2003年10月20日「かもめが翔んだ日」「気の小さい人が仕事も人生もうまくいく」「LAST」
1 「かもめが翔んだ日」
江副浩正著 朝日新聞社 1800円
いわずとしれたリクルートの創業者。あのリクルート事件の当事者として、この三月に懲役三年、執行猶予五年の刑が確定した人物でもあります。
いま、六十七歳。
昭和、とくに後半を彩るには欠かせない経営者の一人でしょう。
よくこの本を出されたな、とつくづく思います。
本書を一言で言えば、経営論でもあるといえるし、ないともいえるし、自伝であるともいえるし、ないともいえるし、弁明書であるともいえるし、ないともいえる・・・。では、いったい何なのかと言えば、とにかく、今の中に語っておきたかったすべてのこと・・・なのではないかなぁ。
三部構成になってます。
一部は自伝です。二部が創業から事業拡大、そしてリクルート事件。ノンバンクとデベロッパー経営による莫大な不良債権にすったもんだ、という波瀾万丈の事業論、そして三部はその処理をめぐって、ダイエーの中内さんとのやりとりが人間的なにおいをプンプンさせながら語られています。
江副さんと中内さんに共通するものは?
ロマンと算盤でしょうかねぇ。新いもの好き。アイデアマン。
リクルートという会社は新しいと思ってたんですが、もうかなり古いんですね。
大学二年の時、「月収1万円」という掲示板に惹かれて東大学生新聞会の門を叩きます。このバイト料はフルコミですからね。
このお金の魔力に吸い寄せられて、広告の仕事をスタートします。
最初はどうやって売っていいかわからない。だから、「販売は断られた時からはじまる」なんて、営業マン向けのビジネス書まで読む始末。
でも、売れない。「やめようか」と思っていたら、経済学部の掲示板に「丸紅飯田(現丸紅)の会社説明会が○○教室で開かれる」という掲示に目がとまります。
「これだ!」
早速、東京支店の人事課を訪ね、「東大新聞に告知広告を掲載してもらえませんか?」
即座にOK。しかも、たくさんの学生が集まった。企業側も喜んだ。
これに味をしめて、いろんな会社に出かけていきます。就職シーズンだけのバイトとはいえ、年間60万円も稼いでいたんです。当時の大卒の初任給がだいたい1万5千円くらい。いかに美味しい商売かがわかるというもの。
その後、就職するつもりもなく、この仕事を続けようとします。
ところが、新日鐵から個人との商売は差し障りがあるから、会社組織にしてもらえないかとい申し出をされる。
これをきっかけにして、リクルートを作ることになります。名称は「株式会社大学広告」だって。それが昭和35年ですよ。ほぼわたしが生まれた年ですね。いや、この会社、古いんだわ。
翌年、フルブライト交換留学生の先輩から、「アメリカではこんな本が学生に配られるよ」と見せてくれたのが「キャリア」という雑誌です。
就職情報ガイドブックですよ。
一目見て、「これだ! これをやらなくてはダメだ」とピンとくるんですね。
この人、抜群の勘の持ち主なんですね。
一人で編集から営業、広告まですべてを取り仕切ることは不可能。だから、外部スタッフに協力してもらう。
「できる人に任せる。すべてを自分で抱えない」という仕事ぶりは、この当時からリクルートスタイルとして確立されていたんですね。
「これは絶対、うまくいく!」
大学新聞よりも紙面が広い。詳しい情報が学生に届けられる。広告料金も安い。だから、絶対、企業は参画してくれるに違いない。
「最低でも百社は集まる」
ところが、蓋を開けてみるとそんなに甘くはなかったんです。
「どんな会社がその企画には参加するの?」
「うちは顔ぶれを見てから結論を出しますよ」
「○○社と○○社はどう? その2社が出すならうちも出すよ」
結局、第一冊目すら出せなくなりそうだったんです。なにしろ、大学新聞会と違って独立して出すから、印刷屋は前払いを要求する。そのための資金を前払いで頂くという狸の皮算用をしてたわけです。その後、印刷屋と交渉して2割分だけの前払いにしてもらうけれども、それでも足りない。
金融機関に駆け込んでも、「まだ取引の実績がないものですから・・・」と断られる。
