きれいになったね」
こんな具合にね。
ところで、野田さんが芸能プロをやる気になったのは、元々、この人、役者志望で広島の呉市から出てきたんです。
けど、やっててすぐ気づいた。
「自分には才能がない」
この時、広島に戻ってたら、いまのイエローキャブはありません。
そのまま、彼はバイトで「ジャズ・ビレッジ」という喫茶店で働き始めたわけ。そのうち、ゴーゴークラブが流行し、グループサウンズがブームになり、生演奏で踊れる店として超はやったわけ。
店ではマネジャーみたいなことしてたから、出演ミュージシャンたちのブッキングをしてた。これが芸能界のような仕事をするとっかかりです。
その後、本格的に夏木マリのマネジャーになります。この人、巨乳ですから、グラビアの仕事もたくさん。イエローキャブのルーツはここにあるんじゃないかなぁ。
それから、いしだあゆみのマネジャーになり、徹底的に鍛えられます。
そして、34歳の時に独立。
面白いことに、「エロ職人ヒビヤン・・・」を読んでたら、野田さんは村西とおる監督のところでも仕事してたんですね。本書ではまったく触れてないけど、「エロ職人・・・」には書いてました。
パワースポーツというタレントのビデオ制作をしてたんですね。
150円高。購入はこちら