2003年06月30日「仕事の法則」「時の国際バトル」「朗読者」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「仕事の法則」
 ウイリアム・コーヘン著 日経BP社 1600円

 「ウエストポイント式」とヘッドコピーにありますが、これはアメリカの陸軍士官学校のことですね。
 古くはパットン将軍、アイゼンハワー大統領。近くは湾岸戦争時の司令長官だったノーマン・シュワルツコフなどがそうですね。

 「命令するから部下はついていくのではない。達成しようとしているプロジェクトが自分にも納得できるものだからついていくのである」
 「教養があり、高度な教育を受け、動機が十分にある人でも、方法論を持たなければリーダーにはなれない」
 たしかにそうです。

 仕事が成功、あるいは失敗するかどうか。それを最終的に決定づけるのは、リーダーシップなんです。
 どういう指導者の下に組織があるのか、戦略や手法、文化が変化しても重要なのはリーダーシップに尽きますよ。

 よく考えれば、どんなに個人的に優秀な人間でも、他人の力を借りなければ実現できない目標がこの世にはたくさんあります。だから、人を動かすということが古今東西、普遍のテーマになってきたわけでしょう。

 高給で仕事をさせることはだれでもできますね。けど、無給でどれだけ本気に仕事をさせることができるますか。
 そういう意味で、見事なのは宗教団体ですね。
 過去、「ボア」とか「定説」なんて、いい加減ででたらめな教祖がいましたが、こんなのにも無給どころか、上納してついて行く馬鹿者がいるんですね。
 これはどうしてついて行ってしまうのか?
 理由は簡単です。判断できる能力がないんです。与えられた問題は解けるけど、自分で問題を設定し、自ら解いていく作業が不得手なんです。
 だから、だれかに依存したがる。これって、いちばん楽でしょ。脳みそを他人に預けてしまうんですからね。

 「リーダーシップに関する普遍法則」をいくつか紹介しています。
1清廉潔白であるべし。
2仕事に精通すべし。
3見通しを知らしむべし。
4並はずれた献身ぶりを発揮すべし。
5前向きの見通しを持つべし。
6部下の面倒を見るべし。
7己を捨てて義務を果たすべし。
8先頭に立つべし。

 「動機付けのテクニック」も紹介しています。
1敬意を込めて対応してくれる人と働ける
2仕事が面白い
3いい仕事をすれば認めてくれる
4腕を磨く良い機会
5意見に耳を傾けてくれる
6指示に従うだけでなく、提案し、自分の意思で働ける
7仕事の成果を見届けることができる
8有能な上司の下で働ける
9仕事が適度に難しくてやりがいがある
10雇用が保障されている
11給与が高い
12手当、給付金が充実している

 いずれにしても、自分のためならどんな苦労も厭わない。それが人間です。動機付けというのは、どれだけ目的意識を植え付けるか、自覚させるかに尽きるのではないでしょうか。
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2 「時の国際バトル」
 織田一朗著 文春新書 690円

 「1年のはじめはいつか?」と聞かれたら、ちょっとわかりますか?
 「1月1日?」
 ホント? 春夏秋冬っていうけど、1月は春じゃないよ。
 わたしたちが使っているグレゴリオ暦では、「年初と決められた日を1月1日とした」というに過ぎないんです。天文学的、気象学的にも根拠はありません。
 「冬至の直後、春分の2カ月前」というわけで、1月1日としたんですね。
 こんな時間のエピソードをたくさん調べて、まとめた本ですね。
 それもそのはず、著者はセイコーにずっと勤務していたビジネスマンですからね。

 時間に関するパーティジョークにこんなものがあります。
 「定刻前に来るのは日本人。ちょうどに来るのがドイツ人、十五分遅れるのはアメリカ人とイギリス人、小一時間遅れるのがフランス人、二時間遅れるのはイタリア人で、その時、まだベッドの中にいるのはスペイン人」
 わたしに言わせれば、追加して、「ドタキャンするのは北朝鮮人」というのはどうだろう。