ある信用金庫の課長を相手に粘っていると、気の毒に思ったのか、「メシでも行こうか」と誘われる。雑談中に、「森ビルの森さんと大学の先輩で親しい。事務所も森ビルから借りている」と言うと、「その保証金をすべて担保にしてくれれば、本部と掛け合いましょう」と請け負ってくれた。
この縁にすがって、ようやく「企業への招待」が出せた。これが評判を呼んで、2号目は四倍増の売上。その後の発展はご存じの通り。
もし、第1号が出せなければ、いまのリクルートはなかったかもしれません。
以来、リクルートはこの時の信用金庫を営業報告書に掲載する取引先金融機関の筆頭にしているわけです。
基本的に就職情報誌は、広告主が顧客。書店にはただで配布しているわけです。
顧客にいろいろと聞くことが、実は営業でもあり、また編集でもあるわけです。
顧客の要望を聞き、それを編集に活かす。営業マンが編集者であり、企画者でもあるんです。だから、顧客の要望をどんどん吸い上げて、紙面を充実させていける。
この点が作家や編集者の才能のみに依存しなくてすむメリットです。もちろん、目利きであることは大事。しかし、母数が集まれば、自然と隠れたニーズは浮き上がってくるものです。
業容がどんどん大きくなっていく。社員数も増えていく。新橋に購入した自社ビルも狭くなる。
ビルも買った当初は資金がかかるけれども、できあがる頃には資産価値が三倍にもなっている。これで担保価値が含み資産になって、次への投資ができるようになる。
とうとう銀座の日経金ビルを買うことになります。その後、おもな地方都市へも自社ビルを購入し、「何かあったら、これを売って売却益を出せば経営は安定する」という資産のダムを築いていくことになります。
森ビルの森稔さんからは、「いざ、ビルを売ろうと思う時、買い手が突然、いなくなるもんだよ」と言われたが、もちろん、この時には実感などなかった。
平成2年8月30日になると、公定歩合が6パーセントに引き上げられます。一年前の公定歩合は3・25パーセント。一年間になんと四回の引き上げ。しかも、テレビでは連日、「地価は下げられる!」という特集が組まれるほど。
これではマンションは売れなくなる。
いよいよ、バブル崩壊が始まるわけです。
マンションデベロッパーのリクルートコスモスの契約率は当初の10パーセントにまで落ち込みます。完成在庫が大量に発生します。
自動車という耐久消費財は中古になれば価格は下がる。しかし、マンションは中古になっても値上がりしていた。底地の値上がりが大きかったからです。
「ノンバンク」という響きがニューエコノミーと錯覚して聞こえた、と言います。銀行からの紹介融資案件は、「焦げ付いたら銀行が責任をとってくれる」と甘く考えていた。
地価下落、大量の在庫、融資の焦げ付きが致命傷になって、江副さんは結局、リクルート株を手放し、表舞台から消えることになります。
しかし、ある意味ではリクルート事件があればこそ、拡大路線をセーブできていたのかもしれません。行け行けどんどんで突っ走っていたら、引き返せないレベルまで行っていたかもしれません。
第3部は中内さんをめぐるやりとりが克明に語られています。彼はとことんロマン派であり、拡大成長論者であったと思います。
「自ら変化を創りだし、変化によって自らを変えよ」という江副さんの行動哲学はいまでも正しいと思います。
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2 「気の小さい人が仕事も人生もうまくいく」
金児昭著 あさ出版 1400円
著者の本は何回か取り上げさせて頂きました。信越化学工業の元常務取締役であり、現在、早稲田大学の客員教授を務めています。
本書は仕事の雑感ですね。話題はあちらこちら。でも、内容があるから面白いのでは。
たとえば、五十歳くらいになると定年後のことが気になりはじめます。著者も経済評論家を目指したくても、お金がなければ会社を辞められない。そこで、四十二歳の時に買った建売を十年で壊し、半分を自宅、半分をアパートに立て直そうかと計画。
社長に相談すると、「最低限食べられるだけのものがないと、人間、弱くなります。会社を辞めても生活できるというのは実にいい。ぜひおやりなさい。だれにも言わないで」
