2003年07月07日「日本人にアホはおらん!」「ブッチャー 幸福な流血」「東京バスの旅」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「日本人にアホはおらん!」
 宇都宮俊晴著 講談社 1700円

 去年、原理原則研究会の忘年会を新宿の「ル・アラダン」という店でやりました。
 アラブ、モロッコの雰囲気満点の店だったですね。トイレに行くと、姉妹店の宣伝看板があり、巨大な仏像が鎮座する店とか、キリスト教の聖堂みたいな店など、「まぁ、変な店がたくさんあるわい」と思っていた。
 なんと、この人がそれらを考えた張本人。そういえば、同じくトイレの看板に「そのうち、本を出します!」と宣伝してたっけ。
 ということは・・・これがその本なんだよね。

 「岸和田少年愚連隊」「ガキ帝国」といった感じだなぁ。この人の半生はそのまま、映画になりそうだ。

 著者は小柄で童顔。けど、根性だけは座っている。「舐められたらあかん」という意地で生きてきたようなところがあります。
 たとえば、高校は北陽高校。あの阪神の岡田コーチの母校ですよ。入学すると、「花の応援団」のような生徒ばかり、てで、舐められたらあかんと先制攻撃。その後、史上最大の少年愚連隊「梅田会」を結成します。
 これには当時、「殺しの集団」と呼ばれた柳川組の最高幹部の息子が同級生で、一緒に作るわけ。
 おかげで、退学寸前まで行くけれども、何とか周囲の人たちのおかげで助かります。関わり合いにはならないようにと、学校側はこの生徒にいったい何をしたのか、まったく信頼はありません。

 なんとか卒業して、甲子園大学とかいう学校に入学します。
 一年坊主が先輩を抜いて大会で二位。これが嫉妬を生んで、陰湿ないじめに会い、「こんなくだらない学校は辞めてやる」とさっさと退学。そして、高校時代の友人を頼って上京し、新宿のJUNという若者向けのファッション店でアルバイト。

 その後、ゴルフ会員権販売の会社に入社するものの、二〜三か月でコツがわかればさっさと独立。
 といっても、アパートで一日五百本をノルマに電話セールス。都心の商圏は老舗に取られているから、郊外を狙う。童顔であるうえに、実際、まだ二十歳にも満たない年齢。
 だから、社長ではあるけれども、一営業マンとしての名刺を作った。
 「このままでは帰れません。上司に叱りとばされます。なんとかならないでしょうか」
 「ダメですか。わかりました。クビを覚悟で値引きしますから、いかがでしょうか」
 「社長のお知り合いや社員の方で入ってくださる方を十人集めて頂いたら、私、クビを覚悟で社長の分、タダにします。いかがでしょうか」

 だいたい、クラブによって違いはあるものの、額面四十五万円の会員権ならば、七万円で仕入れて十五万円で売る。これが当時のゴルフ会員権ビジネスだった。だから、値引きしても儲かっていたわけである。
 これで、多い時は一日十本成果を上げていた。
 しかし、一日五百本の電話セールス、それから何度断られても次から次へと頑張って歩く。それではじめて、この成果を上げられるのである。
 この時、彼が頑張れた理由はひとえに個人商店だったからにほかならない。これが勤め人で給料もらっているような仕事なら、ここまでは頑張らない。まして公務員だったら、はなから仕事などしないで一日を怠惰に遊んで暮らす。これでわずか数カ月で大卒の給料十年分を貯めてしまった。

 その後、「アイ・プロモーション」というモデル、タレント事務所を知人とオープンし、専務に就任するや、これも笑いが止まらぬほど儲かった。
 なぜ、儲かるか。
 まずモデルに登録したいという人間から登録料、レッスン料名目でお金が取れる。さらに、モデルの仕事が決まれば、テレビ局やイベント会社、雑誌社などからギャラが出る。
 「モデルになりたい」という人は引きも切らずいるようです。ここでも新聞広告に、「モデルになりませんか 月収二十万円」という小さな広告を出したところ、来るわ来るわ。「えっ、あんたがモデルに?」という人もたくさんきます。
 で、面接をする。もちろん、個別です。そして、全員、合格させてしまう。パンフなど、原価は五千円程度。それに登録料などが五万円くらいだから、その差額がまるまる儲かるわけ。
 レッスン当日になると、彼女たちもさすがに「あれ、あそこににいた人、みんないるじゃない」と不思議がる。そこで一言。
 「皆さん、最初にお断りしておきますが、この中には本格的なモデルを目指す方と、レッスンだけを受ける方とがおります・・・」
 「なるほど、あの人たちはレッスン組ね」とみんなが考える。これで一件落着。
 この会社はその後、成長してスカウト専門会社になった。
 法律には触れていない。けれども、倫理には触れている。だから、実質的には自分が作った会社ではあるけれども、著者はすぐに辞めてしまうわけ。