 カリフォルニア大学のレビン教授は、生活テンポを計測したことがあります。
 基準は3ポイント。すなわち、?銀行の時計の正確さ。?歩く速さ。?郵便局員が切手を1枚売りさばく所要時間です。
 世界6カ国で調査(85五年)。いずれも日本人(東京・仙台)が世界一でした。

 でも、ストレスには常に時間が絡んでますね。
 「時間に間に合わない」
 「時間が足りない」
 「時間に追いかけられている」という具合です。

 「疲労に関する厚生省研究班」(堺市立堺病院・木谷照夫名誉院長・2000年)では、「15〜65歳の約60パーセントが疲れやだるさを感じている。半年以上も続く慢性疲労は36パーセント」(4000人対象)だそうです。
 これは男女半々どちらも大変なんです。とくに男女とも45歳以上に集中していることがわかっています。
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3 「朗読者」
 ベルンハルト・シュリンク著 新潮社 514円

 ドイツの小説では久方ぶりに世界のベストセラーになった作品です。
 「これは映像化されやすい作品だな」と感じていたら、やはり、映画化されるそうです。
 ぜひ、ハンナの役には「マレーナ」のあの女性、そう、モニカ・ベルッチにしてもらいたいなぁ。ずっと、モニカをイメージして読んでたんだもんね。
 
 著者はフンボルト大学で法学を講じる学者です。から、この作品の中でも法廷や大学がちょいちょい出てきます。

 さて、内容ですけど、大きく三部構成になってます。
 まず、第1部は主人公ミヒャエルとハンナの出会いと愛の生活について。
 黄疸で体調が優れないミヒャエルは学校に行く途中で吐いてしまいます。それを介抱してくれたのがハンナ。時にミヒャエル15歳。ハンナ36歳。その時から、彼は一貫して「坊や」と呼ばれます。
 お礼をするためにハンナを探します。どんな挨拶をしたかも覚えていません。
 帰り際、ハンナの下着姿を見てどっきり。釘付けになってしまうんですね。で、魔力にかかったように、後日、また訪れます。コークスを地下室に取ってきて欲しい、というリクエストに応えると、服も顔も真っ黒。そこで、風呂に入れてもらいます。
 そこに、ハンナも入ってきて、できちゃうんですなぁ(いいなぁ、ホントに)。
 さて、男になったミヒャエルは黄疸の治療を理由に学校には行かず、ハンナのところに入り浸り。
 その生活ぶりは本の「朗読」から始まり、シャワー、愛し合う、一緒に横になる。これが儀式、式次第のように決まったパターンです。
 ハンナは本を「朗読」してもらうことがホントに好きでした。

 ある日、二人は旅行に出かけます。
 旅先で、朝、ミヒャエルは起きると、まだ寝入っているハンナを起こさず、ベッドを離れ、外に出かけます。朝早くからやっている花屋でハンナのためにバラを買おうと思ったんですね。
 「おはよう。朝食を取りに行って、すぐに戻ってくるよ」というメモをナイトテーブルの上に忘れずに置きました。

 ところが、彼が戻ってくると、ハンナは顔面蒼白、怒りにふるえ、手には革ベルトを持ち、彼の頬を殴ります。唇が裂けて、血が吹き出る。
 いったい、どういうことか、理解できない・・・。

 その後、ハンナは彼に内緒でそっと町を出ます。
 ハンナの仕事は市電の車掌でした。運転を覚え栄転させてやるという会社側の計らいも無視して町を出たのです。
 もちろん、ミヒャエルは探しまくります。しかし、見つかりませんでした。