結局、辞表を出したのは六十二歳の常務の時でした。
たとえば、判子には心があらわれる、というお話。
それを最初に指導してくれたのは最初の上司だったそうです。
「判子は斜めに押したり、乱暴にパンと押してかすれが出たりしないように丁寧にまっすぐ平らに押しなさい」
判子は「これで行きます。後戻りできません」という、いわば、決断したというメッセージなんですねだ。それがいい加減だと、中身までいい加減に思われます。だから、慎重に押さなければいけない。
このことについては、わたし自身も経験があります。といっても、わたしが叱られたわけではありません。
当時の係長だか課長だかがお客さんから怒鳴りあげられたんですよ。
理由は、「君の判子がないじゃないか!」というものでした。
彼は研修ビジネスでいろんな会社に営業してたんですね。それで運良くある衣料品販社にセミナーを採用してもらうことができた。ところが、請求書を出したところ、担当者のところにも検印のところにも、彼の名前はない。そこで、先方の社長が怒ったんです。
「いったい、売り込みに来たのはだれだ。君じゃないか。それがどうして判子がないのか!」というわけですよ。
請求書ですから、経理が出してもおかしくはありません。でも、その社長もセールス一本で生きてきた人ですから、このいい加減さを許せなかったんですね。
それを横でじっと見ていましたから、わたしは今でも判子を押す時は曲がらないように、薄くならないように、定規で押さえてからやってますよ。
判子は分身なんです。
こんなエピソードが満載されてる一冊です。
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3 「LAST」
石田衣良著 講談社 1600円
本書は「直木賞第一作」ということですが、この人の直木賞作品、いったい何だったのか知らないんだよね。
書店で見かけて、1ページにある目次を見て購入。正解でした
あとで奥付見たら、あの「池袋ウエストゲートパーク」の脚本家だったんですね。なーるほど。
これは小さな物語の塊です。共通するキーワードは「ラスト」ということ。言い換えれば、人生の崖っぷちに佇んでいる人間たちにスポットライトを浴びせ、ギューンと大きくクローズアップさせた作品です。
どれもかなり悲惨な内容ではありますが、リズム感がいいのか、するする読んでしまいました。ということは、幸か不幸か、それだけ、わたしに現実感がないということなのかもしれませんなぁ。
いちばん印象に残ったのは何だろう?
「ラストコール」と「ラストジョブ」・・・かな。
ケータイの出会い系サイトに押されて、「今日で店を閉める」というテレフォンクラブに飛び込んだサラリーマン。そこにかかってきた電話の主と胸襟を開く仲になる。つかの間の会話を楽しむ中、わかったことは、彼女は陵辱のかぎりを尽くされた二十歳の女性だということ。そして、彼女の人生を一緒にトレースする中・・・テレビ電話に切り替えて彼女自身を見たところからタイトルの「ラストコール」へと一気にストーリーが展開する・・・。
不景気で給料激減の主婦が家計の一助にはじめた出会い系の援交。その相手が身体障害者で、いつの間にか、障害者の間で人気になり・・・という話。
借金で首が回らない男に唆された自殺の誘い・・・「ラストライド」。いま、自殺では保険が下りないケースもあるんで、昨日の新聞には「自分を殺してくれ」と依頼する人間まで出てくる始末。
同じく、借金がもとで街金から看板持ちに雇われている男が崖っぷちで挑んだ仕事を描いた「ラストバトル」。
これまた、借金を形に中国人から「出し子(盗んだ通帳で金融機関から預金を引き出す役)」を命じられた男が最後の最後にとった脱出方法を描いた「ラストドロー」。
これまた、またまた、借金からホームレスになった四十歳の男。彼がたどり着いた家庭とは・・・「ラストホーム」。
ベトナムで幼児プレイに興じる外科医にビデオカメラマンとして雇われた男を描いた「ラストシュート」。
まっ、面白い本でした。
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