 三年半振りに大阪に戻る。そして、何をやろうかと考え、当時、ものすごい勢いがあったキャバレー、ピンサロ業界に飛び込むのである。
 これも勉強、修業のためだから、いちばん繁盛している店に勤めた。そして、二カ月で働きぶりが認められて、店長に抜擢。当時、まだ二十二歳である。
 けど、ここでもすぐにノウハウをつかむと独立。
 この商売、いちばん大事なのは商品力、すなわち、女の子だ。独立する時、勤めていた店の女の子を引き抜くのは御法度だが、人望があったのか、女の子がついてきてしまった、その数、ざっと二十数人。
 もちろん、経営者はカンカン。だが、こちらも死活問題だから、引くに引けない。しまいには、腹をくくるしかない。そこで、今後、引き抜きは絶対にしないと誓約した。
 これはいまの商売に変わっても、頑として貫いている約束のようである。

 著者がはじめたのはミニサロンである。
 ピンサロとは違うが、やはりお色気で売る商売であることに変わりはない。
 ただし、ピンクサービス一本ではダメだ、ということにも気づいていた。内装、雰囲気、ホステスの応対、従業員のサービス、料金の安さなど、すべての点でお客満足させなければ、たとえピンクを売り物にしていたとしても流行らない。
 あとは女の子たちのやる気である。

 「みんな、なんのためにホステスしてるんや。この仕事が好きやからか? そやないやろ。カネのためやろ。生活のためにカネがいる。むそのために働いているんやろ。
 そやったら、一日に少しでも多くカネ稼いで、一日でも早くここから抜け出すことや。 どうやったら、カネ稼げる?
 お客さんがつくことや。どうすれば、お客さんがつく?
 この商売、夢を売る商売や。あんたらが妻の顔、母親の顔しとったら、だれが夢感じる?店では別の女になって、夢を与えるんや。
 そのためには女優にならなあかん。魅力的な女になりきって演じるんや。お店はあんたらの劇場や・・・」

 フィナーレの時は圧巻である。真っ暗な中、音楽のボリュームはガンガン。フラッシュ光線はバシバシ。で、マイクを握って絶叫である。
 「ホテルに行きたい、ゴーゴーゴーゴー」
 すると、ボックスの上に立ったホステスたちが唱和する。
 「あなたと行きたい、ゴーゴーゴーゴー」
 「ゴーゴーゴーゴー」

 このミニサロンは場所が場所だけに一時間に一回は暴力沙汰があったという。店内で客同士の喧嘩になることも日常茶飯。
 中には乗り混んでくるやくざ者もいる。その時、盾になるのは社長である自分しかいない。やくざに知り合いはいても、彼らには一切頼まない。後々までズルズルになることをよく知っているからだ。
 たとえ、相手がやくざでもひるまない。この商売に命をかけているからだ。この迫力に相手のほうがビビッてしまう。

 ただ、こんなこともある。さんざ遊んだ男たちが、いざ、勘定を払う時になって、「福島署のもんや。わしら、警察やで。なんでカネはらわなあかんのや」とごねる。
 従業員は警察には逆らえない。さすが、大阪府警である。金品のたかりはもちろん、無銭飲食などが役得だったのだろう。

 これをあとで聞いた時に、著者は頭に来た。在阪の新聞社にすべて告発。だが、完璧に無視される。
 当然である。大手マスコミは基本的に警察とは一蓮托生ではないか。サロン経営者の告発など、まともに受けるわけがない。
 それから数日後、突然、「無許可名義貸し」という罪で逮捕されてしまうのである。これには担当検事がびっくり。
 「これが罪になるのかいな?」
 あとでわかったことだが、どうやら、差し金は当時の府警本部長だったらしい。「警察舐めたらあかんど」という見せしめである。

 留置の間、いろいろ世の中のことを考えた。
 やくざには一人でも立ち向かえる。しかし、権力相手には一人では無理だ。だから、警察を敵に回してはダメだ。
 正々堂々とやりながら、彼らを味方に引き込んでいく。彼らの正義を利用しよう。
 これが著者の落とし前なのだろう。

 さて、昭和五十三年十一月、二十一日間の拘留後、当時、十一軒持っていたドル箱のミニサロンをすべてすっぱりやめてしまうのである。
 理由は、やはり、舐められる商売だったからではなかろうか。
 「なにか食べ物商売しよ」
 これが、その後のレストラン・ビジネスに殴り込み、業界の風雲児として暴れるきっかけになるのだから面白い。