 第2部は裁判です。
 というのも、彼がハンナと再会したのはほかでもありません。法廷だったからです。
 ナチスの犯罪を裁く法廷でした。
 7年という月日が経っていました。
 その時、彼は彼は法学部の学生でした。たまたま、強制収容所裁判に関する法学研究をするゼミに所属していたために、この法廷を傍聴したわけですが、もちろん、彼は違う理由で、この裁判を欠かさず傍聴することになります。
 これは後日、このゼミ担当の教授の葬式で、「あのとびっきりいい女とおまえは関係があったのか」という仲間からからかわれたりします。

 検事と弁護士、そしてハンナのやりとりを聞くうちに、謎だったハンナの秘密が少しずつ明らかになってきました。
 まず、1943年に親衛隊に入隊したこと。ジーメンスという会社で職長になれるという話があったにもかかわらず、親衛隊に志願したのです。そして、強制収容所の看守となってからの行動。捕虜の扱い。
 とくに注目を浴びたのは、若い女を選んでは、毎日、毎日、朗読させていた、ということでした。
 ハンナは理不尽な質問や扱いには徹底して反論します。しかし、すればするほど、振りになっていることに気づかすに行ってしまうのです。
 看守たちがやったこと、あるいはやるべきことなのにやらなかったこと。
 「その報告書を書いたのはだれか?」という質問に、ハンナは「わたしです」と答えます。
 そして、結審したのが無期懲役という判決でした。

 第3部は裁判終了後のミヒャエルとハンナの人生です。

 裁判終了後、彼は図書館に朝から晩までこもって勉強します。そして、大学を卒業すると、司法修習生になります。
 司法修習生時代に知り合った修習生と結婚し、子どもができたものの、5年後に離婚。どうしても、ハンナのことが忘れられなかったのです。
 彼はハンナが収監されている刑務所には1度も出かけませんでした。その代わり、毎週、自分が朗読したテープを届けます。

 あの強制収容所のゼミを担当していた教授も亡くなりました。
 修習生時代も終わり、いよいよ、進路を決めなくてはならなくなったものの、ハンナを罪に貶め、あるいは裁き、あるいは下手な弁護をしたあの仕事には就く気はありませんでした。
 たまたま、法史学の教授が声をかけると、渡りに船でこれに乗ります。

 ハンナが収監されてから18年が過ぎました。
 その間、彼のところにハンナから手紙が届きました。
 「字が書けるようになったんだ」
 最初はぎこちない字でしたが、徐々に文章らしくなっていきます。
 ハンナが運転手になりたくなかった理由、ジーメンスの職長を蹴って親衛隊に入った理由・・・それは自分が文盲であることを知られたくなかったからでした。貧乏のどん底で、まったく教育を受けていませんでしたから、文盲もしょうがないのです。
 いま考えれば、「メモなんかなかった」と言い張るハンナが革ベルトで殴ったのも、文盲の彼女に不親切だったからではなかったでしょうか。

 いずれにしても、ハンナは長年かかって文盲を克服しました。
 こその方法とは、彼が贈ったテープと本との突き合わせをしながら、一字、一字覚えていったのです。

 ある日、刑務所長から手紙が届きます。
 「いよいよ、ハンナが出所できる」というわけです。まさか、釈放されるとは考えてもいませんでした。
 意を決して、釈放の前の週にハンナのもとを訪れます。
 (あれがハンナか)
 まったくの年寄りがそこにはいました。加齢臭すら漂わせていました。
 ハンナはある時を境に、洗顔や風呂なども拒絶するようになり、自分の殻の中に閉じこもるようになっていたのです。
 「来週、迎えに来るよ」
 「うん」
 「静かに来ようか、それともにぎやかに、愉快にしようか?」
 「静かなほうがいいわ」
 「わかった」
 ミヒャエルが立ち上がると、ハンナも立ち上がり、互いに見つめ合う。二度、ベルが鳴ると、ハンナはミヒャエルの顔を手でなぞります。彼はハンナを抱きしめたものの、彼女にはしっかりとした手応えはありませんでした。
 「元気でね、坊や」
 「君も」
 これが最後の挨拶になります。

 理由は?
 そこまで書いてしまっては、野暮というものでしょう。
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