 レストラン・ビジネス成功物語については、ぜひ本文をチェックしてもらいたい。
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2 「ブッチャー 幸福な流血」
 アブドーラ・ザ・ブッチャー著 東邦出版 1400円

 67歳、父親はインド人、母親はアフリカ系アメリカ人。カナダのオンタリオ生まれ。スーダンの貴族の名はリングネーム。
 6ヶ月間、わずか1800グラムの低体重児で集中治療室入り。半年過ぎる頃に、ようやく元気を取り戻したといいます。
 父親、母親、祖父の言葉で勉強したようなものだ。

 「欲を持ちすぎないで生きろ」
 「身体と心がきれいで、そこそこ食べられるものがあれば、それで十分。それ以上の幸せはないはずなんだ」
 「だれかがやらなければならない仕事を残しておくな」
 「汚れ、ほこりを見かけたら、それを見逃すことなく、必ずきれいにしておきなさい」
 「社会には手に入れられる、あらゆる種類のお金がある。どんな仕事でも、一生懸命にやれば、お金は得られる」
 「何ものにも運命を邪魔させるな。おまえの未来はおまえがそれを追い求め、ゴールに向かって歩み続けることでしか得られない。もし、おまえが求めるものを発見し、それをゴールと決めれば、おまえの望む将来は必ずやってくる」
 「ものを盗むと捕まるが、技術を盗んでも捕まることはない」

 ある日、いい商売を思いつく。
 貧しい中、店で残った新聞をもらってくる。そして、それをもって街角で泣くのだ。9歳の子どもだから、人々は不憫に思って買ってくれる。
 ところが、これがうまくいったのは3日まで。その後はだれも買ってくれなくなった。それでも泣き続けていると、1人の白人が買ってくれた。それをじっと見ていた人間がいた。父親である。
 毎日、大金を持ち帰るわが子を疑問に思い、様子をうかがっていたのである。
 「心が汚れていたら、いくらお金を持っていても意味はない。もっと地道に誠実に生きなさい。欲を持ちすぎるのは最低だ」

 金儲けに奔走する中、12歳から柔道、空手を警察で習い始める。もちろん、無料。でなければ、習えない。
 これがその後の人生を決めるのである。

 22歳の時、家族に内緒でプロレスラーとしてデビューするのである。
 最初は「謎のトルコ人」である。自分をどう売り出せばいいか、真剣に考えた。

 当時、アラビアの怪人ザ・シークというレスラーがいた。彼はトップレスラー兼プロモーターとして、デトロイトのマット界を牛耳っていた。
 シークに認められたのは、おそらく、彼がマーケット・オリエンテッドだったからだと思う。
 彼ほど、自分をどう売り出せばいいかを真剣に考えたレスラーはいなかった。
 ブッチャーというリングネームに変えてから、空手で鍛えた指でのど笛を攻撃する「地獄突き」、それに後ろ蹴り。エルボードロップ。もちろん、反則攻撃はお手の物。
 相手から受けたダメージを奇声とともにオーバーに表現しながら、より殺伐とした雰囲気を醸し出すスタイル。それがブッチャー流のレスリング・スタイルである。
 だからこそ、日本でも漫画の主人公になったり、CMに登場するほどの人気者になれたのだ。もちろん、まだ、現役で戦っている人気者である。

 「ファンの求めるのはバイオレンス。世間の常識など存在しないリングで、本物のバイオレンスを見せつける。プロレスは殺し合いではないが、面白くなければならない。なによりも面白さを優先させ、人の心をつらえる者が一流である」
 これが彼の哲学だ。
 それだけに、アメリカのマット界であるプロモーターから血だるまになるラフ・ファイトを控えるように注意されたが、これを完璧に無視する。というのも、自分の売りが流血であることをだれよりもよく知っていたいたし、観客がそれを望んでいることもしっかり認識していたからである。
 実際、彼が登場する日はアリーナがいつも満席だったのである。だから、プロモーターも彼を呼ばずにはいられなかった。

 いま、相撲界には悪役(ヒール)がようやく登場してきた。これが起爆剤となって、相撲にもまた観客が戻ってくるかもしれない。

 悪役としての彼の存在はすぐに全米中に知れ渡った。いろんな地域のプロモーターからオファーが舞い込んだ。
 もちろん、家族には内緒だったのだが、ある日、テレビに出てしまい、ばれてしまう。母親は心配するし、悪役の彼に対して誤解もあった。しかし、それは直に理解してもらえることになる。

 プロレスは、いま、流行のK−1とは戦い方がまったく対極にある。
 K−1は相手の攻撃を徹底的に封じることがスタートである。だから、受け身、受け技のできないボブ・サップはミルコに簡単にやられてしまった。だが、プロレスは相手の攻撃を封じていては、観客はちっとも面白くない。
 では、どうするか?
 二流、三流選手と対戦する時でも、相手をいきなり倒したりしない。まず、相手の得意技をすべて出させて、自分を攻撃させるのだ。そして、ダメージを受けた振りをする。そのままフォールされそうになった時に、いきなり反則技を出して形勢を逆転させる。
 あとは、自分の得意技で相手をマットに沈めるというわけである。
 こうすれば、試合として面白い。こういうシナリオを実際に戦いながら、作っていくのである。はじめての選手など、いったい、どのくらい強いのか、実力があるのか、わからない。
 相手の力量を見定めて、ここまでは耐えられるだろうと踏んで、ゲームを組み立てていくのだ。
 いってみれば、一流のプロレスラーというのは、まず一流の技術と体力を持ったファイターであり、観客のボルテージを徐々に上げて、最後は興奮の絶頂にまでのぼり詰めさせるパフォーマーであり、冷静にゲームを構成するシナリオライターでなければならない。
 それだけではない。転戦に継ぐ転戦。しかも、外国暮らしも長くなる。その間、選手間の嫉妬、諍いなどを解決するだけの精神的タフさも持ち合わせてなければ、とてもできないビジネスなのである。
 彼はたくさんのレスラーを反則技でけがさせたが、彼自身もぱっくり割れた額にマットの雑菌が紛れ込んで高熱に苦しんだことが何度もあるという。

 いま、デフレ不況の中、日本のプロレス客は少なくなっている。わたし自身、かなりのファンだから年に5〜6回は見に行くのだが、3年ほど前からかつての勢いはどこに消えたのか、と思うほどだ。
 だが、全体としてのスケールは変わっていないのではないか、と思う。昔のように、日本プロレス1つではなく、全日本、新日本のほかにもインディーズと呼ばれる団体が乱立しているから、観客は贔屓のレスラー、好きなスタイルの団体をピックアップすればいいようになった。

 だが、レスラーの面子があまり変わらないと、観客としてはマンネリは避けられない。
 そこをブレークスルーするだけのファイトができるかどうか。
 「わたしはプロとして、つねに観客の目と戦い、どんな層にもわかりやすいファイトを心がけている。一部の層にしか評価されないことをしていても、ギャラにはつながらないからだ」
 
 ブッチャーの生き方は、ビジネスマンにも大いに参考になると思う。
 「もし、わたしと同じようにレスラーとして成功したいと思う者がいるなら、少なくともこれだけは覚えておくべきだ。まず自分の存在価値を知れ。見せるべきものを知れ。自分でできることは自分でしろ。他人の思い通りにならず、自分で考え、ゴールまでのプロセスは自分で決めろ。他人に期待せず、他人を批判するな。言訳をせず、他人に対する悪い感情はさらりと忘れろ。いかなる時も、自分を忘れさせるな」
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3 「東京バスの旅」
 中島るみ子・畑中三応子著 文藝春秋 790円

 西は吉祥寺から東は小岩あたりまで、都心にはバスがたくさん走っている。本書は、このバス路線をフィールドワークした二人の女性がルポした一冊。

 まぁ、時間がないとこれだけバスには乗れません。
 途中下車して、近くの美味しい店、土産品店、それに名所などをぶらり散歩。田中康夫知事の「なんとなくクリスタル・東京バス・バージョン」ですな。
 まるで、テレビ東京の「ぶらり散歩」「バスの旅」、それに日本テレビの「途中下車」を同時に見てるような気がします。
 都内で仕事をする時でも、あまりバスなどは使いません。でも、休日を利用して、ゆっくりバスの旅をするというのは愉しいものですな。

 たとえば、花街「四谷荒木町」から学生街「早稲田」のルート。
 西洋館がたっぷり堪能できる麻布、高輪台ルート。
 築地、晴海へと海の幸を求めるルート。
 時代劇のヒロインたちを訪ねる春日通りのルート。
 お江戸日本橋から問屋街へと買い物ツアーのルート。
 浅草寺裏のちょっとした渋めのルート。
 などなど、たっぷり楽しめるコースが盛りだくさん。あまり、目的地を考えずに、適当に乗り込んで未知との遭遇をエンジョイしてもいいかもね。
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